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2016年 06月 02日

射手引神社 3 福岡県嘉麻市上山田 2016.04.29

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須賀神社
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射手引神社 獅子舞
毎年七月中〜下旬参白間に亘り執り行われる
祗園祭に相俟って
五穀豊穣
病魔退散
子孫繁栄
家内安全
等を祈念して各戸毎に獅子舞を為す
楽は篠笛、和太鼓により構成され
円舞曲 以外に移動中に奏する
五曲の囃子を組み合わせた
道囃子 があり
演舞は代表的な物に
イキヌキ
カカリ
宮移り等が存する

宮移り
祭禮最終日、獅子は御遷宮の際神社に致着するも
雌獅子は
祭禮中に里に馴染み還るのを嫌がり
引き返そうとする
神の元へ早く戻ろうとする雄獅子が
叱咤し
時に優しく励まし
愛咬しながら
神殿に連れ還る様を表したものである
暗闇の中、風に揺れる木々の枝々や
竹の葉が擦れざわめく音を背景に
約弐時間 かけ
炬火 提灯 に照らされた
約百参拾段の石段 を
纏綿と舞登る様は獅子演舞の白眉である
上山田獅子組 頭領 松岡広樹
大橋獅子組 頭領 坂本貴弘
外獅子組一同
森 美佐子 謹書

境内掲示版

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福岡県嘉麻市上山田
April 29.2016

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by sora07jp2000 | 2016-06-02 03:31 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 06月 01日

射手引神社 2 福岡県嘉麻市上山田 2016.04.29

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郷社 射手引神社 嘉穂郡山田町大字上山田字杉町
祭 神
仲哀天皇、神功皇后、中筒男神、罔象女神、高龗神、手力男神
由 緒
当神社は古は貴船宮香椎宮と称し格別の神社なりしが宝暦十年十一月三日両神社を合併し社殿を改築して一社となし社号を射手引神社と改称せりと御神体背面に記して曰く勧請高雨(以下不明)者霖雨炎(不明)聞神験応最顯孫六矢的国川之里至神像造之云々安元乙丑年六月(以下不明)とあり、又一体に罔(摩滅不明)久安元(不明)孫(不明)者とあり手力男神御神体に曰く手力大明神謹請静(不明)給定給云々上村小山(不明)明神云々応永八年二月とあり(附記以上三柱の神を貴船宮として勧請せり)香椎宮の御神体に曰く詞志聖母大明神神武運長久国家穏云々中納言隆景賽曰云々天正十六年十一月吉日又一体には天正十六子年十一月吉日とあり。
仲筒之男大神の背面に元和三年十一月吉日とあり(以上三神を香椎宮として勧請せり。
文明十六年九月貴船宮祠殿再建あり其棟札に奉再立貴布禰大神宮祠殿一宇云々神主大里右京大夫告文願主上山田村産徒中云々文明十六甲辰歳九月吉祥日
享保元年石鳥居建設あり其文に香椎宮云々奉創建華表一基筑前州嘉穂郡上山田村大塚助五郎維時享保元甲辰年春三月吉祥日元禄五年十一月香椎宮社殿再建の棟札あり曰く
奉造營香椎聖母大明神槌壇清廟一亭云々願主筑前州嘉穂郡上山田村松岡又次郎同與三郎云々元禄壬申年十一月吉日
宝暦十年社殿再建の棟札あり文に奉再興(香椎聖母 貴船神社)祠檀一宇産子中云々祠官大里若狭守藤原吉保云々宝暦十年庚辰年十一月三日願主筑前州嘉穂郡上山田村庄屋松岡甚五郎云々とあり(附記此時より両神社を合併し射手引神社と改称せりと)安永三年五月石鳥居建立す文に両神宮云々本郡當邑産子中創立云々祝部大里河内守吉麿云々庄敷松岡彦惣云々安永三年甲午五月吉祥弘化二年福岡藩主当神社を觸悉社に定められ祈願執行仰出られし事も数回にて代参ありて幣帛料を供進せられし事もありき。
明治六年十一月三日村社に列せられる。
明治三十九年六月十一日神殿拝殿改築許可同四十年十月九日落成す願主産子中、昭和四年一月十日郷社に列せらる。
例祭日
四月十九日
神饌幣帛料供進指定
大正四年十一月十日
主なる建造物
本殿、幣殿、拝殿、神饌所、社務所、鳥居、手水舎
境内坪数
千四百四十八坪
氏子区域及戸数
上山田地区 約二千六百戸
境内神社
須賀神社
天神社


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福岡県嘉麻市上山田
April 29.2016

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by sora07jp2000 | 2016-06-01 03:39 | 神社 | Trackback | Comments(2)
2016年 05月 30日

