2014年 08月 11日

志々岐神社 福岡県糸島市志摩御床

再び糸島へ。
加也山の麓,御床の集落の奥。
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志々岐神社。
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天智天皇の時代,太宰府の観世音寺建立のため唐から仏像を船で運んでいたが
海が荒れたため,平戸の志々岐神社を勧請した。
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大正13年の狛犬。
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御祭神は十城別命。
日本武尊の子,仲哀天皇の異母弟。
神功皇后に従い,三韓からの帰路,守りの為に平戸に残された。
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市杵島神社=市杵島姫命,荒人神社=天児屋根命
どちらがそうなのかは分からなかった。
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村社志々岐神社
幣帛料供進指定社。大字御床。
祭神は十城別命。祭日は十二月初丑の日なり。字殿上にあり。
慶長田村帳に由れば久家船越新町貝塚皆御床村の内とあり,昔此邊は太宰府観世音寺の領地にして,天智天皇の御世同寺建立の時本尊にせんとて唐土より阿彌陀の像を舟に積み来たりし時海上浪荒く甚だ危かりしかば肥前平戸の志々岐神社を船に勧請し幸いに恙なきを得て寺山の海濱に着したりしかば,佛像と共に暫く此に駐る事となり,後聖武天皇の御世佛像は太宰府に移し,下に敷きし敷鐵と神霊は之を加也山の麓に奉祀せり。
敷鐵は縦四尺三寸五分横三尺六寸厚二寸一分神社の側に草堂を造り之に安置す。世人之を床金と唱え,又御床と称し村名之に由て起る。後元禄年中木造にて阿彌陀佛を刻し床上に安置せしが明治の始め同村西林寺の境内に移したり。該佛像は大正三年國寳に指定せらる。
祭神並びに鎮座の由来。志自伎神社祭神は十城別命にして景行天皇の皇子日本武尊の弟なり。天皇区熊襲征伐の時巡狩して肥前志式に行宮を立て在りし事肥前風土記に見えたり。社伝に白鳳元年肥前國松浦郡平戸志摩の志式神社を勧請すとあり。始めは加也山の南麓に社を建て祀れり。其地を今神畑と称す。後に殿山に遷せり。天文十一年,寛文四年,貞享二年,完水四年等數次改造の棟札あり。今の新殿は明治廿七年の改築に係り,本殿は神明造り,拝殿は横三間入五間に改造したり。
祭祀は年中大祭日は旧暦九月十九日神甞祭並に十一月初丑の日とす。殊に十一月初丑日夜丑の刻の祭典は最も壮嚴を極む。昔元禄十三年大庄屋鎌田甚吉貞俊藩主の許可を得村の南海面に堤防を築き祭田を造り,爾来保存の財産を備へ以て年中祭典費に宛てたり。丑の日祭典は村内を五區に別ち,一年一回宛五ヶ年を一週とす。各坐親あり,丑の刻に神官組子以下村長一般来籠し神酒七升七合神米七升七合,肴は川魚にして決して海魚を用ひず。翌日は早朝より一般業務を休止し正午時に神官旧庄屋各座親並に時の役員一同は年番坐親宅に於て蒸飯酒肴の饗應あり,之を本座と称す。他に脇座二戸ありて,六十七才以上の男子は一人をも漏らさず同様蒸飯酒肴の饗應をなすを例とす。目下宮附田地九反九畝餘歩あり。
社家。現神職御床氏は家系古く往昔寺山氏と同祖なり。其先は孝元天皇の皇子彦太忽信命の後太宰少貳石川朝臣足人より出つ。始め太宰府に住し,後観世音寺坐主宮に従て寺山に遷住す。左衞門太夫治豊の時,□(浪?)士城山眼道なる者系譜及累代寳器を盗み去る。依て家系を詳知するを得ざるも足人朝臣より治豊に至る盖し十五世なり。宮内治常に至り御床に遷り住す。因りて氏となす。寺山氏は明治初年に石川姓に改む。
今茲に御床氏家系を列挙せん
(略)
因に十一代治元は国主黒田忠之公の命に応し櫻井神社に奉仕し月俸を賜はりき。
境内神社に。市杵島神社 祭神=市杵島姫命
荒人神社 祭神=天兒屋根命

村社 志々岐神社 糸島郡小富士村大字御床字殿山
祭 神
十城別命
由 緒
白鳳元年肥前國松浦郡志々岐神社より鎮座と旧記に載す。
明治五年十一月三日村社に被定。
社説曰く,天智天皇の御代太宰観世音創建の時本尊にせんとて唐土より阿弥陀佛を取寄せ博多の津に向ふ所海上風波の為甚ざ危かりしに由り,平戸志々岐神社を船中に勧請し幸に恙なきを得て,唐津東海岸寺山の里に着す。後世佛像は太宰府に移し,敷鐵のみは久しく此所に留まりしに,後加也山南麓に移し御床と称したり,附近の名称概ね之に因むとあり。佛像は木造に改められ清賀上人作とも言ふ,大正三年四月國寳に指定せらる。
御床は幕政時代大庄屋の居住地として,海埋立九十二丁六反餘歩に上り,内二反二畝歩と年々現米一石三斗二升を神社に奉納し,旧暦九月十九日並に十二月初丑の日の新嘗祭は神宮大前の儀に倣ひ前夜丑の時祭を嚴行し,附近庄屋並びに神主集りて祭儀に参加したりと。
例祭日
十月十九日
主なる建造物
本殿,渡殿,拝殿,社務所,石鳥居,注連掛石
境内坪数
五十九坪
氏子区域及戸数
大字御床一般八十戸
摂社
市杵島神社(市杵島姫命)
荒人神社(天児屋根命)




福岡県糸島市志摩御床
July 26,2014

NIKON D3S



by sora07jp2000 | 2014-08-11 07:53 | 神社 | Comments(0)


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