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2014年 10月 13日

日吉神社 福岡県古賀市日吉

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JR鹿部駅北の丘の上。

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日吉神社

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御祭神
大山祇神
福岡県神社誌下巻

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須賀神社

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左の山には皇石神社,右に鹿部田淵遺跡=糟屋屯倉。



福岡県古賀市日吉
October 04,2014

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by sora07jp2000 | 2014-10-13 05:50 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 12日

若宮八幡宮 福岡県古賀市新久保

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若宮八幡宮
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御祭神,仁徳天皇
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多賀神社
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Panoramio 石津安信:Explorer



福岡県古賀市新久保
September 27,2014

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by sora07jp2000 | 2014-10-12 04:12 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 01日

須賀神社 福岡県古賀市新原

35号線,「古賀浄水場入口」交差点から東に入ってすぐ。
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須賀神社
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御祭神
素盞嗚尊
福岡県神社誌下巻

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福岡県古賀市新原
September 21,2014

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by sora07jp2000 | 2014-10-01 04:35 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 09月 29日

三柱神社 福岡県古賀市青柳町

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三柱神社由来
大字川原字植町の丘の上にあり,祭神は保食神(うけもちのかみ)(稲荷様),大山祇神(おおやますみのかみ)(山の神),岡象女神(みつはとめ)(水の神)にして明治維新前郡奉行浜新五兵衛氏福岡表より移して,本陣の側なる丘の中腹に勧請せるものなりと言う。当時丘の上は一帯の竹藪なりしが,廃藩置県後本陣等廃せらてたれば人々相謀り此の丘上を開墾して此所に移せり。俗に新宮様と称せり。其の後社殿の改築をなし明治二十年の頃,立花鑑載(あきのり)を祀れる字狐崎の立花社を此所に移して合祀せり。
青柳村誌より
拝殿掲示板

首なし塚
 立花城の七代城主,立花鑑載(あきとし)は主家である豊後大友の当主,大友宗麟(おおともそうりん)にかねてから不信を抱いていたが,永禄十一年(一五六八)春,遂に立花城で反旗を翻した。
 鑑載の謀反に激怒した宗麟は,大友軍の戸次鑑連(べっきあきつら)らを立花城下に集め,山麓周辺に布陣して攻撃態勢をとった。攻め手の大友軍は三万の大軍,守る側の立花軍は一万余,三対一の兵力差である。三ヶ月にわたって攻防が繰り返され立花軍は炎暑の中で必死に戦ったが,その抵抗もむなしく城は陥落,城を抜け出て逃げようとした鑑載は,戸次勢に追いつめられ,遂に青柳の松林の中で自刃した。
 鑑載の首は,宗麟の検分を受けるため,はるばる豊後へ送られた。
 その後,村人たちによって慰霊の石塚が建てられた。恐らく首の無い彼の遺体を埋めたものと思われる。
 塚はあとに立花社に移され,現在はここ三柱神社に合祀されている。
古賀市教育委員会

鳥居:「大正十一年九月吉日」「青柳町區中建之」

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福岡県古賀市青柳町
September 21,2014

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by sora07jp2000 | 2014-09-29 04:57 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 09月 26日

八幡神社 福岡県古賀市新原

GoogleMapで神社を検索。
ほい?こんな所に八幡さん。
以前は表示されてなかったと思う。
行ってんど。
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天保9年=1838年の鳥居。
額は新しい。
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こちらの鳥居は「宇多宮」の額。
「明治二十有九年九月吉辰」
の銘。
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本殿後ろの石祠。
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貴船神社。
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愛宕神社,天神社。
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享保年間の灯籠。
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右が宇多宮,左は読み取れ無かった。
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福岡県神社誌には見あたらなかった。
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Panoramio 石津安信:Explorer



福岡県古賀市新原
September 21,2014

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by sora07jp2000 | 2014-09-26 04:23 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 07月 25日