射手引神社 1 福岡県嘉麻市上山田 2016.04.29


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射手引神社
御祭神
旧香椎宮
神功皇后
仲哀天皇
中筒之男命
旧貴船宮
闇淤加美神
高淤加美神
天手力雄命
御由緒
当神社は、古くは香椎宮・貴船宮と称し各々別の神社で、香椎宮は尾浦に貴船宮は柿木に鎮座あったものを、宝暦十年(一七六〇)十一月三日両神社を合祀し、現在地に社殿を改築し一社となし、社号を射手引神社と改称しました。
(社伝)
古処の山麓や当地に住する羽白熊鷲なるもの良民をさいなむ。
神功皇后これを討伐されるおり難渋され給う。
貴船宮の社に休らい給いて、天手力雄命を祀り給い弓矢の加護を祈り給う。
雲々の間の光と共に天手力雄命、天の射手を率いて御加勢給いて征伐かなう。
神功皇后、貴船の神々に天手力雄命を祭神に加え祀り給う。
後に、里人香椎宮より御祭神を頂き尾浦の地に祀り奉る。
境内掲示由緒板

年中行事
元旦祭 一月一日
神幸祭 四月中旬
祗園祭 七月下旬
宮日祭 十月十七日
七五三祭 十一月十五日
大祓式 十二月三十一日
社頭掲示板

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福岡県嘉麻市上山田
April 29.2016

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by sora07jp2000 | 2016-05-30 04:06 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 05月 22日

稲築八幡宮 福岡県嘉麻市漆生 2016.04.29

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稲築八幡宮縁起
創建
康和年間(1099〜1104)
祭神
応神天皇 神功皇后
比咩神
例祭日
十月十五日

神功皇后、軍を大分にて解き給ひ漆生産神の境内にてご休憩ありし時、里人、稲を敷きて御座を勧め奉れり
神の降跡たる秀麗なる山なれども時すぎ、世隔たりければ、汚穢の塵に交わりたらん事を、いといて頂き七尺をうかち、其所に稲一束を埋め、稲築山と号して其の上に社殿を建立し、中に八幡大神をあがめ、左に神功皇后、比咩大神を祝祭し奉る。
稲築の名は之に起因せり。

創建縁起、福岡県地理全誌、稲築町町史
社頭設置縁起碑

 八幡宮縁起の記録に、神功皇后が応神天皇とともに海から都にお帰りになる途中、漆生でお休みになったと言い伝えがあります。しかし、その場所を知っている人はいません。
 ところがこの漆生村で風景の優れた山の頂上を七尺ばかり掘り、ここに稲一束埋め、稲築と号して社殿を建立しました。この社殿が稲築八幡宮のおこりであり。稲築(いなつき)の名のおこりと言われています。
稲築町
社頭設置碑

