2014年 10月 16日

人丸神社 福岡県糟屋郡新宮町桜山手

新宮町,夜臼の交差点から北西に入った小山の上。
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人丸神社

人丸神社
 人丸神社は源平合戦の哀史にまつわる神社で,平景清の娘「人丸姫」を祭神とします。
 景清の妻は子供がいないことを悲しみ神仏に祈り続けました。治承二年(一一七八年)三月十五日,朝日(旭)が上るとき懐妊を覚え女の子を出産しました。「旭」という字は「日」「丸」と書くことから「人丸」と名付けたと言われています。
 その後平家は壇ノ浦の戦いで源氏に敗れ,景清は源頼朝暗殺を計画しましたが,事前に発覚し捕らわれ両目をつぶされて九州(日向の国)に流罪の身となりました,後に景清はこの地で亡くなりました。
 人丸姫は幼くして母と死別し,京都北嵯峨の叔父の家で育てられました。十三歳の時,父景清に会いたい一心から乳母とともに京の都を旅立ち遙か西国の日向の国を目指しました。その旅の途中,筑前院内村(立花口)独鈷寺の末院(下府にあった)に父の旧友である僧を訪ねました。そこで父景清の噂を聞き一日でも早く会いたいと思いましたが,僧が思い止まるように言い聞かせているうちに長旅の疲れから病気になり床に伏せるようになりました。周りの人々はいろいろと手を尽くしましたが,建久三年(一一九二年)十一月九日に人丸姫は亡くなりました。
 死ぬ間際に人丸姫は,「父に会えずに死ぬことは心残りなので,私が死んだら塚を築いて印に末を植え,日向に向けて葬ってください。」と頼みました。その遺言に従い,飛山(神社がある丘陵の小字名)に葬りました。
 幼少の頃,父を慕ってはるばる京都から下府まできて病疫の身となった姫の心情から,この人丸神社は世の親として子供の無事成長の祈願参拝の場となっています。

平成十八年 新宮町教育委員会
社前掲示板

人丸神社 上總景清の女人丸靈 新宮村大字下府字日下
福岡県神社誌 下巻

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福岡県糟屋郡新宮町桜山手
October 04,2014

NIKON D3S




by sora07jp2000 | 2014-10-16 05:21 | 神社 | Comments(0)


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