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2016年 08月 28日

鳥野神社 福岡県直方市頓野

直方市頓野、内ヶ磯ダム湖の畔。
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鳥野神社。
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鳥野神社御由緒
祭神
天照皇大神、保食大神、月読大神、軻遇槌神
 白鳳の壬申(厄1300年前)に福知山上に鎮祭されてより高格古社の神社として神威著しく、遠賀、鞍手、嘉穂郡二万戸から五穀豊穣の神としてまた耳の神様として崇敬を集めた
 慶長年間黒田長政筑前の国主となりし折幕府鬼門の守護神として上宮を再興福智権現と称していた上宮は天正年間筑前と豊前に分社。慶安年間に当地に本殿を築き明治三十九年鳥野神社と改称
明治三十三年県社に昇格、大正十三年社殿改築。
神使は烏
例祭日 十月十二日

社頭設置由緒碑

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縣社 鳥野神社 直方市大字頓野字内ヶ磯
祭 神
保食大神、軻遇槌神、天照大神、応神天皇、月讀大神
由 緒
神代の昔天孫彦火瓊々杵尊の勅願により猿田彦細女の二神に命じて福智山に鎮祭せしめられたり。景行帝の朝日本武尊熊襲討伐の為下国の時当山にて神驗に感ぜらる則ち敬拝して戦利を祈られ凱旋の途次再び来て上中下三所神宮を創立し以て奉賽の意を表せらる以来衣食の太祖西州の鎮守として朝野の尊信最厚し。仲哀帝の朝神功皇后三韓征伐の為め下国の時戦利を祈り帰朝の後鳴鏑矢を山上に納めて宿禱を賽せらる。
天武帝の朝太宰帥栗隈王等神威に感じ朝廷に具奏す則ち勅命を承け郡国の吏民を督して三所神宮を再営し諸處の霊地を質さる則ち太宰帥栗王隈王より西州鎮護の惣社たるを以て社域十二里寄附の由白鳳二年三月の太府宣及び本朝衣食の始祖海西鎮護の三峯として日子竈門の両山と相並ぶべきにより鞍手郡粥田外一郷寄附の由白鳳三年三月の綸旨あり。慶雲元年秋優婆塞役小角求法を祈り山上に豊碑を建つ以来彦山の修験春は竈門山に秋は当山に入ると常とす。

(中略)

尚左記諸項に依て、当社の神威著しく、万民の崇敬厚かりしを見るべし。
古来神霊屢御示現ありしこと。当社の神使は鳥なること。上宮は古来筑豊両国同一社にて崇祭ありしが天正年中故ありて終に分社せしこと。当山は日本武尊熊襲瞰望の地なるにより別に国見山と称すること。古来十二度大祭百二十余度の小祀ありしこと。当山には十二社四十九の霊跡及び五ヶ所の附属寺院百二十余りの神職社僧ありしこと。貴辺より屢諸国御祈禱配札を命ぜられしこと。福岡藩府鬼門の守護神なりしこと。御粥神事は当社古伝の重祭なりしこと。当社秘法の鎮火祈禱は藩政中に在りては国夫を以て江戸の君邸を始郡夫社家を発遣して福岡藩士民及び豊前地方に配札せしこと。当山の大半は古来社有なりしが維新後上地となりしこと。当社神賑中山笠類の外雪丸解の古式を存せること。当社御夢想の早苗膏本家筑前姪浜に存在せること。当社の御分霊を所在に鎮祭して福智宮と称すること。春秋の祭期には当社献供の五穀種子を信用して公衆拝受すること。祭期に参拝する能はざるものは小豆粥又は鏡餅を調度して自家の神壇に献じ必ず遙拝するの古例あること。
明治三十三年四月十一日縣社に昇格。
例祭日
十一月十二日
神饌幣帛料供進指定
昭和二年四月二日
主なる建造物
神殿、祝詞伝、弊殿、拝殿、神輿殿、宝庫、社務所、社籠殿、炊事場、石華表、木華表、石造玉垣
主なる宝物
鎮西福智山縁起一軸、福智大権現続縁起一軸、絵馬一面、古文書巻物四軸
境内坪数
六千二百九十一坪
氏子区域及戸数
氏子なし、崇敬者遠、鞍、嘉穂の四郡二万余戸

境内神社
末社山神社(大山祇大神)