◆みあけ史跡公園 鹿部田淵遺跡 福岡県古賀市美明

古賀市美明。
国道3号,鹿部の交差点から北に入って400m程。
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日本書紀,継体天皇の条に記載されている「糟屋屯倉(かすやのみやけ)」と見られる遺跡。
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ガラスの想像図越しに見ることができる。
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現地案内板
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鹿部田淵遺跡
1.所在地 :古賀市鹿部田淵・木ノ下
2.時 代 :古墳時代後期・奈良時代・平安時代末期〜鎌倉時代・室町時代
3.主要遺構:総柱建物2棟・側柱建物3棟・廂付側柱建物1棟・大溝・溝
4.主要遺物:貿易陶磁器(白磁・青磁)・似非土師須恵器(えびはじすえき)・須恵器・備前焼
5.調査概要
 古賀市鹿部土地区画整理事業に伴い発掘調査された鹿部田淵遺跡の大型建物群は,玄界灘沿岸部に面した丘陵(南丘陵)に位置し,浦(花鶴浦,花鶴川河口から日吉台にかけて)が見渡せる位置に立てられていました。
 現在発見されている主な遺構は,総柱建物(そうばしらたてもの)2棟,側柱建物(がわばしらたてもの)3棟,廂付側柱建物(ひさしつきがわばしらたてもの)1棟,大溝,溝,広場,柵があります。
 建物は,建物群南側の低湿地帯と西側の大溝に沿う形でL字型に配置されています。
 6世紀中頃〜後半の遺物(土器)が溝状遺構に伴い出土していることから,建物群の時期はこの時期と考えられます。
 方位・遺構配置・建物構成に企画性があり,建物の規模・建物群の規模からも一般集落・豪族居館とは異なり,建物群が倉庫的用途の強い総柱建物よりも事務所的用途の強い側柱建物が建物構成の主体を占めるという特徴から,港を持つ正庁的な事務所の可能性が考えられます。
 また,ミヤケは発掘例が少なく,文献においても未だわかっていない部分が多い分野です。しかしながら,『日本書紀』継体天皇22年の条(528年・6世紀前葉〜中頃)に記載されている「糟屋屯倉(かすやのみやけ)」は,継体天皇22年12月に筑紫君葛子が献上したミヤケで,旧糟屋郡内に設置されました。このミヤケは,記紀の記述内容から対外交渉の窓口として港と関連の強い拠点施設として,また北部九州支配確立の先駆けと半島情勢への対応を意図した政治的拠点施設として設置された大和政権の出先機関であると考えられており,旧粕屋郡を管轄した広域の行政組織ではないのです。
 このように鹿部田淵遺跡の大型建物群は,日本書紀等に記述されている「糟屋屯倉」の内容のミヤケの性格・立地・時期の条件を満たすと考えられ,現在では旧糟屋郡に置かれたミヤケとして知られる「糟屋屯倉」の有力な候補地として考えられる,発掘された唯一の遺跡なのです。
 磐井の乱と糟屋屯倉の設置は,北部九州では古墳時代から律令時代へ移行していく過程で歴史的転換点になる重大事件です。鹿部田淵遺跡の大型建物群はこの献上された糟屋屯倉ではないかと考えられ,これが一躍脚光を浴びた理由です。

古賀市歴史資料館掲示説明

ひもろぎ逍遙:鹿部田淵遺跡

Panoramio 石津安信:Explorer



福岡県古賀市美明
May 25,2014

NIKON D3S

以下古賀市歴史資料館展示
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iPhone



by sora07jp2000 | 2014-07-25 03:51 | ◆点描 | Trackback | Comments(0)
2014年 05月 01日

天降神社 福岡県古賀市薦野

古賀市薦野。
野花撮りで毎週のように通っていた所。
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天降神社。
こちらも何度も伺っている。
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創祀,神亀元年,724年。
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大正15年。
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御祭神,大己貴命,少彦名命,素盞嗚尊。
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痛ましいが残されていてありがたい。
こちらは大正9年,石匠 福岡 増田長□。
□は欠損していて読めない。
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大楠。
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樹齢約800年。
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村社 天降神社 粕屋郡小野村大字薦野字若林
祭 神
大己貴命,少彦名命,素盞嗚尊
由 緒
創立或書に神亀元年の由見え,又嘉元三年の古文書に天降天神三所宮出見云々と,造立寳殿(此間不明)於薦野村號天降天神三所云々とあり,此の社丹治家の元組丹治峯延より累世厚く崇奉ありて古は年中祭典料として田地數多寄附せらる,且祭式の厳重なる事其の書に,一神頭出仕之次第兩山兩代官は拝殿大宮司職掌は神殿堂神人は大庭に荒薦也,五節供は兩代官は大口直垂也云々。右大要不可略之事如何兩代官とはウスカ嶽,ツグミ兩城なる由。嘉元三年火難ありて古野より今の社地へ移し此の以降の書類多し,丹治峯延は延長頃の人にして千年近き年数を経たれば其頃より繁栄の神社ならむ。明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日
四月九日

