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2016年 01月 28日

横山神社 福岡県福岡市早良区脇山


福岡市早良区脇山。
油山の南の麓。
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横山神社。
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横山神社
祭 神
奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)
市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)
多岐津比売命(たぎつひめのみこと)

年間行事
一,一月吉日 正月祭
一,八月一日 夏越し祭
一,十月九日 おくんち祭(長寿祈願)
一,十二月三十一日 大晦日

横山三社宮由緒
日本書紀(奈良時代)に,神功皇后新羅の航路を知るため背振山に登られ,小山田邑(脇山)に竹内宿称に命じて斎宮を造らせ,天神地祇を祭り自ら神主となり神教を祈祷,七月七夜の未神が皇后に新教があった。
皇后は神教に従って神々のご援助で新羅王は無血征服,天地のある限り貢すると約束をした。
皇后は新羅王城の門前に持っていられた槍を印に立て,帰国されて二〇一年都に帰られ,二〇二年に斎宮の跡(主基斎田勅定の地)に神社を建立された。
この偉大な神社を,背振神社という,
横山郷八ヶ村百七十町を授けられ,正六位上貞観元年(西暦八五九年)熊野の比兵尼,熊野三神の分霊を祀られた。
貞観十二年(西暦八九〇年)従五位下に昇授,神功皇后筑前に建立七社の随一であった。
長い年月の間には,盛衰があって,天授元年(西暦一三七五年)背振戦争の兵火等で焼失,
慶長四年(西暦一五九九年)小早川秀秋の時,神領もことごとく没収,神社は消滅状態となった。
現産子中で安永八年(西暦一七七九年)己亥現神殿を新築現地に遷座,社名を横山三社宮と改名された。
昭和三年(西暦一九二八年)
主基斎田守護神大鏡福岡県から奉納

平成十六年三月吉日 氏子総代会
境内掲示版

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左,大山積神社,右,天満宮。
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中央,八幡宮,右,宮地嶽神社。
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横山神社(横山三社宮)福岡市早良区脇山
古くから背振山の三神が勧請されたので,江戸時代には横山三社宮,横山三社権現と呼ばれました。ここは,中世以前の東門寺領を管理する。役所があったともいわれています。また「横山」という呼び名は,戦国時代の古文書にみることができます。江戸時代中ごろにも,「脇山郷」は「横山郷」あるいは「横山八か村」ともよばれており,写真にある鳥居の銘文からも,この神社が脇山を中心とした村人達の信仰を集めたことがわかります。
境内掲示物

村社 横山神社 早良郡脇山村大字脇山字大門
祭 神
田心姫命,湍津姫命,市杵島姫命
由 緒
不詳,明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日
 十月九日
神饌幣帛料供進指定
 昭和三年五月十五日
主なる建造物
 神殿,弊殿,拝殿,繪馬殿,通夜堂
境内坪数
 八百坪
氏子区域及戸数
 大字脇山の全部
 二百二十五戸
境内神社
 八幡宮
 菅原神社
 大山積神社

一の鳥居:「起源二千五百五十六年」「横山神社」「維時明治廿九年九月建立 産子中」
二の鳥居:「安永十辛丑三月吉辰 馬男木總次郎秀明」「横山三社宮」「奉寄進 總産子中」
三の鳥居:「明治三十三年四月今(令?)辰」「三社宮」「再建 野田中」
安永十年=1781年

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福岡県福岡市早良区脇山
December 25,2015

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by sora07jp2000 | 2016-01-28 03:44 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 21日

大山祇神社 福岡県福岡市早良区小笠木

早良区小笠木,小笠木川の畔。
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村社 大山積神社 早良郡脇山村大字小笠木字栗原
祭 神
 大山津見命,岩永姫命,五穀三神
由 緒
 不詳,明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日
 十月九日
境内坪数
 九百六十九坪
氏子区域及戸数
 小笠木區 戸数三十五戸
末 社
 菅原神社

福岡県神社誌 中巻

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福岡県福岡市早良区小笠木
December 25,2015

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by sora07jp2000 | 2016-01-21 05:10 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 03月 31日

野芥櫛田神社(櫛田神社 福岡県神社誌) 福岡県福岡市早良区野芥

海神社から263号に戻って北へ。
すぐに東,住宅街の中。
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櫛田神社。
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景行天皇18年の伝承あり。
この地の賊を大若子命に討たせた。
大若子命は日本武尊かな。
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御祭神, 天照皇大神,大若子命,天児屋根命 
手力男命,倭姫命