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福岡県直方市頓野
July 23,2016

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by sora07jp2000 | 2016-08-28 04:17 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 08月 23日

八幡神社 福岡県直方市上頓野


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直方市指定有形文化財
八幡神社の洪鐘
 八幡神社は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の三柱を主なる祭神とし、建武二年(一三三五)雲取城主麻生出羽守遠長が、豊前宇佐八幡宮を勧請し建立された。
 文和四年(一三五五)黒法師丸が神祠を再造、康応二年(一三九〇)麻生辰俊が再建、その後、延宝六年(一六七八)、宝暦八年(一七五八)、安政三年(一八五六)に社殿が、明治三九年(一九〇六)に社務所、回廊が造営されている。
 この鐘は最初長州吉田郡松屋別府の東光寺に永享二年(一四三〇)にかけられ、永正六年(一五〇九)に八幡神社に移されたもので、以後いつからか、「雨乞いの鐘」として使用されるようになり、かんばつの時に白布に包み竜王峡の滝つぼに沈めてその祈願をするならわしがあった。
 高さ一四〇㎝・回り一三〇㎝・下方一部欠損
 昭和六十三年三月十五日直方市指定有形文化財に指定されました。

社頭掲示板

八幡神社等祭事掲示
元旦祭一月一日
春季例祭(祈年祭)四月上中旬
夏越祭七月下旬
秋季例祭(宮日祭)十月中下旬
獅子祭十一月下旬
竜王神社例祭十月下旬
秋葉神社例祭十一月上旬
恵比須神社例祭十二月上旬

社頭掲示板

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村社 八幡神社 福岡県直方市大字上頓野字桂生寺
祭 神
応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、日本武尊、大巳貴命、大歳神
由 緒
当社は建武二乙亥年豊前国宇佐宮より当村総田山に勧請願主雲取城主前出羽守源朝臣遠長正平十乙未年造営源黒法師丸元中七庚午年造営源麻生辰俊延宝八庚申年造営、嘉永三庚戌年社殿焼失、安政三年丙辰四月社殿造営、明治五年十一月三日村社に定めらる。日本武尊、大巳貴命、大歳神は同村的場に尺岳下宮として祭祀ありしを明治三十六年十一月十七日廃社の上合併許可。
例祭日
十月十七日
神饌幣帛料供進指定
明治四十年八月二十六日
主なる建造物
神殿、幣殿、拝殿、社務所、神庫、廻廊、石門、狛犬、燈籠、石華表
主なる宝物
鐘一、神鏡三面、社記一冊
境内坪数
千五十六坪
氏子区域及戸数
上頓野区一円 二百四十八戸
境内神社
恵比須神社(事代主神、素盞嗚命、稲田姫命、大若子命、菅原神)


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福岡県直方市上頓野
July 23,2016

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by sora07jp2000 | 2016-08-23 03:46 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 08月 18日

近津神社 福岡県直方市頓野

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近津神社御由緒
御祭神
伊弉諾大神
伊弉册大神
軻遇槌大神

 景行天皇平定より八年後(西暦七十九年)熊襲征伐のため入国した日本武尊は土豪大兄彦が献じた御神器の弓矢をこの地に鎮祭した。玉体を近くに守り給うとの意をしって近津大神と称し、又戦に千度勝つようにとの願いをこめて千勝社とも呼ぶ。
 主祭神の伊弉諾命、伊弉册命は健康長寿の神として又軻遇槌大神は火の神として昔より多くの人たちの信仰を集めている。
 境内には直方藩主黒田長清の歌碑や当地名発祥の源となった十堂像も祀られている。
 社殿は慶長元年(一五九六)雷火のため焼失寛文十三年(一六七三)に再建されその大正十四年現在の神殿・拝殿を新築した。

