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2016年 06月 02日

射手引神社 3 福岡県嘉麻市上山田 2016.04.29

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須賀神社
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射手引神社 獅子舞
毎年七月中〜下旬参白間に亘り執り行われる
祗園祭に相俟って
五穀豊穣
病魔退散
子孫繁栄
家内安全
等を祈念して各戸毎に獅子舞を為す
楽は篠笛、和太鼓により構成され
円舞曲 以外に移動中に奏する
五曲の囃子を組み合わせた
道囃子 があり
演舞は代表的な物に
イキヌキ
カカリ
宮移り等が存する

宮移り
祭禮最終日、獅子は御遷宮の際神社に致着するも
雌獅子は
祭禮中に里に馴染み還るのを嫌がり
引き返そうとする
神の元へ早く戻ろうとする雄獅子が
叱咤し
時に優しく励まし
愛咬しながら
神殿に連れ還る様を表したものである
暗闇の中、風に揺れる木々の枝々や
竹の葉が擦れざわめく音を背景に
約弐時間 かけ
炬火 提灯 に照らされた
約百参拾段の石段 を
纏綿と舞登る様は獅子演舞の白眉である
上山田獅子組 頭領 松岡広樹
大橋獅子組 頭領 坂本貴弘
外獅子組一同
森 美佐子 謹書

境内掲示版

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福岡県嘉麻市上山田
April 29.2016

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by sora07jp2000 | 2016-06-02 03:31 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 06月 01日

射手引神社 2 福岡県嘉麻市上山田 2016.04.29

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郷社 射手引神社 嘉穂郡山田町大字上山田字杉町
祭 神
仲哀天皇、神功皇后、中筒男神、罔象女神、高龗神、手力男神
由 緒
当神社は古は貴船宮香椎宮と称し格別の神社なりしが宝暦十年十一月三日両神社を合併し社殿を改築して一社となし社号を射手引神社と改称せりと御神体背面に記して曰く勧請高雨(以下不明)者霖雨炎(不明)聞神験応最顯孫六矢的国川之里至神像造之云々安元乙丑年六月(以下不明)とあり、又一体に罔(摩滅不明)久安元(不明)孫(不明)者とあり手力男神御神体に曰く手力大明神謹請静(不明)給定給云々上村小山(不明)明神云々応永八年二月とあり(附記以上三柱の神を貴船宮として勧請せり)香椎宮の御神体に曰く詞志聖母大明神神武運長久国家穏云々中納言隆景賽曰云々天正十六年十一月吉日又一体には天正十六子年十一月吉日とあり。
仲筒之男大神の背面に元和三年十一月吉日とあり(以上三神を香椎宮として勧請せり。
文明十六年九月貴船宮祠殿再建あり其棟札に奉再立貴布禰大神宮祠殿一宇云々神主大里右京大夫告文願主上山田村産徒中云々文明十六甲辰歳九月吉祥日
享保元年石鳥居建設あり其文に香椎宮云々奉創建華表一基筑前州嘉穂郡上山田村大塚助五郎維時享保元甲辰年春三月吉祥日元禄五年十一月香椎宮社殿再建の棟札あり曰く
奉造營香椎聖母大明神槌壇清廟一亭云々願主筑前州嘉穂郡上山田村松岡又次郎同與三郎云々元禄壬申年十一月吉日
宝暦十年社殿再建の棟札あり文に奉再興(香椎聖母 貴船神社)祠檀一宇産子中云々祠官大里若狭守藤原吉保云々宝暦十年庚辰年十一月三日願主筑前州嘉穂郡上山田村庄屋松岡甚五郎云々とあり(附記此時より両神社を合併し射手引神社と改称せりと)安永三年五月石鳥居建立す文に両神宮云々本郡當邑産子中創立云々祝部大里河内守吉麿云々庄敷松岡彦惣云々安永三年甲午五月吉祥弘化二年福岡藩主当神社を觸悉社に定められ祈願執行仰出られし事も数回にて代参ありて幣帛料を供進せられし事もありき。
明治六年十一月三日村社に列せられる。
明治三十九年六月十一日神殿拝殿改築許可同四十年十月九日落成す願主産子中、昭和四年一月十日郷社に列せらる。
例祭日
四月十九日
神饌幣帛料供進指定
大正四年十一月十日
主なる建造物
本殿、幣殿、拝殿、神饌所、社務所、鳥居、手水舎
境内坪数
千四百四十八坪
氏子区域及戸数
上山田地区 約二千六百戸
境内神社
須賀神社
天神社


