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2016年 06月 25日

八剣神社 福岡県中間市中底井野

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八剣神社 福岡県中間市大字中底井野字柏
御祭神
日本武尊 素盞嗚命 両道入媛命 市杵島姫命
御由緒
社記によると中底井野のこの八剣神社は、地域の産土神として、下底井野(現遠賀町浅木)に鎮座の浅木神社より、此の地に勧請鎮祭された。と伝えられている。延宝五年(一六七七年)その浅木神社の由緒と云えば、人皇■十二代景行天皇の御宇皇子日本武尊が熊襲より凱旋の途次、御船を寄せられた処であるということで、後の世にその由来から御祭神として日本武尊を祀ったと伝えられる古社である。この中底井野は古くは底井野郷の中心地にあり、日本武尊が御駕を留められたという伝承と、浅木神社までの参詣には老弱男女は不便であったので、村人協議の上勧請鎮祭された。とのことである。
主な年間祭事
一月一日 歳旦祭(朝十時)
五月四日 春 祭
七月十四日 夏越祭(夜)
十月十六 十七日 宮日祭(夜)
境内掲示由緒板

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村社 八剣神社 遠賀郡中間町大字中底井野字柏
祭 神
日本武尊、素盞嗚尊、両道入媛命
由 緒
該社浅木神社に同じ往古は佐野氏奉仕なりしを人民老幼参詣の容易を願ひ延宝五年鎮祭、明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日
十月二十四日
神饌幣帛料供進指定
明治四十年八月二十六日
主なる建造物
神殿、幣殿、拝殿、神庫、鳥居、石灯籠
境内坪数
三百七十七坪
氏子区域及戸数
八十戸
境内神社
嚴島神社
天満神社
貴船神社
蛭子神社
庚申社

福岡県神社誌 上巻


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福岡県中間市中底井野
May 04,2016

NIKON D3S




by sora07jp2000 | 2016-06-25 03:59 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 06月 23日

浅木神社 福岡県遠賀郡遠賀町浅木 2016.05.04


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浅木神社は日本武尊が熊襲征伐の帰りに寄られた霊地に第三十七代齊明天皇が筑紫下りの折に寄られ、その後社殿を建立されたものです。足利義満筑紫下国の時武威を祈り、凱旋後大内氏に命じ社殿を再興する。しかしながら豊後の大友氏のため社殿・社宝が火災にあう。その後仮に小社を建て元和八年(約四百年前)里民により修復される。御神木はこの時に植えられたと伝えられている。黒田候が筑前を領し明治維新まで七代の国主は社参され祈願を命じられている。このお宮の神様は尚武神で病気平癒の祈願をされ回復された方が正面の階段を寄贈された例もあります。
浅木神社々務所
社前掲示版

淺木神社略記
一九九八年(平成十年)四月吉日 門司明德 謹書
祭 神
日本武尊、應神天皇、素盞嗚尊
 昔時淺木神社の周辺は岡湊よりの内海であった。日本武尊熊襲御征伐の帰途、臨幸神跡の霊地である。第三十代齊明天皇亦此の淺木山に御船を寄せ給う、この御代より鎮祭し奉る古社である。
 足利將軍義満筑紫下向の砌り、執事細川頼之を以て幣帛を捧げ武威を祈り、足利家より社地領三町三反歩を寄進された。(六〇〇年前)又周防の國主大内義弘、大内義隆相続いて社殿を建立し社地を献じた。然しながら豊後大友氏の為に宝物、縁起類多数奪取せられると共に元亀三年社殿兵火に罹り焼失、その後仮りに小社を立つ、元和八年里民修覆を加へり。(三七六年前)黒田候筑前を領し明治維新まで七代の國主は社参を致され祈願を命ぜられている。
 昔時は東光寺、西光寺、眞光庵等天台の三坊を構へて別當社増あり。大宮司に附属せり。東光寺、眞光庵は二百餘年前に廃亡し、独り西光寺のみ浄土宗に改宗して淺木にあり。
 社地境内は山勢偉抜ならねど頂上平坦にして社殿あり静閑、周囲は古楠老杉老檜槇その他の樹木鬱蒼として枝を連ね社殿の左右に末社石灯籠、神輿舎あり、一見粛然として畏敬の念を起さしむ。
淺木神社の現在の御祭典
正月歳旦祭 一月一日
春祭祈年祭 四、五月中
祗園祭   七月十四日夜
夏越祭   七月三十日夜
秋季例大祭 十月七日夜前夜祭・十月八日例大祭
なお三年に一度七日夜神幸祭あり。
秋季感謝祭 十一月中
その他組毎の社日の宮座祭、御日待あり、
明治五年五月 郷社に列せらる。
神事と芸能  流鏑馬の神事(例祭)ありしも今はなし。
神幸祭  戦前は隔年毎であったが、戦後は五年に一度実施していたが平成四年より三年に一度に改める。神幸祭に使用の神輿は文化六年國主の命により(一八九年前)郡奉行永田伊左衛門再興せるもので昭和五十二年大修理を行ったものである。
淺木神社社務所
(電話)□□□ー□□□□
拝殿掲示由緒

