2021年 06月 26日

玉島神社1 佐賀県唐津市浜玉町

西九州自動車道を浜玉ICで下りる。
川沿いに東へすぐ。
社前の駐車場に停める。
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城山、玉島川。
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どれもですが、写真はクリックすると大きくなります。

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川にまつわる神功皇后の逸話が伝わる。
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「神功皇后宮」

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こちらは「玉嶋神社」

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玉島神社御由緒
一、御祭神及び由緒
神功皇后(息長足姫命)

祭神は人皇拾四代仲哀天皇の御座にして神功皇后聖母大明神子安神とも申し奉る
古記にに依れば皇后三韓御征伐の時松浦縣玉島の里に至りまして小川の中の紫石に降り立ち給ひ天神地祇に外征の事を祈り若し事成らば年魚之を飲めと金の素針を河中に投じ給ふに忽ちかかれり皇后希見物と宣う故に此の地を「めづら」と云う則ち川岸の玉島山に皇后の宮を安置し奉る是當社鎭座の創なり
*「紫石」は万葉垂綸公園にあります

二、創建年代
人皇二十八代宣化天皇御宇(一千四百七十年前)[*1]
別録縁起に人皇三十代欽明天皇御宇二十四年
本殿建立、土井大炊頭源利實享保二十一歳丙辰
(二百七十五年前)[*2]

三、祭典日
春季大祭四月三日
祇園祭七月十五日
夏越祭(虫キトウ)土用入り三日目
放生会祭(旧暦)八月十四日
秋期例大祭十一月二七日
聖母大明神祭十二月十八日
年越祭
年明祭

玉島神社社務所
平成二十三年
社全掲示由緒

[*1]西暦540年代
[*2]西暦560年代
[*3]1736年




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紫台石

垂綸石の伝説
この石は、垂綸石(御立(みた)たしの石とか紫台石(しだいせき)といわれ、古典である記紀(古事記・日本書紀)、万葉集、風土記等にも記されています。
記紀によれば、神功皇后が、食事をなされた時、この岩の下に群がる鮎をごらんになり、針をまげて釣り針をつくり、飯粒を餌とし、着物の裾の糸を抜いて、釣り糸にし、河中の石の上にあがって、吉凶を占われたところが、糸を投げられると鮎がかかったので、皇后は「これはめづらしい」と仰せられた。そこで梅豆羅国(めづらのくに)といったが、今はなまって松浦(まつら)という。
その時お立ちになっていお釣りになった岩が垂綸石であるとされています。
又、つり竿として使われた時の竹を挿して根づいた竹むらが今も玉島神社、社域に残っています。

平成二十一年三月
唐津市
現地掲示説明



玉島神社2

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Googleフォト 玉島神社

2021.06.20
佐賀県唐津市浜玉町南山

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by sora07jp2000 | 2021-06-26 17:02 | 神社 | Comments(0)


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