境内設置由緒碑


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近津神社 福岡県直方市頓野字十堂
祭 神
軻遇突智命、伊弉諾尊、伊弉册命、蛭子命、素盞嗚命、高龗神、罔象女命、闇龗神
由 緒
続風土記録書上略に曰く、応永元年巳末(附記応永元年は甲戌の年なり)社殿を改築し其の後天正年中高取城主毛利鎭實再造大内家より粕屋郡津屋崎郷篠口竝に大友家より水田三十五町六反寄付ありし感帳あり、明治五年十一月三日村社に被定。素盞嗚命は字西尾に須賀神社として祭祀したるも明治四十年四月二十二日許可を受け本社に合祀す。高龗神、罔象女命、闇龗神は字貴船に無格社貴船神社として祭祀ありしを明治四十三年五月二十四日本社へ合併許可。
当社の由緒略記に挙ぐる所に依れば旧記に千勝社、三野權現等の別号あり社地は大字頓野の中央に在り。上古は神が浦と云ひしを後世亀倉と云ひ、明治以来其一地角十堂の地名を公称す。
当社の創始は今を距る千八百年前即ち人皇十二代景行天皇御宇日本武尊熊襲討伐として御入国の時福智山に登り給ひ平国の御弓矢を以て玉体御守護の霊たる事代主命を新察せられ、土豪大兄彦と云ふ人臺命を蒙り神器の御弓矢を奉じて此地に鎮祭ありしより、玉体を近く守り給ふの意にて近津宮と称し千たび勝つの意にて千勝社と呼ぶと云ふ、身命の長寿、武運の強盛を守り給ふ外に温和円満の御神容を以て福縁を守り給へば世に恵比須神と尊び奉る。則ち本社東殿の御神位に在らせ給ふ、次に頓野小野牟田の西なる高津の森の地は帝国開拓の大祖、日本民族の根元たる伊弉諾、伊弉册尊が豊前彦山に留り給ふ初めに於て御降臨ありし縁地を以て十三代成務天皇の代に御顕現に依り筑紫国造田道麿始て此地に高津小野の宮を造立せられ御神伝の玉と鏡に国造護身の鉾を取副へ御神体として奉安せられ。其後四十代天武天皇御宇に大宰総領三野太郎王が国人に令し御社殿再興ありて別に三野宮とも称するに至る、然るに頓野西方の低地部は上古玄海の潮勢に侵されしが星霜経るに従い漸く退き其社地のみ沼澤芦葭の間に残りて神域に適せざりしかば今を去る千二百年前、四十五代聖武天皇御宇天平九年春に太宰太貳藤原宇合郷が神威に感じて高津小野宮を近津宮に合併し特に黄金の御神体を鋳造して此山に納め社殿を改造して治国安民祈願所の宣旨を下し賜ひ天子奉納の御楯及び大宰府より陵王面大鈴等御寄進あり云々と。
例祭日
十月二十一日
神饌幣帛料供進指定
明治四十年八月二十六日
主なる建造物
神殿、祝詞殿、幣殿、拝殿、神間、神庫、社務所、神橋、石華表、石門、玉垣、水舎
主なる宝物
近津神社本伝一軸、頓野近津權現社伝一軸
境内坪数
八百七十坪
氏子区域及戸数
頓野区一円 四百戸
境内神社
末社貴船神社

福岡県神社誌 上巻

Panoramio 石津安信:Explorer



福岡県直方市頓野
July 23,2016

NIKON D3S



by sora07jp2000 | 2016-08-18 03:25 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 08月 13日

王子神社 福岡県直方市感田

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王子神社御由緒碑
鎮座地 直方市大字感田九九〇番地
御祭神
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(マサカアガツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)
天津彦根命(アマツヒコネノミコト)
天津穗日命(アマツホヒノミコト)
熊野久須日命(クマノクズヒノミコト)
活津彦根命(イクツヒコネノミコト)
多紀理姫命(タコリヒメノミコト)
市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)
多紀津姫命(タギツヒメノミコト)
摂 社
阿高神社 菅原社 白峰社
末 社
貴船十二社
例祭日
一、一月一日 元旦祭
一、五月二十三日 春祭
一、七月十一日 祇園祭
一、七月二十八日 水土祭
一、十月二十三日 秋祭
御由緒
 神功皇后の朝、随臣阿曇麿勅によって飼雁料田を献じ松坰宮(ショウケイグウ)を創す。貞観元年(八五九)藤多麿神託によりこの社地(八辻ヶ岡)に御遷座申し上げ王子松隈宮と称う。「筑前国続風土記拾遺」に謂う。「王子大明神社感田村の産神也所祭五男三女神也頓野村水田氏奉祀す応永年中(一三九四)社殿造営され年月を経て朽損のため延宝六年(一六七八)再興すと棟札に誌せり古は神田多祭儀厳重なり。今は浮殿跡大宮司屋敷管絋橋反橋神的の馬場等のあと名のみ残れり」明治五年社域拡張、明治三十三年社殿改築、明治四十二年村社供進使指定社となる。古来農業・水・家畜の守護神として村人氏子の尊信篤し。