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御神木 樟
元和八年(約四百年前)社殿が修復された折植えられたと伝えられています。境内の樹木には神の魂が宿ると言われています。長年この地域を見守ってきた御神木の気を感じてみてはいかがですか
樹元掲示板

郷社 浅木神社 遠賀郡遠賀村大字下底井野字鈴開
祭 神
日本武尊、応神天皇、素盞嗚命
由 緒
当社は文中年将軍足利義満建立其後大永二年大内義隆建立す亦社前馬場地一反九畝二十九歩寄進あり天文二十年四月二十六日社領三町三反の地寄附天正十五年三月二日宮内分一町地及元文四年八月旧藩主黒田家より永代米十俵宛寄附明治五年十一月三日郷社に定めらる。
社説に曰く人皇第十二代景行天皇の御宇、皇子日本武尊熊襲征討御凱旋の旅次、御船を此浅木山麓に寄せて従者と共に山上に昇り、四方を眺望し、旅懐を慰め給ひ、親しく桜樹を折りて麓の岸に挿し、誓て曰「吾今此山に心を留めたり願くば此枝葉繁茂して陽春を迎へ美花を開き千春の後猶吾志を違ふべからず」と。従者争て柵を結び記念とし、海を踰て遙に東帰し給ふ。然るに此樹幾くもなくして條を垂れ葉を装ひ、尊の誓旨に適ふに至る。人皇第三十七代斉明天皇筑紫に下り給ふ時、風濤奔騰するを以て船路を枉げて岡湊より内海に入らせ給ふにお船猶漂蕩し夜に至る。乃ち此山の樹木を伐て御饌炊の料になし給ひしに其燻香殊に馥郁なりしかば、天皇大に嘉賞し「今の朝木の馥しき事偏に朕が意に適へり」と宣ひしとぞ。依りて此山を朝木山と名く則ち朝木村名の起源なり。天皇又土地の者を召し此山の経歴を問わせ給ふ。茲に佐野倉梯(釋日本紀廿五阿部倉梯と在)なるもの進みて奏するに日本武尊当時の事情を以てす、天皇大に悦び慕昔の念に堪へず、卽ち此桜樹を崇め倉梯をして桜樹を守らしめ、尚木守の長と定め給ふ。是当社神官の祖にして亦木守村の起源なり、天皇此時御飲の水を命じ玉ふ 依りて谷底の井水を捧げしに「美はしき底井の水」と宣ふ、是亦底井野郷の起源なり。尋て御船に移りて上座郡朝倉の宮に行啓し給ふ、此時始めて社殿建立神霊奉鎭の擧あり。爾来神徳皎著随て公武庶民の尊崇厚く歳時高貴より社殿の造修等ありて祭祀厳粛なりしが、後世兵乱の余波を承け大に頽轉せり。文中三年三月足利義満執事細川賴之を以て代参とし幣帛を捧げ武威を祈り、周防国大内左京太夫義弘に命じて社殿を再興す。永正年大内義興の発願にて相殿に八幡大神を勧請す。大永二年大内介義隆社殿を再興し、社前の縦横二筋の馬場泉水地一反九畝二十九歩を寄進せらる。天文二十年足利家より社領三町三段を寄進せらる。天正十五年大内家より社領一町地を寄進せらる。黒田候筑前を領せらるゝに及び崇信益々厚く、代々の領主社参或は臨時の祈禱を命じ、諸寄進あり。斯く往昔より名将国主等の崇敬厚く神威顕著社殿宏麗祭祀端厳、加ふるに付随の旧跡近地に散在し実に地方の名社なり。以是奉祀の社官累代高貴の寵遇を蒙り、就中黒田候国主となりしより明治維新の改革まで凡七世の間殊に庇恩を蒙りし事は今猶人の知る所也。
特殊祭事
享保七年三月より国主の命に依り永代郡内五穀成就村内安全の祈禱を嘱せらる。
享保八年吉田神祇管所より遠賀郡中時疫諸病退除田畑蟲除五穀成就の御祈禱を執行し居れり。
往昔より例祭には十八艘の浮船列を正し、神輿神器を積み美を装ひ花園山の浮殿に渡御あり。(旧記)
五百五十年前元中年中より大宮司駿馬にて神幸供奉し、地頭領家は素より将軍の旨を承け大内家より山鹿城主麻生氏代官として拝迎す。
往昔より元中頃まで例祭には八匹の馬四を競へて流鏑馬の神事有り、今も其形だけは留む。
例祭日
十月七日、八日
神饌幣帛料供進指定
明治四十年八月二十六日
主なる建造物
本殿、幣殿、拝殿、神饌所、神輿庫
主なる宝物
縁起書巻物、古文書、扁額、剣、神鏡、古棟札
境内坪数
四千百三十一坪
氏子区域及戸数
氏子約八十戸外崇敬者数百戸
末社
稲荷社、貴船社、天満社、萩尾社、恵比須社