社頭掲示由緒より。福岡県神社誌には下記二神は無かった。

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西,僅かに南寄りに向いた社殿。
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恵比須神社。
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稲荷社。
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境内南の丘の上の社日社。
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北を見る。
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鳥居は北向き。

村社 櫛田神社 早良郡田隈村大字野芥字宮の下

祭 神
大若子命,天照皇大神,天児屋根命
由 緒
不詳,往古は六号の郷社のと伝承す。明治五年一月三日村社に定めらる。 尚社説に曰く,景行天皇十八年筑紫の諸国御巡狩,地御通輦の祭此の地に強賊蟄居し居ることを聞召され早速大若子命に命し強賊を征討せられたり。此時より能解の名ありとも伝う。此縁起によりて櫛田宮は当地に勧請せられたると続風土記拾遺に出たり。
天慶二年壬亥(付記,天慶二年は己亥の年なり)三月十五日再建とあれば天慶以前の鎮座なり。
特殊祭事
七月十五日以前は山笠ありて盛なる祭ありしが,今は名残の棒のみありて山笠なし。
例祭日
一〇月一九日
神饌幣帛料供進指定
大正十五年四月十五日

主なる建造物
本殿,渡殿,拝殿,社務所,通夜堂
主なる宝物
棟札二
境内坪数
千五十坪
氏子区域及戸数
野芥区,千隈区 凡六十戸余
境内神社
恵比須神社
稲荷神社
地禄天神社(鳴神,庚申)
末社
社日社

天慶二年=939年

野芥 櫛田神社
一,祭神
天照皇大神,大若子命(ヲヲワカコノミコト),天児屋根命(アマノコヤネノミコト)
手力男命(タヂカラオノミコト),倭姫命(ヤマトヒメノミコト)
一,由緒(古事記,続風土記拾遺,神社誌より抜粋要約)
皇普十二代景行天皇十八年此ノ地方ニ強賊蟄居シ在リ即チ勅シテ大若子命に征誅セシメラレコレガ縁起ニテ当地(能解)ニ勧請セラレ後チ天慶二年再建ノノチハ早良六郷ノ郷社トシテ鎮座シ給エリト伝承ス即チ往古ニ算スレバ其ノ創祀ハ実ニ一千三百年ノ大和朝ノ時代ナリト。

一,境内神社 末社
恵比須神社 稲荷神社
地禄天神社(鳴神,庚神)社日社
一,主ナ祭祀ト行事
一月一日 年始祭
一月十日 十日恵比須祭
二月一日 御饘(※粥)開(供エタ饘(※粥)(堅□ニ炊イタ粥コ□□□黴の生具合ニヨリ当年稲作ノ吉凶ヲ占フ)
五月二日 八十八夜(厄年祓神事)
七月十五日 獅子舞
十月十三日 御注連飾シ
十月十九日 例大祭(おくんち)
十一月十五日 七五三祭
十一月二十三日 新穀感謝祭
社頭掲示由緒

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福岡県福岡市早良区野芥
February 22,2014

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by sora07jp2000 | 2014-03-31 06:14 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 03月 30日

海神社 福岡県福岡市早良区西油山

保食神社からまた室見川渡って263号を北へ。
重留から東に入り住宅街。
その更に奥,西油山の集落の先。
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海神社,「わたつみ」神社だと思う。
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険しい階段。
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山頂。
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大きい。
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御祭神,底津少童命,中津少童命,上津少童命。
綿津見の神,しかし,珍しい表記だと思う。
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神拝詞
祓詞(はらへことば)
掛けましくも畏(かしこ)き伊邪那岐(いざなぎの)大神(おおかみ)筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘小戸(たちばなのおど)の阿波岐原(あはぎはら)に御禊(みそぎ)祓へ給ひし時に生(な)り坐(ま)せる祓戸(はらへど)の大神等(おほかみたち)諸諸(もろもろの)の禍事(まがごと)罪穢(つみけがれ)有らむをば祓へ給ひ清め給えと白(まを)す事を聞こし食(め)せと恐(かしこ)み恐(かしこ)み白(まを)す
神社拝詞
掛けましくも畏(かしこ)き海神社(わたつみじんじゃ)の大前(おほまえ)を拝(おろか)み奉(まつ)りて恐(かしこ)み恐(かしこ)み白(まを)さく大神等(おほかみたち)の広き厚き御恵(おめぐみ)を仰(あふ)ぎ奉(まつ)り直(なほ)き正しき真心もちて誠(まこと)の道に違(たが)うことなく負い持つ業(わざ)に励ましめ給ひ家門(いえかど)高く身健(みすこやか)に世のため人のために尽くさしめ給へと恐(かしこ)み恐(かしこ)み白(まを)す
略拝詞
祓へ給へ清め給へ守り給へ幸(さきは)へ給へ