社頭設置由緒碑


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王子神社御由緒
鎮座地 直方市大字感田九九〇番地
神功皇后の朝、随臣阿曇麿勅によって飼雁料田を献じ松坰宮(ショウケイグウ)を創す。貞観元年(八五九)藤多麿神託によりこの社地(八辻ヶ岡)に御遷座申し上げ王子松隈宮と称う。筑前国続風土記拾遺に謂う「王子大明神社感田村の産神也所祭五男三女神也頓野村水田氏奉祀す応永年中(一三九四)社殿造営され年月を経て朽損のため延宝六年(一六七八)再興すと棟札に誌せり古は神田多祭儀厳重なり。今は浮殿跡・大宮司屋敷・管絋橋・反橋・神的の馬場等のあと名のみ残れり」明治五年社域拡張、明治三十三年社殿改築、明治四十二年村社・供進使指定社となる。古来農業・水・家畜の守護神として村人氏子の尊信篤し。
御祭神
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(マサカアガツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)
天津彦根命(アマツヒコネノミコト)
天津穗日命(アマツホヒノミコト)
熊野久須日命(クマノクズヒノミコト)
活津彦根命(イクツヒコネノミコト)
多紀理姫命(タコリヒメノミコト)
市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)
多紀津姫命(タギツヒメノミコト)
例祭日
一、一月一日 元旦祭
一、五月二十三日 春祭
一、七月十一日 祇園祭
一、七月二十八日 水土祭
一、十月二十三日 秋祭

境内北掲示由緒板

村社 王子神社 直方市大字感田字八つ辻
祭 神
正哉吾勝々速日天忍穂耳命、天津彦根命、天津菩卑命、活津彦根命、熊野久須日命、市杵島姫命、多紀理姫命、多紀津姫命
由 緒
勧請貞観元年巳卯春三月。明治五年十一月三日村社に定めらる。
社説に曰く、神武天皇の朝道臣命神籬を起て給ひし所なりといふ。神功皇后の随臣阿曇麻呂(一書に安住希成)神威に感じ勅を奉じて松洞宮を創立し、飼雁料田を充てらる雁田又は感田の名茲に起る。
貞観元年宮多麻呂宣を蒙り、社地を八辻ヶ岡に相し奉遷して王子松隈權現社と号し奉る。
天文十一年大友軍勢乱入社寺悉く兵燹に罹る、此時水田宮太夫辰卿義弟辰直と力を協せ御神体を守護し奉る。時に猿あり群をなして御神輿を奉じ林中に隠し奉る。自之永禄六年春まで赤隈山(別名松隈山とも見ゆ)御假殿に御駐輦實に二十二年間なり。辰郷は晩年王子社側に隠栖す、是地を大宮司屋敷と伝称す。社内に十二の貴船社を鎮祭し、里民農耕、水利、家畜の守護神として尊崇厚く、孟夏の候毎年神事極めて盛なり。
例祭日
十月二十三日
神饌幣帛料供進指定
明治四十一年三月二十一日
主なる建造物
神殿、幣殿、拝殿、社務所、神庫、神楽殿、石華表、石門
主なる宝物
感田王子權現社伝一軸
境内坪数
三千二百四十四十母
氏子区域及戸数
感田区一円 三百二十戸
境内神社
武富神社
天神社

福岡県神社誌 上巻

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福岡県直方市感田
July 23,2016

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by sora07jp2000 | 2016-08-13 04:41 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 08月 11日

熊野神社 福岡県久留米市山川町

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熊野神社
所在地 山川町追分三四一
祭 神
伊弉諾命 伊弉再命
創 建
安政三丙辰歳(一八五六)
祭主井上伊豆守盛禮 熊野大明神を謹請す
再 建
明治十二己卯歳九月上棟
願主 冨安忠四郎・同和智太三郎
同 和智永利平
再々建
平成三年九月・台風十九号による被害甚大、平成十一年十一月再建遷座
願主 追分町内会
代表 冨安俊男・鐘江 誠
神殿内図示に観世音菩薩祭祠
子安観世音菩薩座像
観世音菩薩立像
注=寛延記(寛延二己巳歳)(一七四九)一 観音 小堂一宇 仏体木像 開基の義不相知、 尤 従前々所の祭礼所に仕居申候。とある
境内石祠=建立 文政二己卯歳(一八一九)閨四月吉日
祭神 不明 追分氏子中
平成十三年三月
山川校区郷土研究会建之
境内掲示版