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福岡県嘉麻市上山田
April 29.2016

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by sora07jp2000 | 2016-06-01 03:39 | 神社 | Trackback | Comments(2)
2016年 05月 30日

射手引神社 1 福岡県嘉麻市上山田 2016.04.29


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射手引神社
御祭神
旧香椎宮
神功皇后
仲哀天皇
中筒之男命
旧貴船宮
闇淤加美神
高淤加美神
天手力雄命
御由緒
当神社は、古くは香椎宮・貴船宮と称し各々別の神社で、香椎宮は尾浦に貴船宮は柿木に鎮座あったものを、宝暦十年(一七六〇)十一月三日両神社を合祀し、現在地に社殿を改築し一社となし、社号を射手引神社と改称しました。
(社伝)
古処の山麓や当地に住する羽白熊鷲なるもの良民をさいなむ。
神功皇后これを討伐されるおり難渋され給う。
貴船宮の社に休らい給いて、天手力雄命を祀り給い弓矢の加護を祈り給う。
雲々の間の光と共に天手力雄命、天の射手を率いて御加勢給いて征伐かなう。
神功皇后、貴船の神々に天手力雄命を祭神に加え祀り給う。
後に、里人香椎宮より御祭神を頂き尾浦の地に祀り奉る。
境内掲示由緒板

年中行事
元旦祭 一月一日
神幸祭 四月中旬
祗園祭 七月下旬
宮日祭 十月十七日
七五三祭 十一月十五日
大祓式 十二月三十一日
社頭掲示板

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福岡県嘉麻市上山田
April 29.2016

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by sora07jp2000 | 2016-05-30 04:06 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 05月 27日

高木神社 福岡県嘉麻市熊ヶ畑


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村社 高木神社 嘉穂郡山田町大字熊畑字政處
祭 神
高皇産霊尊
由 緒
不詳建築応永二十七庚子年明治六年十一月三日村社に列せらる尚社説に嵯峨天皇十三年、英彦山神社神領方七里十方の郷村に四十八ヶ所の大行事社を産土鎮守神として勧請し奉る。当社は其の創立の一社なりと。
例祭日
十月八日
神饌幣帛料供進指定
昭和三年十一月九日
主なる建造物
本殿、幣殿、拝殿、神饌所
境内坪数
千七十三坪
氏子区域及戸数
熊ヶ谷区内一円 約百三十戸
境内神社
神武神社
木元神社

年中行事
元旦祭   一月一日
階作ごもり 六月下旬日
祗園再   七月中旬日
万年願   八月十六日
 相撲
霜月大祭  十二月中旬日
月清掃当番組
一日   十五日
社頭掲示板

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福岡県嘉麻市熊ヶ畑
April 29,2016

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by sora07jp2000 | 2016-05-27 04:58 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 05月 26日

高木神社 福岡県嘉麻市桑野 2016.04.29

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高木神社。
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村社 高木神社 嘉穂郡宮野村大字桑野字普門司
祭 神
高皇産霊神
由 緒
官幣中社英彦山神社所伝旧記に曰く筑前国嘉麻郡桑野村普門司産土神大行事宮者自上古彦山權現社爲補佐之摂社高皇産霊神垂結跡於彦山大行事殿矣所謂彦山之別社也云々于時嵯峨天皇弘仁十三年彦山霊山寺法蓮上人奉詔修法霊験殊顕仍蒙寺領七里十方檀那勅許於是法嗣第四世座主羅運上人爲寶祚無窮国土鎮護群生済利擬彌陀正覚四十八本願於三国豊筑境四十八箇所大行事社爲産土鎮守神奉勧請其創立之一社也云々、彦山記に言ふ(前略)自郡中惣社至五山者五智円満宝珠也。