神饌幣帛料供進指定
大正五年九月
主なる建造物
本殿,弊殿,拝殿,社務所,井土屋,華表,注連懸石等
主なる寳物
神寳假面(丹治朝臣米多比鎭久)烏几鐘,刀一口,古笛
境内坪数
千三百八十三坪
氏子区域及戸数
小野村大字薦野,米多比,両区及び宗像郡上西郷村大字舎利蔵 二百四十七戸
境内神社
菅原神社(菅原神)
西宮神社(事代主命)
須賀神社(禍津日神,素盞嗚尊荒魂)
貴布禰神社(高龗神,倉龗神)
福智神社(保食神)
大山祇神社(大山祇神)
摂社
濬源神社(丹治式部少輔峯延命)
福岡県神社誌 上巻

天降神社(あまふりじんじゃ)
古賀市薦野1863番地の1
祭神
 素盞嗚命(すさのおのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)
縁起
 以前は天降天神と称し,少彦名命が主祭神でした。嘉元3年(1305)に火難にあい,古野(現在の小野公園付近)から今の社地に遷(うつ)されたと伝えられています。
氏子
 薦野(こもの)・米多比(ねたび)・昔は舎利蔵(しゃりくら)(福津市)も氏子でした。
本地仏
 本地仏とは,日本の神の本体は仏(如来や菩薩)ですが,衆生を救うための手段として,仮に神の姿をとって現れるという,「本地垂跡(ほんちすいじゃく)」の思想による仏をいいます。天降神社の本地仏は十一面観音菩薩でしたが,明治維新の神仏分離の際,以前から社地にいられた地蔵菩薩と共に下観音堂に遷されました。
本殿の木造彫刻 平成3年(1991)3月19日市指定文化財
 手挟み(たばさみ)(2基4面)の飛天像・妻飾りの竜その他どれも見事な彫刻です。飛天像彫刻の手挟みは,明治維新の廃仏毀釈の際,民家の土蔵に遷して難を免れたものです。
梵鐘(戦後所在不明)
 有名な芦屋の金工大江宜秀が天文6年(1537)に鋳造し,鞍手郡新北郷(にぎたごう)の丹比氏女(たじひしむすめ)(薦野,米多比両家の一族)が寄進したものでした。
立花増厚寄進の石灯籠
 宝暦7年(1752)の寄進。増厚は明和4年(1767)に清滝寺(せいりゅうじ)の本堂も寄進しています。 一の鳥居  「天降宮」の額の文字は“天”の異体字。寛延3年(1750)寄進。
れきしのアルバム
H24・3・30〈改訂版〉発行 古賀市教育委員会 歴史資料館