村社 八幡宮 嘉穂郡稲築村大字漆生字本村
祭 神
應神天皇、神功皇后、比咩大神
由 緒
緣起に昔神功皇后応神天皇の古跡なりといへども厥土知る人なし邑の中に頂き平にして最優なる山あり神の降跡なるべし然れども時すぎ世隔たりければ汚穢の塵に交りたらん事をいとひて頂き七尺を鑿ち其所に稻一束を埋め稻築山と號して其の上に社殿を建立し中に八幡大神を崇め左に神功皇后右に比咩大神を祀祭奉り又云々(祭禮神幸燈のこと略す)天正十五年豊臣太閤秀吉公の御時に至りて(日本大小の社領多く沒収せられしとかや)當社の社領及末社の神田共に殘りなく沒収せられにき然れども村民貧富戮力神田良地を撰みて寄進し奉る八月十五日則ち放生會なれば昔の如く濱殿まで神幸の儀式はなけれども神事怠らず執り行へり云々(以下略す)
緣起の趣は如斯なれども御神禮の背銘に依れば當地宇佐神領となりたるとき神領の守護神として宇佐の神を勸請祭祀したることゝ認めらる緣起の著書は調査の茲に及ばざりしなり其銘文左の如し。
奉納八幡大菩薩稻築宮御神像之事右旨趣者爲祈申武運長久領土安全也抑當宮御神像乃康和年中太宰權帥季仲鄕奉寄綱別新莊于本宮御領之時草造新宮于此地而所奉安置他矣然多經歳月之故所々生損所誠不堪恐懼之由社司才田刑部屢依訴申令安畢、正平十三年戊戌極月旬八日、立岩領主到津大宮司宇佐宿禰公連敬白
寛永年中(漆尾村長政記に據れば寛永十五年十月也)拜殿再建棟札に
奉建立拜殿一宇、本願主當邑庄屋八尋長右エ門尉、村中各抽誠者云々(下略)寛永(此間磨滅)晩秋大吉佳良とあり。
明暦三年神殿再建棟札に奉上棟八幡宮寶殿一宇之事、右之再建立庄屋八尋半四郎中氏子云々(下略)明暦三丁酉十二月二十一日とあり。
元祿十三年神殿再建棟札に奉重建筑前國嘉穂郡漆尾村蓋久矣前是明暦三丁酉年四極下旬邑人改造之爾来曆歳四十餘包舊廟漸𣏓敗於是村民等于材木於直方之有司而相共經之營之云々(中略)郡有司中村玄三安重、母里源三郎久勝云々(下略)とあり附記直方の有司とは直方藩吏なり。
漆尾村長政記寛政十一年の條に此年大旱損なりしが御檢見は不請凡六十七八日旱於當社觸中より祈雨御祈禱御初穂は従御上附り天明六丙午年文月に於當社止雨の御祈禱有其後數度何れも觸中より今は觸中の宗廟と崇む云々。
文化二年拜殿再建棟札に奉再建八幡宮拜殿一宇、神主西田出羽守藤原重廣、大保正野見山與平治源正壽、村長野見山與市郎賢施主氏子中云々(下略)文化二乙丑年三月上九良辰とあり。附記漆生村長政記とは慶長五年より寛政十二年まで二百一年間漆生村に關する租税、土木、神社等のことを記したるものにて兩年號の一字を採りて長政記と題したるものなり、明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日
十月十五日
神饌幣帛料供進指定
明治四十四年二月十六日
主なる建造物
神殿、幣殿、拜殿、社務所
境内坪数
千三百坪
氏子區域及戸數
稲築町漆生 氏子戸數六百戸
境内神社
大行事神社
鬼門神社
天滿宮
末社
貴船神社


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福岡県嘉麻市漆生
April 29,2016

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by sora07jp2000 | 2016-05-22 03:47 | 神社 | Trackback | Comments(2)
2016年 01月 28日

横山神社 福岡県福岡市早良区脇山


福岡市早良区脇山。
油山の南の麓。
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横山神社。
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横山神社
祭 神
奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)
市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)
多岐津比売命(たぎつひめのみこと)

年間行事
一,一月吉日 正月祭
一,八月一日 夏越し祭
一,十月九日 おくんち祭(長寿祈願)
一,十二月三十一日 大晦日

横山三社宮由緒
日本書紀(奈良時代)に,神功皇后新羅の航路を知るため背振山に登られ,小山田邑(脇山)に竹内宿称に命じて斎宮を造らせ,天神地祇を祭り自ら神主となり神教を祈祷,七月七夜の未神が皇后に新教があった。
皇后は神教に従って神々のご援助で新羅王は無血征服,天地のある限り貢すると約束をした。
皇后は新羅王城の門前に持っていられた槍を印に立て,帰国されて二〇一年都に帰られ,二〇二年に斎宮の跡(主基斎田勅定の地)に神社を建立された。
この偉大な神社を,背振神社という,
横山郷八ヶ村百七十町を授けられ,正六位上貞観元年(西暦八五九年)熊野の比兵尼,熊野三神の分霊を祀られた。
貞観十二年(西暦八九〇年)従五位下に昇授,神功皇后筑前に建立七社の随一であった。
長い年月の間には,盛衰があって,天授元年(西暦一三七五年)背振戦争の兵火等で焼失,
慶長四年(西暦一五九九年)小早川秀秋の時,神領もことごとく没収,神社は消滅状態となった。
現産子中で安永八年(西暦一七七九年)己亥現神殿を新築現地に遷座,社名を横山三社宮と改名された。
昭和三年(西暦一九二八年)
主基斎田守護神大鏡福岡県から奉納

平成十六年三月吉日 氏子総代会
境内掲示版

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左,大山積神社,右,天満宮。
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中央,八幡宮,右,宮地嶽神社。
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横山神社(横山三社宮)福岡市早良区脇山
古くから背振山の三神が勧請されたので,江戸時代には横山三社宮,横山三社権現と呼ばれました。ここは,中世以前の東門寺領を管理する。役所があったともいわれています。また「横山」という呼び名は,戦国時代の古文書にみることができます。江戸時代中ごろにも,「脇山郷」は「横山郷」あるいは「横山八か村」ともよばれており,写真にある鳥居の銘文からも,この神社が脇山を中心とした村人達の信仰を集めたことがわかります。
境内掲示物