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北西を向いている。
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本殿。
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背面。
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境内社。
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同じく。社名は分からず。
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村社 海神社 早良郡田隈村大字西油山字京山
祭 神
底津少童命,中津少童命,上津少童命
由 緒
不詳,明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日
十月十九日
主なる建造物
神殿,渡殿,拝殿
主なる宝物
棟札一
境内坪数
千二百九十坪
氏子区域及戸数
西油山区 およそ二十八戸
境内神社
埴安神社(埴安大神)

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福岡県福岡市早良区西油山
February 22,2014

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by sora07jp2000 | 2014-03-30 05:24 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 03月 30日

保食神社 福岡県福岡市早良区西入部

老松神社から西へ。
室見川渡る。
西入部,西山の北にある小山。
細く急な車道を上る。
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山頂に社殿。
保食神社。
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こちらが本来の参道。
入口が分からなかった。
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御祭神,宇賀之魂神

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スダジイ
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能古の島,志賀島から立花山まで見える。
建物がなければ博多湾も見えるはず。

「保食神社 宇賀之魂神 早良郡入部村大字西入部字浦江」
福岡県神社誌 下巻

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福岡県福岡市早良区西入部
February 22,2014

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by sora07jp2000 | 2014-03-30 04:35 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 03月 30日

老松神社 (老松天神社 福岡県神社誌) 福岡県福岡市早良区東入部

荒平山西麓,東入部の交差点を西に入った住宅街の中。
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老松神社。
福岡県神社誌には「老松天神社」とあった。
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額は「老松宮」
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菅原道真手植えの松を祀っていた。
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御祭神,天滿天神,老松殿,紅梅殿。
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安政二年(1855年),奉納の絵馬。

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こちらには嘉永四年(1849年)の絵馬。
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本殿は新しい。
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梅の紋。
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今宮神社。
菅原道真に大宮司が食事を出し,褒められたという。
その大宮司を氏神として祀る。
また,その縁で明治になるまでは太宰府天満宮に毎年新穀を献上していた。
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開けた境内,大きな木が多い。
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クス
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アラカシ
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クス
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社殿は東向き。
太宰府天満宮に向いているのかも。
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村社 老松天神社 早良郡入部村大字東入部中通
祭 神
天滿天神,老松殿,紅梅殿
由 緒
當社は延喜年中菅原道眞左遷の時の手植えの老松繁る故に老松と稱す。其所を飛松とも云ふ,正暦二年社殿を立て神體を遷し天滿天神紅梅殿と稱す。
今宮を地主神とす,天正七年九月十一日兵火に罹り燒亡す。 怡土郡飯場村河内と云ふ所に曲淵河内守弟波呂新左衛門と申者あり是を頼み數ヶ年の間此所に居給ふ。

文祿年中社殿を建立し入部庄へ遷す,神領四十町八段餘の所太閤秀吉沒収す其後纔に神領殘りたるを小早川秀秋又沒収す,明治五年十一月三日村社に定めらる。尙當社の御由緒略記に擧ぐる所次の如し創立は正暦二辛卯年二月十一日荒平城主小田部氏及び入部庄民の寄進により現在の社地に建立す。其の由來は延喜年中菅公筑紫に御左遷の砌り,當社に御休息遊され,御手つから松を植ゑ給ふ,後其の松を飛松と稱し,今其の地の地名となれり,又御腰を掛させ給いし石を居敷石と稱す。この時菅公に大宮司(今の攝社今宮社は當時の氏神たり)より御食を奉りけれは其の味を譽め給ふ。故に太宰府天滿宮御祭神に際し,毎年大宮司より新穀を捧げ奉りしを明治に至りて此の行事止む。