○村社 天降神社 薦野字宮林
・祭 神
 素盞嗚尊 少彦名神 大己貴神
・由 緒
 神亀元年古野と云ふ所に鎮座ありしか,正応年中炎上し落ち,今の宮林に御移転ありしと云ふ。又古文書に,天降天神三所宮云々と有。此社には,当村の領主,丹治峰延の遠孫,立花三河守増時(以降祖先の産神として累世崇敬ありき)或社頭出仕の次第書に,両山両代官は,拝殿大宮司職掌は神田同神人は大庭に荒漢也。五節句は両代官,大置垂也,大宮司は狩衣立烏帽子也。右大要不可略之事如件と,両代官とは,臼嶽鵜木ケ嶽の両城代官を云へり。三間四方の大社にして,小野村・米多比・薦野・宗像郡上西郷村舎利蔵旧三ケ村の氏神也境内にふかもと神社あり。丹治式部少輔峰延を祭る,峰延の法謚を養徳院といふ。墓趾を養徳山と云ふ。文政七年,峰延の九百年忌,昭和十一年前千十二年にけん族一祠を創立す。之をふかもと神社と称ふ。大正十三年当神社境内に移転合併せり。天文六年(昭和十一年四百年)前丁酉南呂丹治氏の信女奉納の鐘及天正五年八月(昭和十一年前三百六十年)丹治平朝臣米多比鎮久奉納の仮面刀一振古笛等有。
・天降神社鐘銘写
「洪の鐘銘文」春置鐘 大日本国関西路筑前州粕屋薦野村天降天神宮夫以慈信心檀女者元亶朱於宮地也今□(虫に隹)在異境崇敬礼尊致如在之誠以奉氏神也 聞斯宮中楽器廃崩朝音墓声  不二和鳴数口星霜此事在千耳哉旃繇風晨日夕投含石之願於巨海十回般積微鹿之念於大山竟就一器之萃鯨以教諸行無常響哮利生広大堂普欲使知群生之迷妨微禽志満願海既成就焉聊銘以野偈云鴻鑪陶鋳大器剛円随和声毀々□(王に倉)々声塞六合聞応十万神明臨金 洞魔軍恐惶遠近眠裂貴賤夢亡干目之則見色明心  真理干声耳之聞則悟道直場九壱花綻四智咸香普天卒土徳化注洋君臣道合児孫久長大願主去宮庭東方五里外鞍手郡植木庄新居住円治代之信女矣 干時天文六年丁酉南呂十九日卯刻鋳成焉鋳一近大工葺屋津本金屋大江宜秀夫当時領務 米多比家繩薦野 宗家□(扞?)社司大宮司励短慮素 暮縁扶助堅趣運送之而以同暦菊月上旬二月庚辰登楼□本金屋大工大江宣房」とあり。天降れば何れも理と訓しむべし。天降神社の社,今も粕屋郡薦野村にありて,薦野米多比両村の氏神なり。社は南向きにして神殿拝殿石の為鳥居あり,近村の大社なり。九月及此社に奉神納天降宮天正五年八日月吉日丹治平朝臣米多比鎮久と有(神宝の仮面の銘文)此神社の事委しくも考へす神官は二家共に福岡松原院支配なり。神官布施野相模と号す社僧あり。 天台宗にして滅罪を取行ふ 清滝村に居住せり 現在の社掌は木梨氏なり。

(福岡県地理会誌に記載されている内容をあげる)

