2014年 12月 30日

部木八幡宮 1 福岡県福岡市東区蒲田

福岡IC下りてすぐ。
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部木(へき)八幡宮。
境内半分は古墳群。
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部木古墳群(へきこふんぐん)
 部木八幡宮は三郡(さんぐん)・若杉(わかすぎ)山地から伸びる台地の西端部分に位置しており,部木古墳群は神社境内の西側で見つかっている9基の古墳からなっています。中でも1号墳と2号墳は前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)という珍しい墳丘の形をしており,この地域の有力者の墓であると思われます。形状が比較的明らかな1号墳は,墳丘の長さが23mで,周囲に周壕(しゅうごう),周堤(しゅうてい)を以ています。その他の古墳は円形の墳丘を持つ円墳です。
 発掘調査を行っていないため築造時期を明らかにする遺物は見つかっていませんが,この古墳群は古墳時代前半期に形成されたものと思われます。
 多々良川の下流域にはこの他に,名島1号墳,天神森古墳などの中国鏡が出土した前方後円墳があります。
 また部木古墳群の周辺には蒲田(かまた)部木原(へきばる)遺跡群・蒲田水ヶ元(みずがもと)遺跡群などの遺跡群があり,これらの遺跡群では発掘調査によって弥生時代中期以降の竪穴住居跡・溝などの生活の跡や甕棺墓などの墓地が確認されており,大規模な集落を形成していたことが明らかになっています。

みんなの文化財を大切にしましょう
平成19年3月 福岡市教育委員会
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クスやイチイガシの大木に囲まれた境内。

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「明治廿■(六?)巳九月𠮷日」の銘。
石工さんの名もあったがよく読み取れなかった。

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御祭神
應神天皇,伊弉諾神,神功皇后,玉依姫神

福岡県神社誌 上巻

拝殿前に実に興味深い文書が掲示されていた。

古ノ宮の旧跡地
龍王の里(亦の名を別火(へひ)の里)の古ノ宮は,太古の昔,神聖な別火を絶やす事無く焚いていたと云われ,神功皇后は,西暦369年頃,この地において別火をもって八百万神を祭り,神託を得て三韓征伐やお産平穏,皇子安泰を御祈願されたといい伝えられている。
内海知彦前宮司の友人である,福岡市東区名子の池見信義氏は,古ノ宮の旧跡地について,次のように証言されている。
『古ノ宮の旧跡地には,途轍もない大きな楠の大木が有った。その横に大きな窪みが有り,その周辺に巨大な石や焼き焦げた大小の石が多数有った。内海宮司は,この地で涌かしたお湯を神功皇后が産湯に使ったと言っていた』と話されている。
古ノ宮の旧跡地は,福岡市蒲田の630番地とその周辺である。現在の福岡インターチェンジ内に有った。

御潮斎所
大昔は,この所まで海であったと伝えられている。此処は,古ノ宮のお清めの御潮の採取場の跡と言い伝えられている。
恐らく古ノ宮の神聖な別火で清めの塩を造っていたと考えられる。
この図面は,神田家屋調査士の協力により昭和22年ごろ米軍が撮影した航空写真と現在の字図を合成し作成したものである。

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神功皇后の伝承,「龍王の里」,「別火(へひ)」,「部木(へき)」
古墳群,想像が膨らむ。



福岡県福岡市東区蒲田
December 23,2014

NIKON D3S







by sora07jp2000 | 2014-12-30 07:10 | 神社 | Comments(0)


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