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2016年 02月 26日

恵比須神社 福岡県飯塚市筑穂元吉

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福岡県神社誌に見いだせず,詳細は分かりません。



福岡県飯塚市筑穂元吉
January 31,2016

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by sora07jp2000 | 2016-02-26 03:34 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 02月 24日

老松神社 福岡県飯塚市長尾

飯塚市長尾
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老松神社由緒畧記
御祭神 菅原道真公 祭日九月二十五日
 往古より長尾は大宰府官人上下往来の官道として栄えた里である。天平三年(役一,二三九年前)秋,行基筑紫行脚の折高祖明神を拝せられ大神記して曰く我天神七代国土萬物の祖神なり和銅年中(約一,二六〇年前)越前国に天降り白山権現を影向す神亀五年(約一,二四一年前)若杉の峰に分影するも若杉は山間避遠の地,老物の参詣に不便然るに長尾は官道に沿える里 この地に住むことを欲すと行基自ら尺三四寸ばかりの男女二神(伊邪那岐伊邪那美の神)の神像を刻し泰安す。これが当社の起因である。
降って治安年間(約九五〇年前)大宰府神領とんあり菅原道真公を勧請し,長元六年(約九三七年前)老松宮を改稱し菅原道真を主祭神とするようになった。千石のころ社伝を焼失,天正六年(三九一年前)再建する
当社宮座は治安年間より続けられている
当社は一千年の昔から大宰府天滿宮の分社として天下和楽を求むる人々の信仰をあつめてきた社である
(神社明細帳より)
拝殿掲示由緒書き


村社 老松神社 嘉穂郡上穂波大字長尾字谷
祭 神
 菅原神
由 緒
 社伝に当所の産神は往古より貴船神社なりしが,治安三年に大宰府天満宮神領となりしに依り領地守護のための天満宮を貴船陣屋の社地に勧請し老松宮と称せり(年代不詳)後当社は現今の地に移し産神とし貴船神社は附属神社となりしと言う。附記当所は延喜式に載せられたる長岡駅なり天正六年に造営の棟札ありしが今紛失してなし仍て太宰管内志に載せたるを左に記す大宮司秀村佐渡守豊盛大工藤原佐藤新兵衛家定寔天正六年戌八月二十二日(筑前国続風土記拾遺にも棟札のことは記載せり)元禄六年石鳥居建設す銘に郡司泉與左衞門義全監察之産子中元禄六年八月吉旦
 延享五年拜殿再建棟札に奉再建老松大明神拜殿一宇産子延命云々延享五年戌辰年夏五月吉祥日當社宮座事治安三年老松宮勸請當時より執行せりと言ふも別に文書なし宮座記に
 杉殿(杉殿とは鞍手郡龍徳の城主杉弘相なり文明年中宗祇筑紫紀行に依り杉氏が當地を支配したる事を證せらる)時代より享保年間までのことを同年間に記すものあり其始に杉殿(小性)有坂團左衛門外五人,慶長七年宮座組孫次郎,喜六才五郎,吉作とし以下寛永二年,萬治二年,萬治三年,元禄六年,享保九年,二宮座組の變更を記す。
 附記此宮座は従前の通り今尚現に執行せり,當社は明治御維新前は郡代役所の祈願所たり今祈雨祈時等に關する文書の存するもの三通あり。
 又郡代役所より建設せられたる石灯籠一基を存す。
例祭日
 九月二十五日
神饌幣帛料供進指定
 明治四十四年十月二十四日
主なる建造物
 本殿,弊殿,拜殿,社務所
境内坪数
 千八十七坪
氏子区域及戸数
 百四十戸
境内神社
 須佐神社(素盞嗚,高龗神,闇龗神)


狛犬:「明治四十■年 四月吉辰」

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福岡県飯塚市長尾
January 31,2016

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by sora07jp2000 | 2016-02-24 04:40 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 02月 18日

老松神社 福岡県飯塚市阿恵

飯塚市阿恵。
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村社 老松神社 嘉穂郡上穂波村大字阿惠字村中