菅公薨去の後大宮司大隈守廣續に御告有りて彼の御手植の松を崇齋し奉る。其の後嫡子右京太夫廣貫病に臥し命も危かりしに老松に祈願を込めけるが忽ちに淸快す依りて松の下に一子を建て老松大明神と奉齋す。一條天皇正暦二年元の社地に遷せしなり,其の時より老松宮を庄内の産神とし今宮社を地主神と奉齋す。その後天正七年九月十日肥前の龍造寺隆信が三男江上上總守家種,荒平城主小田部氏を攻めし際,お宮燒打を蒙りて大宮司屋敷に至るまで殘らず燒亡す。其の節大宮司光重の子和泉守光祥敵の侍大將執行越前と戰ひて戰死す。其の後立花道雪の臣十時攝津守彈正及び小野和泉守の助により,怡土郡飯場村なる曲淵河内守が弟波呂新左衛門を賴りて,御神體を奉遷し此處に數ヶ年居給ふ。
文祿年中社殿を建立し,入部庄御社へ奉遷す。
往時は神領四十町八反有しを太閤秀吉に沒収せらる。
嘉應年中時の將軍より一町の寄進有り。又文治年中西谷武蔵坊より上田五反寄進有り。神領も其の後僅かに殘りしを名嶋の城主小早川秀秋復沒収す。上古は社殿壯麗にして樓門神橋等ありしを數度の炎上あり,神領も沒収せられ祭事も多く退轉せり。後村民之を嘆き,漸く慶長の頃より古の形ばかりを復し,祭祀を興し月々の五五の日には産子御宮に打集ひ御神酒お供えを供へ,往時の形ばかりを取り行へり。

特殊祭事
一,追儺祭
一月七日夜大豆九手を榧の生葉にて煎りて神前に供し,燈火を滅し神殿弊殿に至るまで「福は内,鬼は外,福は内,鬼は外」と三度云いて左右左と撒く,又参詣人の頭上にも右の如く言ひて撒く。式後鷽替行事を行ふ。 
一,御粥例
二月十五日午前一時潔齋,参拜大祓奏上終わりて御粥を調製す。白米三合(但し粒選りせしもの)小豆一合(同上)を煮たるもの三掬,鹽一掬を水三升にて煮,之を三つの金鉢に盛り,早田晩田の札を付く,終わりて御神饌と共に神前に供し神饌のみを撤下,御粥は神殿内に奉獻す。二月二十五日に至り神饌を供へ五穀豐穣を祈りて之を撤下し蓋を取りて其の年の作物の吉凶をトす。
一,風祭
七月二十五日氏子中男子参籠す祭典終わりて蟲札及び關札,五穀神風等を謹請せし大旗,小旗を氏子に下付す。 一,夏越祭 七月二十九日茅にて徑六尺の輪を作り,其の上を青赤白黑の色紙にて巻きたるものを拝殿に備ふ。齋主祝詞奏上の後祓い串を取り,神饌を奉持せる氏子總代等を率ゐて先づ輪を祓ひ左右左と廻りて社前禊場に至り神饌を供し大祓奏上,形代,祓串,神饌等を川に流す。 
一.宮座月次祭
毎月二十五日執行す。
例祭日
十月十一日
神饌幣帛料供進指定
昭和三年十一月九日
福岡県神社誌 中巻

稱=称 體=体 禄=祿 餘=余 沒=没 纔か=わずか 殘=残 尙=尚 擧=挙


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福岡県福岡市早良区東入部
February 22,2014

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by sora07jp2000 | 2014-03-30 04:08 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 03月 28日

寳満神社(寳滿神社 福岡県神社誌) 福岡県福岡市早良区重留


警固神社からさらに東。
油山へと連なる丘陵地の始まる,重留。
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御祭神,應神天皇,玉依姫,菅原神。
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村社 寳滿神社 早良郡入部村大字重留字辻

祭 神
應神天皇,玉依姫,菅原神
由 緒
不詳,和銅巳申年創立,明治五年十一月三日村社に定めらる。大正十三年十一月二十四日許可を得て大字重留字方木無格社天滿神社祭神菅原神を移轉合祀す。
例祭日
十月十八日
神饌幣帛料供進指定
昭和三年十一月九日
主なる建造物
神殿,弊殿,拝殿,社務所
境内坪数
三百六十坪
氏子区域及戸数
大字重留の全部 戸数約百戸
福岡県神社誌 中巻

※和銅巳申年=710年

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社殿は南向き。

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クス
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イチョウ
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ケヤキかな?