村社 横山神社 早良郡脇山村大字脇山字大門
祭 神
田心姫命,湍津姫命,市杵島姫命
由 緒
不詳,明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日
 十月九日
神饌幣帛料供進指定
 昭和三年五月十五日
主なる建造物
 神殿,弊殿,拝殿,繪馬殿,通夜堂
境内坪数
 八百坪
氏子区域及戸数
 大字脇山の全部
 二百二十五戸
境内神社
 八幡宮
 菅原神社
 大山積神社

一の鳥居:「起源二千五百五十六年」「横山神社」「維時明治廿九年九月建立 産子中」
二の鳥居:「安永十辛丑三月吉辰 馬男木總次郎秀明」「横山三社宮」「奉寄進 總産子中」
三の鳥居:「明治三十三年四月今(令?)辰」「三社宮」「再建 野田中」
安永十年=1781年

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福岡県福岡市早良区脇山
December 25,2015

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by sora07jp2000 | 2016-01-28 03:44 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2015年 11月 03日

住吉神社 福岡県春日市小倉

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春日市小倉。
住吉神社。
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古代の那国。
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住吉神社
祭神
 表筒男命(うわつつのおのみこと)
 中筒男命(なかつつのおのみこと)
 底筒男命(そこつつのおのみこと)
由緒不詳なるも往昔此の地住吉神社の神領なりし故其に依り勧請せしものなりと云わる
例祭
 十月十七日
特殊神事
 嫁詣一月十四日
相殿に八龍明神を奉齋する
祭神 高龗神(たかおかみのかみ)
平成二十五年一月吉日
春日市小倉住吉神社氏子総代會
拝殿掲示版

小倉 住吉神社
小倉(こくら)住吉神社(すみよしじんじゃ)の由緒(ゆいしょ)
 住吉神社の創立年月日は,不詳です。
 江戸時代の古い書物,『筑前国続風土記附録』によると「小倉の産土神(うぶすながみ)(生まれた土地の守り神)です。祭神は,海の神さまの住吉三神(表筒男命(うわつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・底筒男命(そこつつのおのみこと))です。小倉村は古(いにしえ)は,博多住吉村住吉神社の神領であったので,勧請(かんじょう)(祭神を移して祭ること)しました。祠(ほこら)は村の南,林中にあり。」と書かれています。

幵八龍宮(はちりゅうぐう)
 創立年月日は,不詳です。祭神は,高龗神(たかおかのかみ)です。明治四十四年(一九一一)字堂園(どうぞの)に在った八龍宮を住吉神社に移して一緒に祭りました。雨乞(あまご)い祈願をした神さまで,水利の便が悪い小倉村ならではの神社です。

幵例祭
虫祭り(虫追い籠り)・・・・・七月二十八日
宮 座(例祭日)・・・・・・・十月十七日

幵宮座の祭礼
 十月十七日,氏子総代をはじめ,宮座によって,昔からしきたりに従い,半煮えの献立と『牛の舌餅(うしのしたもち)』を御供えして,祭礼をします。

〜神功皇后(じんぐうこうごう)にまつわる言い伝え〜
 昔,神功皇后が三韓(さんかん)(現在の朝鮮半島南部)に遠征(えんせい)の途中,此の村に立ち寄り休憩された時に村人は,長旅の苦労をねぎらうため,誠意をこめて,もてなしました。しかし急ぎの事で時間がなく,料理は半煮え,餅は柔らかすぎて牛の舌のような形になりましたが,そのまま藁苞(わらづと)に包んでお持ち願い,前途のご無事を祈りました。この心温まる氏子の接待方法が,宮座のお供えの,しきたりとなって,今日まで受け継がれています。

祭礼膳(さいれいぜん)

祭礼膳は,柿・栗・切りまびき(魚)・里芋・切り餅一つ一つ串に刺した物を,大根の葉茎を束ねた物に立てて置きます。牛の舌餅は,ワラで餅を十文字に結び,その上に柳箸を置きます。
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神さまにお供えした祭礼膳と牛の舌餅は藁苞に入れて持ち帰り家族と共食します。

幵小倉の左義長(さぎっちょう)(どんど焼き)
 小正月の十四日夜,神社の境内に,竹でやぐらを組んで,行われる火祭りです。正月に飾った門松や,しめ飾りなど持ち寄って一緒に焼きます。子どもの書いた書初めを竹の先につけて燃やします。書き初めは,火の勢いで空高く舞い上がり,高く上がれば上がるほど習字が上手になると言われています。人々は燃え盛る火に五穀豊穣・家内安全・無病息災…と,願いをこめて祈ります。
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住吉神社境内で行われる『左義長』です。

