2021年 10月 19日

秋月八幡宮1 福岡県朝倉市上秋月

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秋月村
郡の名邑にして甘木町の北一里半嘉穂郡に通する要衝なり、
此地元秋月氏の居城なりしが後黒田長政の采地となり次子長興に與ふ示來家臣等邸宅を構へ工商来集して一の一邑となれり山林の風光秀美にして一の雅郷たり、
秋月八幡宮は秋月及び上秋月の産神なり社は上秋月の丘上にあり磴段數階あり
後深草院寳治年中の創建なり例祭九月十五日渡御の神幸ありて最と厳粛なりといふ

宝治(ほうじ、旧字体寶治)は、日本元号の一つ。寛元の後、建長の前。1247年から1249年までの期間を指す。この時代の天皇後深草天皇鎌倉幕府将軍は藤原頼嗣執権北条時頼

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安政六年:1859年

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縣社 八幡宮 朝倉郡上秋月村大字上秋月字宮の尾

祭神 応神天皇、高良大神、住吉大神
由緒
 明治五年十一月三日村社に定めらる。
 續日本紀二巻大宝二年十月の条に先是征薩摩隼人の時祈祷太宰所部神九所實賴神威遂平荒賊爰奉幣帛以賽其禱焉とある其一也依是彌勒寺を置く今當社の傍に彌勒堂ありて大なる木像を安置す
 大寳の例に任せ天慶九年大蔵春實純友追討の後其報賽に社を建立す
 此地は神功皇后羽白熊鷲討伐の𦾔跡陣營之地也と𦾔記に存す
 正治年中秋月南東之山上に社を改造せし由日向國髙鍋の𦾔藩主秋月家の氏神秋月八幡社の緣起に見えたり其後寛治年社を改築したる趣筑前續風土記にいちしるし文永十年又改造す。九月十五日神幸を催す
 御旅所中古の地は今隣村日向石村に𦾔蹟有て田地の字を浮殿と尾云ふ又粢田土器田油田鉾田取田駕輿丁田(今誤て會町と言ふ)七夕田馬射場等の名往々殘れり社の南下向道の傍土中に古代神供を盛たる土器いくら共なく今猶顯れ出たり𦾔記に神領三十六町有りしを秀吉沒収すと云々
 天正の頃迄は社僧有て梵鐘を懸たりしに中世漏刻の鐘に用ひて除之藥王寺光月庵學堂谷等名地の字に殘れり、
 當國は黒田氏の領分となりて慶長十九年九月丹治朝臣奥山三河入道神殿を改造す棟札銘曰奉建立一宇筑前國夜須郡当鄕の内秋月八幡三社國主黒田筑前守長政御代慶長十九年癸寅(附記慶長十九年は甲寅の年なり)九月吉辰丹治朝臣奥山三河入道修造大工藤原朝臣喜九右衛門尉小工十人、此後元和三年長政次男勘解由長興秋月の城主となり寛永十三年九月に神殿を修造今神殿是也後拜殿を造る慶安四年九月其功全成る、爾来建立に係わるもの多し供屋神輿殿文庫猿樂殿末社鳥居に至る迄逐年建立す寛永二年六月社領十石の地を寄有と雖維新の際廢せらる又享保十四年以來有志數名上秋月日向石兩村にて日饌料の田地許多を買得て寄附す其他寄附地は今猶存して所有地とす、
 𦾔秋月領惣鎮守の社にして祈願所五社の第一に置かる
 古文書等は天正の兵亂に紛失せり神號は梶井宮慈胤法親王の自筆にして寛文十二年十月領主長重寄附す、

大正十五年八月九日縣社に列せらる。
例祭日 十月十四日
神饌幣帛料供進指定 大正十五年八月二十六日

大宝二年:702年 天慶九年:946年 




秋月八幡宮123 

空 sora そら:秋月八幡宮 2008-12 2014 

ひもろぎ逍遙:秋月八幡宮・ここは羽白熊鷲の聖地か



2021.09.25
福岡県朝倉市上秋月




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by sora07jp2000 | 2021-10-19 03:12 | 神社 | Comments(0)


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