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福岡県福岡市早良区重留
February 22,2014

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by sora07jp2000 | 2014-03-28 03:35 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 03月 28日

警固神社 福岡県福岡市早良区四箇

四箇の天神社から東へすぐ。
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警固神社。
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御祭神,八十柱日神(やそまがつひのかみ)
 神直日神(かむなおびのかみ)
 大直日神(おおなおびのかみ) 
埴安命(はにやすのみこと) 
拝殿内掲示

上記三神が警固大神。
その由来をWikipedia.の「警固神社(福岡市中央区天神)」から

社伝では神功皇后による三韓征伐の際、皇后の船団を守護し勝利に導いた警固大神を福崎(現在の福岡城本丸周辺)の地に祀ったのが始まりとされる。慶長6年(1601年)福岡城築城の際に下警固村(現在の福岡市中央区天神周辺)に移され、慶長13年(1608年)に福岡城主黒田長政によって現在の場所に社殿が造営された。大正5年(1916年)、県社に列格した。
社名及び周辺の地名である『警固』はかつて鴻臚館にあった役所『警固所』に由来する。

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薬師地蔵堂。
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社殿は西北西,飯盛山向き。
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村社 警固神社 早良郡金武村大字四ヶ字園田
祭 神
神直日神,大直日神,八十柱日神,埴安命
由 緒
不詳,明治五年十一月三日村社に定めらる。祭神埴安命は大字四ヶ字雁無格社埴安神社として祭祀ありしを大正十四年二月十九日許可を得て合祀す。
例祭日
十月九日
主なる建造物
本殿,弊殿,拝殿
境内坪数
二百七十坪
氏子区域及戸数
金武村大字四箇区 戸数九十八戸

Panoramio 石津安信:航空写真



福岡県福岡市早良区四箇
February 22,2014

NIKON D3S



by sora07jp2000 | 2014-03-28 03:01 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 03月 28日

天神社 福岡県福岡市早良区四箇

金武の天神社から室見川渡ってすぐ。
金武中学校の東隣。

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こちらの御祭神は,埴安比賣神。

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「天神社 埴安比賣神 早良郡金武村大字四箇字戀園」
福岡県神社誌 下巻
※戀=恋

Panoramio 石津安信:航空写真



福岡県福岡市早良区四箇
February 22,2014

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by sora07jp2000 | 2014-03-28 02:19 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 03月 25日

志志岐神社 福岡県福岡市早良区内野

埴安神社から北へ。
内野小学校,幼稚園過ぎて西側の住宅地の中。
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志志岐神社。
鳥居の額は「天満宮」。
明治四十四年に合祀。
元の天満宮は,天文二年(1533年)の創立。
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「志々岐神社」の額。
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登るのためらいそうな階段。
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スダジイ。
苔むし,素晴らしい立ち姿。
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ぐるりと注連縄。
御祭神,息長足姫命,十域別王命,稚武王命,菅原神

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天慶三年(940年)の勧請。

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社殿は東向き。
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村社 志志岐神社 早良郡内野村大字内野字本村
祭 神
息長足姫命,十域別王命,稚武王命,菅原神
由 緒
創立天慶三年九月也,息長足姫命三韓帰陣の節舊字荒熊山へ滞座に付其謂を以て志々岐神社と称し勧請ありし由云傳ふ。
明治五年十一月三日村社に定めらる。
祭神菅原神は天文二年九月創立にして同大字々本村無格社天滿神社として祭祀ありしを明治四十四年十月二十六日合併許可祭神紅梅天神,老松天神は菅原神と同一祭神に付合靈せり。
例祭日
九月九日
主なる建造物
社殿,神殿,渡殿,拝殿,神饌所
境内坪数
百七十五坪
氏子区域及戸数
早良郡内野村大字内野本村全部 五十戸

舊=旧 傳=伝 靈=霊 天慶三年(940年) 天文二年(1533年)

「荒熊山」ちゃあ,「荒平山」のことやろうか。
分からん。
祭神の十域別(ときわけ)命と稚武(わかたけ)命は仲哀天皇の弟。
記紀には記されていない。 

詳しくはこちらを↓
ひもろぎ逍遙:志式神社(Ⅴ)哀しき神々たち 三良(さぶろう)天神と志志岐(ししき)三神

空 sora そら:志式神社

Panoramio 石津安信:航空写真 Explorer



福岡県福岡市早良区内野
February 02,2014

NIKON D3S



by sora07jp2000 | 2014-03-25 06:18 | 神社 | Trackback | Comments(0)