熊野神社 伊弉諾命 山川村大字山川字北追分
福岡県神社誌 下巻

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Panoramio 石津安信:Explorer



福岡県久留米市山川町
July 18,2016

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by sora07jp2000 | 2016-08-11 04:00 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 08月 08日

味水御井神社 福岡県久留米市御井町

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味水御井神社と朝妻の清水
 味水御井神社は天慶7年(944)の筑後国神名帳にも登場する由緒ある古社です。
「うましみず」の名が示すとおり、境内には現在でも清冽な水が滾々と湧き出し、古来より崇敬を集めると共に、「朝妻の清水」として多くの人々の生活に潤いと恵みを与えてきました。
 また、近年は筑後一宮である高良大社で行われる川渡祭(へこかき祭り)の際の禊(みそぎ)の泉としても知られます。
 味水御井神社の歴史的意義は深く、7世紀後半から12世紀後半にかけて高良山北麓一帯に営まれた筑後国府(筑後国を治める中心的な役所)の発掘調査においても、国府の長官の居館である国司館から当社に向けて延びる道路の跡や、当時の官人たちが朝妻の清水から導水し「曲水の宴」を楽しんだと見られる玉石敷きの人工的な小川などが確認されています。
 県指定天然記念物のクロガネモチをはじめとした巨木に囲まれ、澄明な水を湛える湧水。味水御井神社の社叢は神さびて神秘的な気配がただようとともに、市民に愛されている憩いの場でもあります。

境内説明碑

※クロガネモチは既に倒れて撤去されています。(石津)

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味水御井神社 2013.01.03



福岡県久留米市御井町
January 18,2016

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by sora07jp2000 | 2016-08-08 04:26 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 08月 07日

八幡宮 福岡県久留米市高良内町

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村社 八幡神社 三井郡高良内村字大谷
由 緒
古老の伝記に景行天皇九州御巡幸之節、此処に御滞座あらせられたる古跡と云えう、故に八幡神社鎮座の処を今に至る迄之を称して御座と云ふ。
従来字内野に無格社八幡神社として応神天皇を祭祀ありしを大正十二年十一月二十六日許可を得合祀、祭神同一に付き合霊せり。
例祭日
十二月十五日
主なる建造物
神殿、中殿、拝殿
境内坪数
二百五十五坪
氏子区域及戸数
約三百十五戸
境内神社
天満神社(菅原神)
山神社(大山咋命)
水天神社(安徳天皇)

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 大谷古墳群
久留米市高良内町875-1他
 大谷古墳群は、高良内町字大谷一帯に約1,400年以上前の古墳時代後期(6世紀後半頃)に造られたものです。もともとはたくさんの古墳があったと思われますが、現在は八幡宮周辺に3基が残っているにすぎません。
 平成11・12年度に八幡宮境内の1号墓(通称高良内古墳)と3号墓を発掘調査しました。参道左手の1号墳は、古墳の周りに溝が円形に巡る直径18mの円墳、公民館裏側にある3号墳は、直径30mの円墳と判明しました。1号墳の内部は、死者を埋葬した石の部屋(石室)が筑後地区特有の円形に近いドーム状になっていました。石室の中へ入ると、手前に小さな部屋(前室)があり、その奥に広い部屋(後室)が造られています。また、石室からは、ガラス玉や貝輪(貝製のブレスレット)・耳環(イヤリング)などの装飾品や、馬具、お供えをした土器などの副葬品が多く出土しました。これらの出土品は、久留米市埋蔵文化財センターに保管され、見学出来るようになっています。この古墳に埋葬されたのはどのような人だったのでしょう。古代に高良内町を思い描いてみてください。
 古墳は、昔の人々の生活・習慣を語ってくれる貴重な財産です。これからも大切に守り伝えていきましょう。

久留米市教育委員会
境内掲示版

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福岡県久留米市高良内町
January 18,2016

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by sora07jp2000 | 2016-08-07 04:25 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 08月 06日

◆祇園山古墳 福岡県久留米市御井町

久留米市御井町。
高良山の西麓、高速道路の脇。

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祇園山古墳
久留米市御井町二九九ー二一九他
福岡県指定史跡昭和五三年三月二五日指定