(中略)

大正七年七月二日村社に列せらる。
例祭日
九月十三日
神饌幣帛料供進指定
大正八年九月四日
主なる建造物
本殿、幣殿、拝殿、社務所、兼神饌所、鳥居
境内坪数
五百八十一坪
氏子区域及戸数
桑野区の約三割 約六十戸
境内神社
瀑布神社



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福岡県嘉麻市桑野
April 29,2016

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by sora07jp2000 | 2016-05-26 04:37 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 05月 25日

愛嶽宮小岳神社 福岡県嘉麻市上

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村社 小岳神社 嘉穂郡宮野村大字上字熊本
祭 神
手力雄命
由 緒
不詳、再造寛文元年辛丑九月。明治五年十一月三日村社に被定。社説に景行天皇熊襲征伐の途上此の地に至り給ふとき、大神のご託宣により社殿を設け、上村をして厚く此の神を祭らしめ給ふ、これ当社の始めなりと。
例祭日
九月二十一日
神饌幣帛料供進指定
大正十一年一月十二日
主なる建造物
本殿、幣殿、拝殿、神饌所、鳥居
境内坪数
六百七十二坪
境内神社
天神社

福岡県神社誌 上巻

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福岡県嘉麻市上
April 29,2016

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by sora07jp2000 | 2016-05-25 03:07 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 05月 24日

北斗宮 福岡県嘉麻市大隈町

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北斗宮由緒
北斗宮社有古文書 及
嘉穂郡誌 嘉穂町史に依る

祭神
天御中主大神 天地創造の中心の神
伊邪那岐神 天地創造の陽の神
伊邪那美神 天地創造の陰の神

祭日
一月一日 元旦祭
四月二十一日 二十二日 春季神幸大祭
七月三十一日 大祓(茅の輪くぐり)
十月二十一日 秋季大祭

由緒
人皇第三十八代天智天皇の御代(紀元一三三一)若木連と言う人、北斗星の信仰篤く益富山に北斗大明神として勧請し、延命長寿縁結びの神として尊崇を集めたのが北斗宮の起源となる。
天正六年龍造寺隆信の兵乱によって神殿が焼失するも御神体は樹齢二千数百年の大楠の下に奉安して安泰、以后大楠神社を祀る。
大楠神社は武運長久事業繁栄の神として尊崇さる。
(元禄十年筑前貝原好吉の古文書による)
天正八年三月秋月藩主秋月種実公現社殿を建立す
慶長年間黒田長政公筑前藩主となり当神を筑前十五神の中、一の宮と定め尚厂代の藩主の尊崇篤く年々数々の寄進を受く
明治四十二年二月四日、神社庁並に福岡県知事の認承により北斗宮と称す。
昭和五十二年五月壱千三百年祭を実施、社殿修復す
昭和六十三年十月神殿大改修社務所新築今日に至る

境内祭
祀神社
大楠神社、恵比須神社、玉姫稲荷神社、松尾神社

境内掲示由緒碑

縣社 下益神社 嘉穂郡大隈町大字大隈字宮山
祭 神
天御中主尊、伊弉諾尊、伊弉册尊
由 緒
當社は白鳳三甲戌年三月若木連と云ふ人下舛村上の山に勸請し北斗宮とす其後八百五十有餘年を經て天文元壬辰年仲秋當地に遷す天正六年社殿兵燹に罹り神體を裏田に遷す天正八年迄三ヶ年大楠の空洞中に鎮座せしむ同九年再び社殿を建築して當地に遷す秋月孫右衛大藏種實神器祭田等寄附す。
明治五年十一月三日村社に定めらる。下益神社と稱し本郡下益村村社なりしを同十五年九月十八日該村を廢し大隈町に合併す。大正十二年五月十二日鄕社に列せらる。
昭和八年五月九日縣社に列せらる。
特殊祭事
一月一日自一月七日迄星祭
例祭日
四月二十一日
神饌幣帛料供進指定
大正十二年九月十三日
昭和八年五月十六日
主なる建造物
本殿,弊殿,拜殿、社務所、神饌所
主なる寶物
貝原好古氏北斗神社緣起集三卷、狛犬一對
境内坪数
二千一坪
氏子區域及戸數
約二百戸
境内神社
天滿神社(菅原神、高龗神、埴安命、玉姫神)
大楠神社(大山咋命)
稲荷神社(倉稲魂神、恵比須神、事代主神)
貴船神社(高龗神)
山神社(大山祇命)