燈籠狛犬:「文政四年 甲子正月吉辰」




福岡県遠賀郡遠賀町浅木
May 04,2016

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by sora07jp2000 | 2016-06-23 04:18 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 06月 19日

須賀神社 福岡県鞍手郡鞍手町木月

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須賀神社 素盞嗚尊 鞍手郡古月村大字木月字春日山


福岡県神社誌 下巻

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福岡県鞍手郡鞍手町木月
May 04,2016

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by sora07jp2000 | 2016-06-19 04:45 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 06月 18日

月瀬神社 福岡県中間市上底井野

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村社 月瀬八幡宮 遠賀郡中間町大字上底井野字廣兼
祭 神
品陀和気命、比咩大神、息長足媛命
由 緒
社伝に曰く、寛永十五年二月国主黒田忠之の命あり豊前国宇佐神宮より鎮祭、明治五年十一月三日村社に定めらる。
社説に曰く、寛永十五年八月筑前藩主黒田忠之底井野に別館を造営するに当たり、先づ守護神を斎き奉らむとして浅木神社大宮司佐野正安に命じ猫城跡(現在の社地)に社伝を造営し宇佐八幡宮を勧請鎮祭す、御社号を最初は猫城八幡宮と称す。正保四年藩主は神鏡一面を寄進し、続いて藩主黒田光之宝永元年十月本殿を改築し同二年六月拝殿を造営す。
宝暦二年藩主は御供料として米七俵永代寄進の制を定む。代々藩主の崇仰篤く郡内大庄屋より石玉垣、石灯籠、絵馬など寄進あり。文政三年より郡役所直接米一俵掃除夫一名を永代遣はす事となれり。
例祭日
十月二十五日
神饌幣帛料供進指定
明治四十年八月二十六日
主なる建造物
神殿、拝殿、幣殿、神庫、鳥居、石灯籠
主なる宝物
黒田藩主より献納の絵馬、神鏡等
境内坪数
七百二十坪
氏子区域及戸数
上底井野区一円約百五十戸
境内神社
須賀神社
多賀神社
紫神社
徳満神社
貴船神社
貴船神社
稲荷神社
田守神社
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猫城趾(Site of Neko Cactle)
 猫城は、室町時代に麻生氏の端城として築かれたといわれ、その城跡には、現在、月瀬八幡宮の社殿があります。
 城跡の丘陵は、高さ約20メートルの円錐状で、すそ野には水壕の名残がみられます。
 山鹿城の麻生元重と宗像大宮司氏貞は、数度の合戦に及ぶも決着がつかず、天正6年(1578)、遠賀川の東は麻生領、西は宗像領となります。氏貞は、家臣吉田倫行に雑兵150余人をつけ、猫城に配属します。
 天正8年5月、豊後の大友氏(立花道雪の説もあり)の指令を受けて、鷹取城主毛利鎮実が攻め込みますが、宗像勢は激戦の末、これを打ち破っています。頂上からは、遙かに宗像、鞍手、遠賀が一望され、要塞の地であったことが想像されます。
「猫城」の名の由来は、定かではありませんが、「猫が背を丸めた姿に見える」とか、「敵が攻めて来れば高くなり、城より下るときは低くなり、まるで猫のようだ」との言い伝えがあります。
中間市教育委員会
社頭掲示碑