 祇園山古墳は、古墳時代前期に築かれたと見られる古墳です。墳丘形態は方墳(平面形が方形の古墳)で、規模は東西約二三.七メートル、南北約二二.九メートル、高さ五メートルを測ります。墳丘は本来の地形を成形した上部に盛土を行うことにより構築されており、墳丘裾部と上段の盛土部分には葺石が確認されています。
 埋葬施設は、墳頂部のほぼ中央に納められた箱式石棺です。石棺の大きさは、底部付近で長さ約二メートル、幅約九〇センチメートル、深さ約九〇センチメートルで、棺内には葺石も含めて朱が塗られていました。石棺は古い時代に盗掘を受けたと見られ、内部からの副葬品の出土はありませんでした。
 祇園山古墳は、現在久留米市内で確認されている古墳の中で最も古い段階に築かれた首長墓です。
 祇園山古墳の墳丘外周からは、発掘調査時に甕棺墓三基、石蓋土壙墓三二基(未調査五、不明二を含む)、箱式石棺墓七基、竪穴式石室一三基、不明七基の埋葬施設が確認されています。また、第一号甕棺からは、銅鏡片や勾玉・管玉が出土しています。
現地説明板


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福岡県久留米市御井町
January 18,2016

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by sora07jp2000 | 2016-08-06 03:29 | ◆点描 | Trackback | Comments(0)
2016年 08月 05日

多賀神社 福岡県直方市直方

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多賀神社御由緒
御祭神 伊邪那岐大神 伊邪那美大神
壽命の神多賀大神は天照大神のご両親にて御社は古く日の若宮と称す
奈良朝の養老三年に再建し天平八年妙見大明神と称えた
正平十三年に懐良親王願主となり菊池武光資を献じ葉室惟言改築す
黒田藩政の時長清社殿を南の山上より今の地に遷し元禄五年宮司青山敏文は禁裡に願ひもとの多賀大神に改め御神馬渡御の御神幸を復興す
維新後明治三十五年及び昭和十四年境内を拡張し本殿以下を改築す