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市指定天然記念物
北斗宮の大クス
昭和55年(1980年)3月8日指定 嘉麻市大隈町988番地1
樹高約45m、胸高周囲5.80m、枝張り約14mを測ります。貝原益軒の『筑前国続風土記』の中に記載された巨大な神木は、枯れてしまいましたが、現在のクスはその子にあたるもので樹齢600年と伝えられています。
嘉麻市教育委員会
樹元掲示版

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玉姫稲荷神社
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福岡県嘉麻市大隈町
April 29,2016

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by sora07jp2000 | 2016-05-24 02:22 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 05月 22日

稲築八幡宮 福岡県嘉麻市漆生 2016.04.29

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稲築八幡宮縁起
創建
康和年間(1099〜1104)
祭神
応神天皇 神功皇后
比咩神
例祭日
十月十五日

神功皇后、軍を大分にて解き給ひ漆生産神の境内にてご休憩ありし時、里人、稲を敷きて御座を勧め奉れり
神の降跡たる秀麗なる山なれども時すぎ、世隔たりければ、汚穢の塵に交わりたらん事を、いといて頂き七尺をうかち、其所に稲一束を埋め、稲築山と号して其の上に社殿を建立し、中に八幡大神をあがめ、左に神功皇后、比咩大神を祝祭し奉る。
稲築の名は之に起因せり。

創建縁起、福岡県地理全誌、稲築町町史
社頭設置縁起碑

 八幡宮縁起の記録に、神功皇后が応神天皇とともに海から都にお帰りになる途中、漆生でお休みになったと言い伝えがあります。しかし、その場所を知っている人はいません。
 ところがこの漆生村で風景の優れた山の頂上を七尺ばかり掘り、ここに稲一束埋め、稲築と号して社殿を建立しました。この社殿が稲築八幡宮のおこりであり。稲築(いなつき)の名のおこりと言われています。
稲築町
社頭設置碑