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福岡県中間市上底井野
May 04,2016

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by sora07jp2000 | 2016-06-18 03:08 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 06月 16日

貴船神社 福岡県鞍手郡鞍手町上木月

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村社 貴船神社 鞍手郡古月村大字上木月字上ノ屋敷
祭 神
闇龗神、高龗神
由 緒
 社伝に永禄年間鷹取の城主毛利兵部少輔鎭實(豊後大友氏の幕下にして当郡鷹取の城主なり天正十五年まで在城せりと言ふ)山城国愛宕郡鎮座の式内貴船宮を勧請し社伝を造営祭祀し下流十五六箇村の井手(遠賀川の筋なり)の守護神とせりと言ふ当時造営の棟札写(棟札は天正年間兵火に罹り焼亡せりと云ふ)に奉献貴船宮本殿一宇云々願主毛利鎭實神主佐野清麻太夫正氏永禄四年朔日附記里老の口碑に依れば往古より当所穂掛藪(往昔より秋季祭典に新穀の初穂を本社に捧ぐる例あり故に社地を穂掛藪と唱ふるにやと云う)に水神社ありて遠賀郡川筋に於ける当村関係の堤防守護神なりき然るに豊後の大友氏当地方を領するに及び幕下の将毛利鎭實を鷹取に在城せしめ当地方を支配せしむる時鎭實遠賀川沿岸の地年々水害を蒙り年穀の損耗あるを憂ひ山代国愛宕郡の貴船宮を勧請し水神社に合祭し社殿を改造せられたりと言ふ又社伝に本社は往昔神田ありて其寄進状も神社に蔵まりたりしが天正年間(天正八年とも言ふ)今許斐川合戦のとき社殿兵燹に罹りしとき焼亡せりと云ふ。正保三年(社伝書に四年とあるも棟札写には三年とあり)現今の地今許斐(小字上の屋敷と言ふ)に社殿を造営し穂掛藪より遷座祭祀すと言ふ棟札写(此棟札も宝暦年間に焼失せりと言う)に奉再建貴船宮本殿一宇云々願主氏子村民謹請神主佐野清麻正保三年七月吉日
 宝暦十三年三月社殿再建附記口碑に是より先き社殿大破せしも当時民力再建に堪へず依て民家の側に一時仮殿を構へ祭祀せしを今年に至り造営せりと言ふ。
 明治六年三月幣殿再建す、明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日
十月十六日
神饌幣帛料供進指定
明治四十五年五月十六日
主なる建造物
本殿、幣殿、拝殿
境内坪数
百七十坪
氏子区域及戸数
上木月区 八十戸


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福岡県鞍手郡鞍手町上木月
May 04,2016

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by sora07jp2000 | 2016-06-16 03:36 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 06月 13日

厳島神社 福岡県宮若市宮田 2016.05.01

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厳島神社

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村社 嚴島神社 鞍手郡宮田町大字上大隈字二反田
祭 神
市杵島姫尊
由 緒
嘉曆元年宗像郡より勧請明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日
十月十七日
神饌幣帛料供進指定
大正九年十月二十一日
主なる建造物
本殿、幣殿、拝殿、社籠殿、社務所
境内坪数
七百十六坪
氏子区域及戸数
宮田町大字上大隈区 三百戸
境内神社
須賀神社(素盞嗚尊)
賀船神社(高龗神)