春季大祭 四月十三日 十四日 十五日
秋季大祭 十月十三日 十四日 十五日

 美しめ縄かけて祈らむいと長き
  よはひを守る多賀の社に 正三位有功
境内掲示由緒碑

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蛭子社

縣社 多賀神社 直方市大字直方字多賀町
祭 神
伊邪那岐神、伊邪那美神、仲哀天皇、神功皇后、應神天皇
由 緒
当社は古社にして中古は防州大内氏の祭る所、同氏の幕下当郡龍ヶ岳の城主杉權頭連並なるもの社務を指揮せし由当時は神号を妙見大明神と称せり其の後直方領主黒田東市正隆政妙見神社を再建す貞享年中黒田侍従光之本社拝殿及び末社等を改築す元禄五年領主黒田伊勢守長清妙見山に城を築くを以て社殿を山の北に移す即ち今の境内是なり其時勅許により神号を多賀大神と改む旧藩中国内十五社の一たり明治五年十一月三日村社に定めらる。
明治三十三年三月二十日縣社に昇格
尚社説に述ぶる所精細にして次の如し。創立の年代は太古に亘るを以て詳ならざれども、元正天皇養老三年多治比真人、縣守宿願により鞍手郡司某をして再建せしめたること旧記に明なれば、その再建以来既に千二百餘年の星霜を経たり。
社号。旧記に伊邪那岐尊、国土万物を生成し給ひし天に復命申し給ふと参登り座す時に、此山に寄来給ひぬるに依りて御山を日若の山と称し、御社号を日若の宮多賀大神と崇敬し奉り、祭禮をも日若祭と云ひ習はしたり。然るを聖武天皇天平年中、僧行基東蓮寺を建立し両部となりしより、妙見大明神と称へたるが、後元禄五年時の神職青山敏文、藩主の命を奉じ上京して禁裏に願い奉り、御許を得てもとの多賀大神と改称し奉る。
親王武将及び黒田藩主の崇敬。正平十三年征西将軍宮懐良親王大願主とならせ給ひ、菊池武光をして資を献ぜしめ、社殿廻廊を改築せしめらる。足利の季世に至り兵火に罹りしを以て、天文十三年大内義隆当郡龍ヶ嶽の城主杉權頭連並をして再建せしむ。寛永十一年黒田長政の第四子隆政、直方藩主に封ぜらるゝや、産土大神と崇め奉り、寛永十二年六月本殿並に拝殿以下建立あり。隆政逝去の後、補藩主光之貞享三年四月更に本社以下末社三社を改築し仲哀天皇、應神天皇、神功皇后を合わせ祭り、数町に渉る祭祀田の寄進をなし、其の子長清元禄の初年直方藩主を継ぎ、同四年神殿拝殿御供屋神廐楼門鳥居末社に至るまで改築し、尚久しく中絶の神幸を再興、神楽能楽金銀具足楽器類等を屢次奉納し、茲に於て社域の内外悉皆輪奐の美を加へたり。爾来歳月巡りて社殿昇格し今日に及びしが、昭和十一年以来本殿以下附属建物一切の大改築工事実施中に■せり。(写真は改築の社殿廻廊の一部)
特殊神事
古来当社は、国連高昌命運長寿子孫繁栄を守護し給ふ神として■に世に宣伝せらるゝ所、就中隔年執行の神幸式(十月十三日夜より十五日暁に至る)は特に著名にして、金蓋満載の神馬は近国に稀なるを以て、遠近の奉拝社は社域市街■立錐の余地無く寔に古今の盛儀たり。又春季三日間の祭を擲桃祭と称へ、特に四月十四、十五の両日は御祭神の故事に慣ひ桃投げの行事を行ふ。
例祭日
十月十五日
神饌幣帛料供進指定
明治四十年一月十九日
主なる建造物
本殿、幣殿、拝殿、廻廊、境内神社四社、社務所、手水舎、社名石、神輿庫、神楽殿、兼能楽殿、神馬舎、絵馬殿、制札、楼門、
主なる宝物
縁起一巻、古文書一巻、扁額二個、棟札七枚、鏡一面、筒守一個、剣、太刀十振、絵馬八扁、其他
境内坪数
一万三千二百七十四坪
氏子区域及戸数
直方市、大字直方 約二千四百戸
境内神社
天満宮(菅原道真公)
貴船神社(倉龗神)
須賀神社(素盞嗚命、稲田姫)
稲荷神社(倉稲魂神)
金刀比羅神社(棚機神、天織女神、崇徳天皇)
蛭子社(蛭子命)


多賀神社 公式サイト

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福岡県直方市直方
July 18,2016

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by sora07jp2000 | 2016-08-05 03:28 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 08月 01日

日吉神社 福岡県直方市植木

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村社 日吉神社 鞍手郡植木町大字植木字卯田
祭 神
大巳貴神、大山咋神
由 緒
 本町字卯田にある祭神は大巳貴神、大山咋神の二神と相殿に八幡大神祇園社を祭る。社伝に依れば今を距る千百余年の昔、桓武天皇の御代、郷土民の福利を祈らしむとして当時霊験現なりし坂本山王を斎ひ祭りたるものなるが、其後亂世の時、社殿も形跡を認め難きに至りしが、慶長八年癸卯の春、溜池の水大に渾濁、牛疫村内に蔓延し牛馬の斃死する者多く、又蝗蟲発生して被害甚だしきより、村民山王社の廃頽後粗略になせる結果ならむと、慶長十乙巳社殿を復興して吉川山王を鎮祭し奉りしものなりと。尚筑前風土記附録には、日吉社は村の西五町ばかりの處にあり慶長十五年下村より勧請するとあるも之は前記の如く再興せる事を云ひしものならん。現今の社は明治四十一年、神殿の移転、渡り殿の新築、拝殿の改築を成したるものなり。
 明治五年十一月三日村社に被定
 字同町字天神山に無格社徳満神社として祭祀ありしを、明治四十四年九月二十二日合併許可。祭神は大巳貴神にして同一祭神に付合霊せり。
例祭日
九月二十一日
神饌幣帛料供進指定
明治四十一年十月三日
主なる建造物
神殿、幣殿、拝殿、絵間殿
境内坪数
千五百五十四坪
氏子区域及戸数
鞍手郡植木町全部 戸数七百戸
境内神社
大国神社(大国主神)
貴船神社(闇龗神)


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福岡県直方市植木
July 18,2016

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by sora07jp2000 | 2016-08-01 03:55 | 神社 | Trackback | Comments(0)