村社 八幡宮 嘉穂郡稲築村大字漆生字本村
祭 神
應神天皇、神功皇后、比咩大神
由 緒
緣起に昔神功皇后応神天皇の古跡なりといへども厥土知る人なし邑の中に頂き平にして最優なる山あり神の降跡なるべし然れども時すぎ世隔たりければ汚穢の塵に交りたらん事をいとひて頂き七尺を鑿ち其所に稻一束を埋め稻築山と號して其の上に社殿を建立し中に八幡大神を崇め左に神功皇后右に比咩大神を祀祭奉り又云々(祭禮神幸燈のこと略す)天正十五年豊臣太閤秀吉公の御時に至りて(日本大小の社領多く沒収せられしとかや)當社の社領及末社の神田共に殘りなく沒収せられにき然れども村民貧富戮力神田良地を撰みて寄進し奉る八月十五日則ち放生會なれば昔の如く濱殿まで神幸の儀式はなけれども神事怠らず執り行へり云々(以下略す)
緣起の趣は如斯なれども御神禮の背銘に依れば當地宇佐神領となりたるとき神領の守護神として宇佐の神を勸請祭祀したることゝ認めらる緣起の著書は調査の茲に及ばざりしなり其銘文左の如し。
奉納八幡大菩薩稻築宮御神像之事右旨趣者爲祈申武運長久領土安全也抑當宮御神像乃康和年中太宰權帥季仲鄕奉寄綱別新莊于本宮御領之時草造新宮于此地而所奉安置他矣然多經歳月之故所々生損所誠不堪恐懼之由社司才田刑部屢依訴申令安畢、正平十三年戊戌極月旬八日、立岩領主到津大宮司宇佐宿禰公連敬白
寛永年中(漆尾村長政記に據れば寛永十五年十月也)拜殿再建棟札に
奉建立拜殿一宇、本願主當邑庄屋八尋長右エ門尉、村中各抽誠者云々(下略)寛永(此間磨滅)晩秋大吉佳良とあり。
明暦三年神殿再建棟札に奉上棟八幡宮寶殿一宇之事、右之再建立庄屋八尋半四郎中氏子云々(下略)明暦三丁酉十二月二十一日とあり。
元祿十三年神殿再建棟札に奉重建筑前國嘉穂郡漆尾村蓋久矣前是明暦三丁酉年四極下旬邑人改造之爾来曆歳四十餘包舊廟漸𣏓敗於是村民等于材木於直方之有司而相共經之營之云々(中略)郡有司中村玄三安重、母里源三郎久勝云々(下略)とあり附記直方の有司とは直方藩吏なり。
漆尾村長政記寛政十一年の條に此年大旱損なりしが御檢見は不請凡六十七八日旱於當社觸中より祈雨御祈禱御初穂は従御上附り天明六丙午年文月に於當社止雨の御祈禱有其後數度何れも觸中より今は觸中の宗廟と崇む云々。
文化二年拜殿再建棟札に奉再建八幡宮拜殿一宇、神主西田出羽守藤原重廣、大保正野見山與平治源正壽、村長野見山與市郎賢施主氏子中云々(下略)文化二乙丑年三月上九良辰とあり。附記漆生村長政記とは慶長五年より寛政十二年まで二百一年間漆生村に關する租税、土木、神社等のことを記したるものにて兩年號の一字を採りて長政記と題したるものなり、明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日
十月十五日
神饌幣帛料供進指定
明治四十四年二月十六日
主なる建造物
神殿、幣殿、拜殿、社務所
境内坪数
千三百坪
氏子區域及戸數
稲築町漆生 氏子戸數六百戸
境内神社
大行事神社
鬼門神社
天滿宮
末社
貴船神社


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Panoramio 石津安信:Explorer



福岡県嘉麻市漆生
April 29,2016

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by sora07jp2000 | 2016-05-22 03:47 | 神社 | Trackback | Comments(2)
2016年 05月 19日

◆口春の大樟 福岡県嘉麻市口春 2016.04.29

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口春三郎丸老樟の由来
口春には約二千年前弥生文化時代から人が住みついた。
当時この一体はうつ蒼たる原始林であったが我等の先祖により次々と開拓されたとき余りにも巨木であったためこの原始木を記念樹として残した。
いつの頃か大樟の下に観音堂を建立しこえを祟えた。
明暦年間(三二〇年前)永富本家八右衛門とその娘媚福沢本家四代組頭与右衛門村人と相諮り神木の周囲に石垣を築きその上に現存する梵字を刻んだ石碑を献立した。この石碑には献立者古江八右衛門の銘が辛うじてよめたが今は風雪に磨滅し大樟の巨根が之を捲き込んでいる。この由緒ある大樟には古い傳説がある。大昔村人が飼牛を川浜に放していたところ河童が水の中から出てきて牛の綱を引いて川の渕に沈めようとした。牛はたいへん怒って河童を地上に引き上げてこの大樟の下まで引きずってきた。河童は自分が悪かったと謝りこれから子々孫々に至るまでこの村の女子供には決して危害を加えないから命だけは助けてくれと泣いて頼んだ。そこで村人は河童を助けて帰した。その後口春では川中での溺死者がないと傳えられている。
この千年を越ゆる稲築町最古の大樟も昭和八年落雷のためその成長急に衰え巨木の根は露出し空洞ができ石垣も破損してこのまゝでは永久保存に堪えないとし口春公民館主催で村人相諮り浄財を持ち寄って石垣の改築嵩上土入れをして保存工事を完成した。
茲にこの大樟を神木として残し保存された古代からの先祖に感謝し之を子々孫々に傳えて永久に保存すべきものとする。
昭和四十五年(一九七〇年)七月二十八日   以上
 施工者筑穂町内住 庭師石工 大久保 要
口春公民館長 兼・部落長 安部 貞次誌