幵嫁(よめ)ごの尻(しり)たたき
 小倉に江戸時代から伝わる新年の行事で,十四日夜,この一年間に結婚した花嫁さんは,姑(しゅうとめ)さんにつれられて,住吉神社にお参りし,そこでお神酒(みき)をいただきます。このお神酒をいただいた事により,はじめて『氏子(うじこ)』となります。そして,左義長の火のそばで,村の子ども達が,ワラで作った棒で,盛装した花嫁のお尻をたたくと云う行事です。嫁が家に居着くよう,子宝に恵まれますようにと願い,村の一員として新妻を歓迎し,紹介することが目的です。

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 子ども達は,小正月の1月14日の夜になると,住吉神社に集まり,左義長に参って来る「嫁ごさん」の尻をワラの棒で,たたいてまわります。

境内掲示版

村社 住吉神社 筑紫郡春日村大字小倉字村中

祭 神
 表筒男命,中筒男命,底筒男命,高龗神
由 緒
 不詳,明治五年十一月三日村社に定めらる。
祭神高龗神は同大字々トヲソノに無格社八龍神社として祭祀ありしを明治四十四年十二月二十二日合併許可
例祭日
 九月九日
主なる建造物
 神殿,弊殿,拝殿
境内坪数
 四百七十四坪
氏子区域及戸数
 小倉 百三十戸

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春日市文化財ガイドブック(PDF 10メガバイト

Panoramio 石津安信:Explorer



福岡県春日市小倉
October 03,2015

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by sora07jp2000 | 2015-11-03 04:08 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2015年 06月 21日

天満貴船神社 福岡県福岡市東区青葉

福岡市東区青葉
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天満貴船神社
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八田天滿貴船神社縁起

祭神
高龗大神 たかおかみのおおかみ
菅原神  すがはらのかみ
罔象女神 みずはのめのかみ

八神
高皇産霊  たかむすびのかみ
神皇産霊  かみむすびのかみ
魂留皇産霊 たまつめむすびのかみ
生産霊   いくむすびのかみ
皇産霊   たるむすびのかみ
大宮賣神  おおみやのめのかみ
御膳神   みけつのかみ
事代主神  ことしろぬしのかみ

由緒
貴船神則ち高龗大神は龍神にして罔象女神と御共に雨水を掌り給い古來より五穀神と共に農耕民の尊崇特に篤い神にまします
抑も貴船神を此の地に勧請祭祀の起源については余りにも古く古代の社記等紛失の為不明であるも古き里人が諸神祭祀に先立ち此の地を鎮め五穀豊穣を衷心より祈誓し祭りきたりし神霊と拜される
八神 そのかみ神武天皇肇国の砌り祭り給いし八柱の神祇にあらせられる
神功皇后 皇后は仲哀天皇崩御の後御祈願の趣きあらせられて此所に尊神の高皇産霊を始め八神の天神地祇を奉斎し給う 皇后は八神を斎き祭るにあたりて八つの御供田を奉り給う 此の故に八田の地名が起きたと傳えらえる 此の八神の天神は鎮護国家天下万民至福至善の御神にましまして住民いと高き産霊と敬い拜し折節の祭り事は今に至るも絶える事無く厳粛にとり行われている
菅原神 平安初期醍醐天皇の御宇に菅原道眞公藤原時平の讒言にあい筑紫大宰府に左遷となりし時香椎潟より上らせられ香椎宮に参詣し給う 後に此の社に詣でられ自らの罪無き由を神祇に深く誓わせられ小松を手折りて我が願事達しなば此の松必ず栄ゆべしと祈り御社前に挿させ給う 松は根入り栄えて道眞公薨去の後里人は此の松を菅公の御神木 枝挿しの松 と慈しみきたるも昭和初期の頃惜しくも枯れて謂れのみ語り継がれている
尚御社殿にありては 中の間は八神 左の間は神功皇后 右の間は天滿天神 三座にして十神御鎮座まします
諸記録より謹記
西暦二〇〇四年秋吉日

境内由緒碑

天神社 菅原神,罔象女神 多々良村大字八田字天神山
福岡県神社誌 下巻

鳥居:「維持大正四年十一月」「天満 貴船(並記) 神社」「御大典奉祝記念建之」

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Panoramio 石津安信:Explorer



福岡県福岡市東区青葉
May 25,2015

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by sora07jp2000 | 2015-06-21 02:47 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 29日

大根地神社 2 福岡県飯塚市内野

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Panoramio 石津安信:Explorer



福岡県飯塚市内野
April 18,2015

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by sora07jp2000 | 2015-05-29 04:10 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 28日