・天降神社
 本殿三間四面,弊殿一間,入二間,拝殿,横二間,入三間,神殿横五間,入三間半,鳥石居一(※石鳥居のことか),社地六百坪,森にあり,薦野,米多比村の産神なり。従前は,宗像郡舎利蔵も敷地なり。祭神素盞嗚尊,少彦名命,大己貴神,祭日四月六日九日初卯日,社説に聖武天皇神亀元年甲子創,後,二条天皇嘉元三年乙己,今の地に遷せりと云ふ,(古文書あり,奉造之天降大神三所宮御宝殿云々嘉元三年二月,吉田藤原家光とあり,家光は越中の国の人なり,古は神幸有り,社の南二町許に楠森あり,是その頓宮の地なり云ふ。当社の年々祭礼第一巻あり。正月元節供全武射直楽二日初卯祭三月三日五月六日,各谷越七月七日八月九日二十九日霜月領田は三月田五月田谷越田七夕田八月田九月田同日大神田日御供田神楽田今宮田大般若田心経田燈油田土器田上貴船田観音修正田なりと記せり。其外,永享明応等の文書数通及天正五年丁丑,米多比鎮久寄付の仮面一面,横笛二箇あり,いつの頃か社地に観音地蔵空蔵の御堂を建たりしか,戊辰の朝命に依て清滝寺に移せり。此社,鞍手郡植木新北郷丹治氏の女より。天文六年,丁酉寄進せる巨鐘一口あり其銘に,当寺領務米多比家,薦野宗家とあり二村を領せし士なるべし。又夫正中立花増時力妹より巨鐘一口を寄附す。増時が家臣村山某鐘楼を作て之を搗く。今皆清滝寺にあり。神木杉あり(周一条)
 末社,山祇神社(山口)□(さんずいに「戸」の下に「大,日」)源神社(養徳)須賀神社(米多比村ナギノ)恵比須神社(社地)須賀神社(社地)
 若宮八幡宮二所(石原麦田)嘉元文書に若宮九月若宮祭とあるは,此社のことなるべし。
 小社に神所三所(小野 本谷 梅津谷)貴船神社(清滝徳治の文書に上貴船田,下貴船田とあるは此社の神田か
 福智神社二所(古屋敷糸口)田中神社(田中)熊野神社(清滝)
 天降神社の鐘 前記省略
 神宝の仮面
  大さ堅九寸 幅六寸四分
  仮面背面の銘文
        奉進納
      天降宮
        天正五
   八月吉日 丹治朝臣 米多比鎮久
備考
  敬白嘉元三乙己年二月上旬
天降大神三所 於薦野村
 泰造立御宝殿
 天謀降神三所宮
  右意趣者天下泰平国家安全株当所安穏増長福寿一々満足成就処也
  嘉元三年二月吉祥日 大宮司藤原朝臣家光
・日吉社因准恒例被援下
 筑前国裏,粕屋郡薦野村天降神社社家神道行事,神事服飾一社々書格也者布施野七右門藤原常忠今度依懇願神事行事之々決奉弊進退次第
木綿手縫心寺令裁許状如件
     天保四年九月廿日 家令印
  正弥宜惣官正四位下織前祝部宿弥
・日吉社因准恒例被援下賜筑前国裏粕屋郡薦野村
 天降神社麦田宇佐八幡宮寝旅村八大竜王相島若宮大明神高妻權現力社,社詞官布施野加賀正藤藤原朝臣常永今度依懇
 行事 次郎烏帽子狩衣縹剉,貫着用進退可有之旨裁許状如件
      安政七年上月十五日
    ○官正三位 希烈
・烈筑前国粕屋郡薦野村天降神社,宇佐八幡宮,米多比村八大竜王藍嶋若宮大明神高妻權現五社詞官布社施野近江宇藤原常富例々神事参勤時可着風折烏帽子狩衣者神道裁許状如件
    享保五年庚子三月七日
 神祇(※しめすへん)管領長上従二位下部朝臣 花押
・筑前国裏粕屋郡薦野村天降天神宇佐八幡
 幡米多比村八大竜王藍山鳥若宮大明神
 高妻權現五社之詞官事布施野大和数年神役相勤令懇望猶依触源光院之願般烏帽子狩衣被免許之□者神事祭礼之節一代着用之 可抽 家安穏精祈之条
  輪王寺准三宮一品大王御気云也之処執達如件
         大真覚院大僧都実潤□(不明)
     天保四年乙九月
            海竜王院大僧都純海
この外に嘉元三年十月十日,寛政三年六月の資料がある。又米多比天降神社起源に対する説として,香椎木下伊都麻呂氏の文献がある。

小野村史p141-144

古賀市「未来に残したい巨木」第12号
クス(楠)樹齢:約800年
幹回り:7.7m
高さ:21m
樹元掲示板

狛犬:手前,大正13年 奥,大正9年 石匠 福岡 増田 長□ 神亀元年=724年 嘉元三年=1305年

空 sora そら:天降神社 2010年 2012年
Panoramio 石津安信:航空写真 Explorer



福岡県古賀市薦野
March 30,2014

NIKON D3S




by sora07jp2000 | 2014-05-01 04:48 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 04月 30日

八幡宮 福岡県古賀市谷山

白鬚神社から南。
古賀市谷山。
昨年古墳時代後期の馬具一式が発掘された谷山北区遺跡のすぐ南。
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大正15年の狛犬。
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御祭神,息長足姫命,品陀別天皇,玉依姫命。
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古賀市「未来に残したい巨木」第2号
楠 樹齢:約800年
幹回り:7.8m 高さ:30m
樹元掲示板

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村社 八幡宮 粕屋郡小野村大字谷山字古野屋敷
祭 神
息長足姫命,品陀別天皇,玉依姫命
由 緒
不詳,明治五年十一月三日村社に定めらる。
筑前續風土記拾遺に,所祭應神天皇神功皇后玉依媛命なり,祭禮九月二十八日木梨氏奉仕と有り,社説天文年中の創立と云ふ,千年近き巨木の老樟樹てり,文化十三年郡中より本朝三部本書,異國退治の大繪馬の奉納有りて遠方より建物の寄進多し。此所の産神なり。
例祭日
十月十五日
神饌幣帛料供進指定
昭和十六年一月十八日
主なる建造物
本殿,渡殿,拝殿,社務所,注連懸石,華表等
主なる寳物
異國退治繪馬
氏子区域及び戸数
小野村大字谷山 氏子六十戸
境内神社
須賀神社(素盞嗚神,稲田姫神
天神社(神祇八神,菅原神)社伝曰わく神功皇后斉宮神供土器を製し玉ひし旧跡なり云々享保年間菅原神を合祀す大正十五年字裏の山より移転合併。