樹元掲示板


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by sora07jp2000 | 2016-05-19 04:09 | ◆点描 | Trackback | Comments(0)
2016年 05月 18日

厳島神社 福岡県嘉麻市口春

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嚴島神社の由来
口春村は荘園時代から江戸時代になるまで宗像神領地であったためか戦國でもその災禍なく平穏であった
元久二丑年(西暦一二〇五年、七六五年前)に
宗像大宮司從四位摂津守氏國が口春守護神として
嚴島大明神を觀請し古代からの信仰の嶋沖津嶋から分霊された
その守護神は市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命の
三女神で安産の神として崇められ氏子で従軍したものに戦死者がなかったという靈験灼かな本尊とされている祭祀は春秋二回で
四月十六日産座祭 九月二十九日豊年祭
昔から続けられ他町村からの参拝者も多い
宝永五年(一七〇五年)福澤本家五代与次右衛門は神社を改築し新名池とそのシタの田面を御神田として奉納したことにより六角の紋章を賜る
大正十二年村人相諮り神殿中殿を新築拝殿を後退させて赤瓦葺きに改築した
昭和四十一年拝殿腐蝕傾斜のため全村人の浄財と勤勞奉仕により五月二十三日改築落成した
以上古文書等によりはっきりしたのだけを記錄し後の人に傳ゆるものである
昭和四十五年五月二十三日
部落長 安部貞次誌

社頭掲示版

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須佐神社
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天照皇大神
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村社 嚴嶋神社 嘉穂郡稲築村大字口春字キタ崎
祭 神
市杵嶋姫命
由 緒
 社藏の文書に元久年中沖津嶋より現今の地に奉移せりとあり附記舊神職等の口傳には宗像神領地の守護神なりと云ふ。
官幣大社宗像神社舊神職宗像忌子大宮司家の系譜に曰く(忌子大宮司後裔宗像繁所藏)宗像大宮司從四位下攝津守氏國元久二乙丑年領土嘉穂郡口春庄に社を建て身形大神宮を勸請す云々。
官幣大社宗像神社社家文書目録に(宗像神一緒郷文書巳上三通社藏書)一卷(中略)一久原大嘉穂郡河崎文書巳上一卷二通(中略)右撰用捨文書所目錄如件應永十六己丑卯月十四日大宮司宗像朝臣氏經、附記本文の目錄に對する文書は今社藏なし然れども河崎文書とあるのは領地の事を記したるものなるべしといふ、古老の傳ふる所に據れば本社從前は七月初午日御手洗池前頓宮に神幸の儀あり翌日神木銀杏の邊の假殿に御休息ありて流鏑馬及獅子舞を奏す終わり遷御ありしと言ふも今は廢絶せり附記本社近傍に的場と言ふ地名殘れり是れ昔時流鏑馬執行せし所又本社に古き獅子頭二頭を存す是れ昔時獅子樂を執行せし遺品なりと言ふ。
寶永年間建物目錄に神殿四尺七寸萱葺渡殿六尺に七尺瓦葺拝間二間に三間萱筵云々とあり。
寶永五年社殿を改築す本社一間四方こいた葺拝殿長三間横二間萱葺御拜一間四方瓦葺とあり。
明治六年十一月三日村社に定めらる。
明治十一年神殿幣殿を再建す。
例祭日
九月二十九日
神饌幣帛料供進指定
明治四十三年四月二十八日
主なる建造物
神殿,幣殿,拜殿,社務所
境内坪数
六百坪
氏子區域及戸數
稲築町口春 氏子數 百三十戸
境内神社
えびす神社
貴船神社
天滿宮

福岡県神社誌 上巻


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福岡県嘉麻市口春
April 29、2016

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by sora07jp2000 | 2016-05-18 02:23 | 神社 | Trackback | Comments(0)