祭 神
 木祖句々迺智神,菅原神
由 緒
當社は勸請年月詳ならざれども往古は木祖宮と稱し宮の原(社坊の寺號に依り今は字傳住寺と稱す)に御鎮座あらせられ地方地主神として木祖句々迺智神を斎き奉れりと言傳ふ天慶三年源滿仲公賊将藤原純友追討の爲西州に下向し武運を當社に祈られし事ありとぞ。
正平七年(所謂北朝の文和元年)當阿恵庄大宰府天滿宮神領となれるを以て領主若狭守永敏菅原神を合祀し社號を老松宮と改む永享元年領主臼井城主野・見次郎右エ門慰安薰扁額奉納す,扁額裏書に曰く,奉掲老松宮扁額之事右趣旨者當社元稱木祖宮爲滿仲将軍之祈願所之所文和年中前若狭守永敏以當庄之田定天滿宮燈油料且合祀菅原神而奉崇老松宮從是神威慈顯四方德澤及遠近安薰有心願之事蒙如在之恩有年慈仍聊爲神恩報謝新調進扁額以永掲神前云爾 永享元年己酉二月吉辰野見次郎右エ門慰安薰
天正年中宮の原より現今の社地に遷し奉る(一説には文龜年中とも言ふ)寛永十七年拜殿再建願主原庄兵衛尉種云享保三年石鳥居建立願主産子中
明治五年十一月三日村社に定めらる。
明治九年拜殿再建願主産子中
祭神木祖句々迺智神脱漏府編入願出の所明治四十二年十一月二十二日增加許可あり。
例祭日
一月十五日,四月十一日,七月三日,七月一日,十月二十二日,舊六月二十五日
神饌幣帛料供進指定
 明治四十二年十一月二十六日
主なる建造物
 本殿,弊殿,拜殿
主なる寶物
 古鏡
氏子区域及戸数
 百八十戸
境内神社
 須佐社(素盞嗚命)

天慶三年=940年
正平七年(文和元年)=1357年
永享元年=1429年
一の鳥居:享保三年=1718年
二の鳥居:昭和10年

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左,木祖宮,右,八雲神社。
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天満宮。
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福岡県飯塚市阿恵
January 31,2016

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by sora07jp2000 | 2016-02-18 03:43 | Trackback | Comments(0)
2016年 02月 11日

内野老松神社 福岡県飯塚市内野

冷水峠から北へ下りる。
飯塚市内野。
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内野老松神社。
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村社 老松神社 嘉穂郡内野村大字内野字關屋
祭 神
 菅原神
由 緒
不詳明治五年十一月三日村社に被定。
社説に曰く,後深草天皇寳治二年戊辛の創建にして,昔太宰府の神領なりしより此に勸請せられたるものと傳ふ。元字古宮といふに鎭座し給ひしを天正元年癸酉現在地に遷し奉る。神寳に古鏡八面あり。又寶永二年藩主黒田綱政寄進の繪馬一扁及び、天保八年藤原義實公奉納の額一面を藏す。
特殊祭事
雅の宮座祭寛政十二年作成の記録に依れば毎年舊暦九月九日老松神社に於て執行さるゝ祭にとて古く氏子内小字毎に宮柱といふが選ばれ、その子孫が今も年番を以て諸社のお注連打から當日の祭典の世話をなす。祭には年番を始め宮柱全員参列す。その供物は古來(もと大根地神社十一月八日若しくは三月八日祭の供物なりしを老松神社社を氏神と齋ひ奉るに及び彼を此に遷して同日大根地神社おも併せ祭ることとなれるものゝ如し)より一定のものを湯にて煮て盬を用ひず一品宛を日向皿と稱する藁にち作りたる皿に盛り,又藁づとに包みたる御供飯には長さ二尺六寸の栗の木箸を添へて供ふる。今其の獻品を擧ぐれば
一,御供飯 二升盛,三升盛
二,御神酒 濁酒(今は凊酒)醴
三,御鏡餅 小判形のもの
四,御野采 干蕨,莖豆(蔓ながらの豆)柿,蔓蕷,野老,荒柿,栗以上を一供とし,老松神社,天滿神社の三社に各一供を其他末社には各御鏡餅を供ふ。
直會には,鰹節だしの里芋,味噌汁の吸物に取肴として前記干蕨,莖豆,薯蕷,ところ,荒布,柿,栗等を配したる膳部に一同つき,御神酒の披露をなし次で當番と當日の祭典を終る。
元は獅子舞などありて賑わひたるも今は中絕す。
例祭日
 十月九日
神饌幣帛料供進指定
 昭和十一年十月三日
主なる建造物
 本殿,中殿,拜殿
主なる寶物
寛永二年筑前藩主黒田綱政公寄進の繪馬一扁,天保八年藤原美實公奉納の額一面 神鏡八面
境内坪数
 千百三坪
氏子区域及戸数
 内野村大字内野 百三十二戸
境内神社
 大神社(大日靈命)
 天滿神社(菅原神)
 須賀神社(素盞嗚尊,大國主命,事仕主命)
 松尾神社(大宮賣神)
 恵比須社(蛭子命)
 猿田彦神(興玉神)
 稲荷社(宇賀魂命)
 大日社(大日靈命)
 貴船神社(貴船大明神)
 大山祇神社(大山祇命)