拝殿前狛犬:「安政四己十二月」「當村組頭 関岡
一の鳥居:「宗像郡渡 石工 麻生市蔵」

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Panoramio 石津安信:Explorer



福岡県宮若市宮田
May 01,2016

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by sora07jp2000 | 2016-06-13 03:53 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 06月 11日

春日神社 福岡県宮若市宮田 2016.05.01

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春日神社
御祭神
第一殿 武甕槌命
第二殿 齋主命
第三殿 天児屋根命
第四殿 比咩大神

抑々當社は建長元年拾弐月御深草天皇の御時、佐伯安行に神託ありて、大和國添上郡春日野に鎮座する春日大社より、文武主宰の春日大明神の分霊を筑前國鞍手郡宮田の里大藏春日谷に勧請して奉祀す。
其の後御社殿は兵火に遭い全てを焼失するがその都度殿宇を再建し祭祀を再興す
神殿幣殿拝殿を改築再興す 寛永七年芳春十二日
神殿幣殿拝殿及社務所を改築再興す 明治十四年十二月
神殿及拝殿葺替す 明治三十五年六月
宮田町都市計画により宮田四八一六番地から現在地に移転し遷座す 昭和三十四年五月
神殿幣殿拝殿及齋館を改築再建す 平成十一年四月二十九日
境内地全体を三米嵩上し模様替えす
境内由緒碑

狛犬A:「萬延元歳」「六月𠮷日」

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村社 春日神社 鞍手郡宮田町大字宮田字大藏
祭 神
天兒屋根命、武御雷神、布津主命、比咩大神、倉稲魂神、闇龗神、大山祇神、軻遇突智神
由 緒
人皇第八十九代後深草天皇の御宇、建長元年十二月二十九日大和国添上郡春日大神を勧請す。
明治五年十一月三日村社に被定、祭神闇龗神、倉稲魂神は同大字々所田無格社限神社として大山祇神、軻遇突智神は同大字々前隈無格社大山祇神として祭祀ありしを四十四年三月六日合併許可大山祇神社祭神闇龗神は同一に付合霊せり。
例祭日
九月二十九日
神饌幣帛料供進指定
大正四年一月十四日
主なる建造物
本殿、幣殿、拝殿、社務所
境内坪数
三百二坪
氏子区域及戸数
太倉の一部、桐野、所田、前隈、戸数四百五十戸
境内神社
須賀神社(素盞嗚命、蛇毒気神)
貴船神社(高龗神、闇龗神)

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福岡県宮若市宮田
May 01,2016

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by sora07jp2000 | 2016-06-11 03:33 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 06月 10日

男田神社 福岡県宮若市宮田 2016.05.01

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男田神社 天津彦根命 宮田町大字宮田字脇野

福岡県神社誌 下巻

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福岡県宮若市宮田
May 01,2016

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by sora07jp2000 | 2016-06-10 03:41 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 06月 09日

天満神社 福岡県宮若市金丸

宮若市金丸
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村社 天滿宮 鞍手郡若宮村大字金丸字西の浦
祭 神
菅原道眞
由 緒
天和年中鎮座、明治五年十一月三日村社に被定
社説に述ぶる所次の如し。
永和二年(附記、永和二年は所謂北朝の年代吉野朝の天授二年に当たる)八月太宰府より勧請せり。其後文明十七年神殿再建、天和二年更に神殿を再建す。宝暦六年旧社地より今の社地に拝殿を再建して移転す。若宮八幡宮末社領田帳に岩崎大明神とあるは当社の事にして、弘安以前の鎮座の由口碑にあれども詳ならず。
例祭日
旧九月二十五日
主なる建造物
神殿、幣殿、拝殿
境内坪数
三百二十七坪
氏子区域及戸数
若宮村金丸区全区域 六十四戸
境内神社
大神宮社(天照皇大神)
豊日別社(豊日別命)



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福岡県宮若市金丸
May 01,2016

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by sora07jp2000 | 2016-06-09 03:36 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 06月 08日

貴船神社 福岡県宮若市水原

宮若市水原
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福岡県宮若市水原
May 01,2016

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by sora07jp2000 | 2016-06-08 03:37 | 神社 | Trackback | Comments(0)