大根地神社 1 福岡県飯塚市内野

冷水峠100m程手前を林道へ。
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宝永2年1705年,黒田綱正寄進の無銘の鳥居。
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明治12年のきつね。
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社殿ははるか先。
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この先で,斜度がきつく上れないのであきらめて車停めて歩く。
4駆は平気で上がっていっった。
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何とか到着。

大根地神社の由緒
大根地神社は,天神七代,地神五代の大神をお祭りしています。社伝によれば「人皇第十四代仲哀天皇の九年三月八日神功皇后羽白熊襲御征伐のとき,大根地山に登り天神七代,地神五代を大根地大神として祭り,親から神楽を奏し勝ち軍を祈り宿陣す,その霊験著しく容易に熊襲の諸賊を誅滅す」と伝えられ,いとも御由緒の顕著なる神社であります。
その後,建久三年に須佐之男命,大市姫命の二柱の神を合祀し,雲閣稲荷大神と称え奉る。
古老の口碑によりますと「建久三年富士山に在ること,壱千有余才の神通自在の白狐が源頼朝公富士山に御猟の評定がありしときに,この山を発し筑紫の内野の根地岳に移り給う」と伝えられ,根地雲鶴大明神と称え,その後,九州の稲荷の別当の官を崇め奉る。
宝永二年三月筑前の国主黒田綱正公が当山に御猟のとき,不足の御霊験を感じ同年九月石鳥居一門を御寄進されました。(俗に無銘の鳥居という,現在の冷水峠の参道入口にあります)その後当神社のお札(ふだ)を嘉麻,穂波両郡〔現在の飯塚,山田両市及び嘉穂郡)にあまねく領布することを許されました。
明治二十二年一月十七日京都の伏見稲荷大社の御分霊を勧請し此を別当稲荷大明神と称えられる。この三社を総称して大根地神社,大根地三柱大神と申し上げていますが崇敬者の間には大根地さま,お稲荷さま,大根地稲荷さま,大根地大明神さまと崇められ,五穀豊穣,商売繁盛,海上安全,招福除災,交通安全,人生儀礼,諸祈願達成のため厚い信仰をあつめています。
大祭は,二月初午
    四月七日,八日,九日の三日間の神幸春季大祭
    七月土用のうまの日の夏祭
    九月二十五日の秋祭が行はれます。
中祭は,一月一日と天皇誕生日に行はれます。
毎月一日と十五日には月次祭が行はれます。
  昭和五十一年六月吉日
   宮司 𠮷田永美
   奉納者 博多区住吉三丁目八番三〇号
      善水フサノ

境内掲示由緒板


Panoramio 石津安信:Explorer



福岡県飯塚市内野
April 18,2015

NIKON D3S



by sora07jp2000 | 2015-05-28 03:52 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 17日

「神功皇后伝承を歩く」掲載神社へのリンク表

はじめに

 撮りに行った神社の事を調べていて「ひもろぎ逍遙」さんに辿り着きました。そこで神功皇后のことを知り,その足跡を撮り歩いてきています。
 この度,「神功皇后伝承を歩く」が目出度く刊行されました。そこで,ご許可を頂き,目次に沿って拙ブログへのリンク表を作りました。記事には「ひもろぎ逍遙」さんへのリンクもあります。
 写真中心で,神社の歴史等は記していません。詳しくは,「ひもろぎ逍遙」さんや「神功皇后伝承を歩く」を御覧下さい。そして,是非,実際に神社にお詣りください。