○ 村社八幡宮 大字谷山字屋敷
・祭 神
息長足姫命 邑陀別天皇 玉依姫命
・由 緒
 筑前国続風土記拾遺に曰わく,村の乾の方にあり,産土なり,祈祭応神天皇,神功皇后,玉依姫命也。祭礼九月二十八日木梨氏奉仕すと有。社説,当社往昔は字若宮に鎮座あり。天文年中今之古野屋敷に御遷座せりと云。当郡中崇敬の御社なりしと云ふ。文化十三年郡中より本朝三部本書竝異国退治の大絵馬等寄付奉納ありて今に掲けたり。社地広平にして,五,六百年の巨木の樟樹,けや木鬱蒼として一見幽厳なる風教を感せり。
小野村史 p.136
  福岡県地理会誌に記載されている内容をあげる
・八幡宮
 本殿一間五尺四方 拝殿三間入二間 通夜堂四間半四方 石鳥居一 社地三百坪 本村(清正庵)にあり。従前,村内二十七戸の産神なり。祭神応神天皇 功皇后(「神」が抜けている。誤植だと思う),玉依姫命,祭日九月二十六日より二十八日に至る,村内に日田 御幣田 忠宮田などの田あり。昔の祭料なるべし。社一菅原神社(的場)末社三須賀神社(社地)穂日神社(西)山祇神社(谷割当)
小野村史p.139

古賀市「未来に残したい巨木」第2号
楠 樹齢:約800年
幹回り:7.8m 高さ:30m
樹元掲示板

天文:1532-1555年 狛犬:大正4年

Panoramio 石津安信:Explorer



福岡県古賀市谷山
March 30,2014

NIKON D3S



by sora07jp2000 | 2014-04-30 03:37 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 01月 20日

五所八幡宮 福岡県古賀市

ひもろぎ逍遙さんの「神功皇后伝承を歩く」が目出度く出版される。
ご許可を頂き,掲載神社の拙ブログへのリンク表を作成中。
いくつかの神社を撮り直しに。

古賀市,五所八幡宮。
撮ってUPしていたつもりやったけど,どう探しても記事が見つからない。
You Tubeに動画をあげていた。
これと別に写真も撮ったつもりやったっちゃけど…
ま,いっか。

んで,古賀市へ。
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眩しい朝日。
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巨木が作る社叢。
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ムーミンの木,樹齢1000年。
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御祭神,応神天皇,神功皇后,玉依姫命,保食神,墨江三前神。
神功皇后が竜輿を休めた所として伝わる。
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外削ぎと内削ぎの千木。
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ひもろぎ逍遙:五所八幡宮・ムーミンの木に会いに来たよ

Panoramio 石津安信:航空写真 Explorer

福岡県古賀市青柳
2014.1/19

NIKON D3S


by sora07jp2000 | 2014-01-20 06:14 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2013年 12月 31日

◆船原古墳,遺跡 福岡県古賀市

「ひもろぎ逍遙」さんの記事を見て,古賀市へ。
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入ってはいけません!
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発見された多くの遺物は土ごと運ばれて,九州国立博物館で調査中。
最新鋭の設備で,これまで分からんかったこともたくさん分かります。
全容が解明されるのが待ち遠しい。
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古代の首長や人々が見ていた景色に思いを重ねます。
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ほいで,古賀市の歴史資料館へ。
許可を頂いて,掲示,展示物をiPhoneでパチリ。
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ひもろぎ逍遙さんの記事
船原古墳(1)金メッキの馬具一式が発見された・その環境 小山田斎宮と愛鷹神社が近い
船原古墳(2)現地説明会に行って来ました
船原古墳(3)被葬者の生きた時代
船原古墳(4)「ふなばる」を考えた
船原古墳(5)同じものが宮地嶽古墳に奉納されていた?
西日本新聞:唯一無二、華麗な意匠 福岡・船原古墳の金銅製馬具



福岡県古賀市
Npvember 10,2013



by sora07jp2000 | 2013-12-31 04:27 | ◆点描 | Trackback | Comments(0)