   〜「神功皇后伝承を歩く」リンク表〜

上巻

豊浦宮での軍備と戦い

1. 忌宮神社    下関市 仲哀天皇は豊浦宮で天下を治めた

2. 一宮神社    北九州市八幡西区 神功皇后は神武天皇の旧跡で祈った

3. 勝山勝田神社  北九州市八幡東区 皇軍の旗竿を切り出した

4. 織幡神社    宗像市 神功皇后と竹内宿禰が紅白の軍旗を織らせた

5. 縫殿神社    福津市 皇軍の船の帆を織った神が祀られている

香椎宮への遷都 水路

6. 飛幡八幡宮   北九州市戸畑区 仲哀天皇は千曳の岩で岐の神を祀った

7. 若松恵比須神社 北九州市若松区 竹内宿禰は霊石に前途の安全を祈願した

8. 魚鳥池神社   北九州市若松区 洞の海で神功皇后の船が進まなくなった

9. 貴船神社    北九州市若松区 神功皇后は入江の奥で貴船の神を祀った

10. 岡湊神社    遠賀郡芦屋町 岡の湊で仲哀天皇の船が進まなくなった

11. 高倉神社    遠賀郡岡垣町 男女の二神が天皇の船を引き止めた 

12. 神武天皇社   遠賀郡芦屋町 仲哀天皇と皇后は神武天皇ゆかりの泉で宗像三女神を遥拝した

13. 埴生神社    中間市 仲哀天皇と皇后が航海の安全を祈った

14. 鏡山大神社   田川郡香春町 神功皇后は自分の御魂を鎮めた鏡を祀った

15. 撃鼓神社    飯塚市 太鼓と笛の神が神功皇后の神楽の囃子を指導した 

16. 正八幡神社   田川郡川崎町 田原麻瑠は皇后の三韓征討に随行した  

17. 剣神社     鞍手郡鞍手町 神功皇后が日本武尊の旧跡で祈った

香椎宮への遷都 陸路

18. 古物神社    鞍手郡鞍手町 仲哀天皇と神功皇后の行在所

19. 神崎神社    鞍手郡鞍手町 神功皇后が通過した

20. 春日神社    宮若市 神功皇后の馬の鞍を大楠に掛けた

21. 笠松神社    宮若市 神功皇后が笠を松の木に掛けた

22. 若八幡宮    宮若市 神功皇后がここに立ち寄った

23. 山口八幡宮   宮若市 神功皇后がここで休んで見坂峠に向かった

香椎宮での軍備

24. 香椎宮     福岡市東区 仲哀天皇は香椎宮で天下を治めた

25. 皇石八幡宮   古賀市 仲哀天皇と皇后が軍事訓練を見守った

26. 高良玉垂宮   久留米市 神功皇后は神籠石に祈った

27. 味水御井神社  久留米市 神功皇后が朝妻で水を所望した

28. 高祖神社    糸島市 神功皇后は五十迹手の奉斎する宮で祈願した

29. 三坂神社    糸島市 雷山に入山した神功皇后がここで休息した

30. 雷神社     糸島市 神功皇后は三韓攻撃の成功を祈った

31. 雉琴神社    糸島市 日本武尊が夢枕に立って皇后に戦法を授けた

仲哀天皇の崩御

32. 宇美八幡宮   糸島市 にわかに崩御した仲哀天皇を仮埋葬した

33. 御勢大霊石神社 小郡市 仲哀天皇は敵の矢に討たれた

34. 隼鷹神社    小郡市 鷹となって現れた高木の神を皇后は祀らせた

35. 五所八幡宮   古賀市 神功皇后が竜輿を休めた

36. 小山田斎宮   古賀市 神功皇后は祟る神々の名を尋ねた

37. 斎宮      糟屋郡久山町 香椎宮から皇宮を遷した

38. 天照皇大神宮  糟屋郡久山町 神功皇后は天照大神を祀った

39. 黒男神社    糟屋郡久山町 竹内宿禰は斎宮を守るために陣営を固めた  

羽白熊鷲との戦い

40. 砥上神社    朝倉郡筑前町 神功皇后は軍衆に武器を砥ぎ磨かせた

41. 松峡八幡宮   朝倉郡筑前町 神功皇后が羽白熊鷲と戦うために宮を建てた

42. 大己貴神社   朝倉郡筑前町 軍士たちが逃げ出したので皇后は大三輪の神を祀った

43. 美奈宜神社(林田)朝倉市 川蜷が一夜で城を築いた

44. 老松神社    朝倉市 皇后軍は陣営「三府の森」を敷いた

45. 垂裕神社    朝倉市 皇后軍は陣営「梅園の森」を敷いた

46. 秋月八幡宮   朝倉市 皇后軍は陣営「宮園の森」を敷いた

47. 粟島神社    朝倉市 神功皇后が松に鎧を掛けて休息した

48. 喰那尾神社   朝倉市 神功皇后が戦勝祈願をして陣を敷いた

49. 矢埜竹神社   朝倉市 皇后軍が矢竹を刈り取った

50. 羽白熊鷲塚   朝倉市 羽白熊鷲は矢に射られて死んだ

51. 美奈宜神社(寺内)朝倉市 神功皇后は神々に戦勝の奉告をした

下巻

田油津姫との戦い

52. 太刀八幡宮   朝倉市   神功皇后は田油津姫攻撃に向けて太刀を奉納した

53. 福成神社    朝倉市   神功皇后は宗像三女神に祈った

54. 松尾宮     筑紫野市  神功皇后はお腹が痛くなった

55. 老松神社    小郡市   神功皇后は武内宿禰に不動岩を祀らせた

56. 赤司八幡神社  久留米市  水沼の君は神功皇后を有明海まで渡し,のちに皇后は蚊田で出産した

57. 弓頭神社    久留米市  国乳別皇子は弓大将として参戦した

58. 鷹尾神社    柳川市   漁人たちはブリ料理とハンヤ舞で皇后を迎えた

59. 老松神社    みやま市  田油津姫の墓と言われる蜘蛛塚

60. 若八幡神社   田川市   皇后軍は夏羽を亡ぼした

新羅戦の準備

61. 浮嶽神社    糸島市   神功皇后は浮嶽山頂で祈願をした

62. 鎭懐石八幡宮  糸島市   神功皇后は石を腰に挟んで出産の遅れを祈った

63. 染井神社    糸島市   皇后がウケヒで白糸の鎧を井戸につけると赤く染まった

64. 伏見神社    筑紫郡那珂川町 神功皇后が馬で川を渡るとナマズが鞍に飛び上がった

65. 現人神社    筑紫郡那珂川町 神功皇后は住吉三神のために神田を開いた

66. 裂田神社    筑紫郡那珂川町 武内宿禰が祈ると雷が大岩を打ち砕いた

67. 御島神社    福岡市東区 神功皇后は髪をすすぐと美豆良に結った

68. 大神神社    福岡市東区 軍勢が集まらなかったので皇后は大物主神に祈った

69. 宮地嶽神社   福津市   神功皇后は宮地岳に登って神々に祈った

70. 楯崎神社    福津市   神功皇后は盤座で大巳貴神に祈った

71. 志賀海神社   福岡市東区 阿曇磯良丸は皇后の御座船の舵取りとなった

72. 志式神社    福岡市東区 神功皇后は荒ぶる神々に神楽を奏した

新羅への出港と帰還

73. 名島神社    福岡市東区 従軍将士たちはここで氏名を名乗って乗船した

74, 小戸大神宮   福岡市西区 神功皇后はここから出港して,帰港した

75. 綿津見神社   福岡市東区 海神に捧げられた苫が三枚ここに流れ着いた

76. 鳥飼八幡宮   福岡市中央区 村人が神功皇后に夕べの御膳を奉った

77. 風浪宮     大川市   神功皇后は阿曇磯良丸に少彦命を祀らせた

78. 大善寺玉垂宮  久留米市  高良玉垂命は御座船を楠につないだ

出産

79. 日守八幡宮   糟屋郡粕屋町 神功皇后は日を見守った

80. 駕輿八幡宮   糟屋郡粕屋町 駕輿丁たちは皇后の御輿を担いだ

81. 旅石八幡宮   糟屋郡須惠町 神功皇后は「わびし」とつぶやいた

82. 宇美八幡宮   糟屋郡宇美町 神功皇后は誉田別皇子を出産した

83. 筥崎宮     福岡市東区  応神天皇の胞衣を埋納した

豊浦宮帰還へ

84. 大分八幡宮   飯塚市    神功皇后は軍隊を解散した

85. 曩祖八幡宮   飯塚市    神功皇后は将士たちとの別れの宴を催した

86. 綱分八幡宮   飯塚市    神功皇后は金工に宝剣を作らせて祭祀した

87. 日若(日少)神社 飯塚市   神功皇后は霊泉でミソギをして皇子の将来を祈った

88. 位登八幡神社  田川市    神功皇后は皇子と共に半年滞在した

89. 風治八幡宮   田川市    神功皇后は嵐が止むように祈った

90. 生立八幡神社  京都郡みやこ町 皇子が皇后の膝に手をかけてたち上がった

香坂王・忍熊王との戦いの準備

91. 到津八幡神社  北九州市小倉北区 神功皇后の御座船が港に着いた

92. 仲宿八幡神社  北九州市八幡東区 神功皇后は熊鰐の館で中宿りして忌み籠もりをした

93. 豊山八幡神社  北九州市八幡東区 神功皇后は熊鰐から皇子の御衣を贈られた

94. 旗頭神社    北九州市八幡西区 武内宿禰がここに陣営を敷いた

95. 乳山八幡宮   北九州市八幡東区 神功皇后は皇子に乳を与えた

96. 篠崎八幡神社  北九州市小倉北区 皇后は皇子を立たせて群臣に「穴門は近し」と言った

97. 熊野神社    北九州市八幡西区 謀反を聞いて皇后は皇子の安泰を祈った

98. 住吉神社    遠賀郡遠賀町   神功皇后は松を植えて住吉大神を祀った

99. 甲宗八幡宮   北九州市門司区  三韓からの朝貢船が門司ヶ関に泊まった

100. 和布刈神社   北九州市門司区  神功皇后は比売神と安曇磯良たちを祀った



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by sora07jp2000 | 2015-05-17 05:12 | 神社 | Trackback | Comments(2)