老松神社鳥居:「元禄十二年」1699年
天満宮鳥居:「天保二年」1831年
狛犬:「石工 国松与一郎」
寳治二年:宝治2年=1248年

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天満宮鳥居。
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同拝殿。
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福岡県飯塚市内野
January 31,2016

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by sora07jp2000 | 2016-02-11 03:45 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2016年 02月 06日

志登神社 福岡県糸島市志登

糸島市志登,志登神社。
昨年,社殿が火災で焼失し,再建されたとのことで参詣。
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志登神社
(延喜式内社)
御祭神 豊玉姫命
相殿 和田津見神 彦火火出見尊 息長帯姫命 武内宿祢命
祭典
・元旦祭 一月一日 ・祈念祭 四月七日
・千度汐井七月中旬 ・例大祭(神事)十月六日
・新穀感謝祭十二月三日
由来
志登神社は延喜式神名帳(西暦九〇五年醍醐天皇の時代)に記載せられた式内社で筑前十九社の一社に列せられた由緒ある古社である
この事は延喜年間にこの地方の於ける最も有力な神社として中央にも認められ,又,志摩郡の総社として郡民一体の崇敬を集めていた。
社頭掲示由緒碑

式内社
志登神社
歴史
延喜式内社(醍醐天皇(第六十代)
平安前期九〇五年)の社格を授る
延喜神名帳に記載される(九二七年)
郷社と定められる(明治五年十一月)
福岡県社に定められる(大正四年十一月)
昭和二十年終戦まで
社殿
構造 神明流造り
天正九年十一月(高祖城主)原田隆種(了栄)再建
元禄三年三月(黒田藩三代)黒田光之公再建
享保二年六月(黒田藩五代)黒田宣政公再建
明治三十年代加也山地震にて崩壊 再建
平成二十七年七月 火災焼失後 再建
博多東長寺(元弘年間)が
戦乱で焼失した為室町以前は記録無し
社前掲示由緒碑

縣社志登神社
幣帛料供進指定社。大字志登字宮廻にあり。(古名浮島)祭神豊玉姫命和多津見命息長帯姫命彦火々出見尊竹内宿禰命。延喜式には筑前國怡土郡志登神社一座とあり。古は此の村怡土郡に属せり古は志摩郡の総社にして郡中の貴賤皆産神と仰ぎ祭れり。祭日には神輿潤村合の森と云う所まで渡御あり,宮司七人巫女八人神人二十四人楽人八人此外祠官多く供奉して其の儀荘重なりしといふ。神田も多かりき。古文書に曰く可令早託摩別當次郎時秀法師(法名)領地筑前國志登神社地頭職豊前前司景資跡事右依弘安四年蒙古合戦之忠,所被宛行也。然者早守先例,所令領掌之状,依仰下知知件。弘安九年十月二十八日相模守平朝臣判陸奥守平朝臣判。又曰く筑前國志摩郡志登神社地頭職事,早莅被所下地於沙汰付,託摩別當可執進請取之状如件。應永九年七月二十九日,貞頼賴判。榊掃部入道殿。新原又三郎殿。又一書に,託間別當五郎本領志登地頭職之事などあり。延慶四年の文書に,志土社神官寺別當職免田など見ゆ。共に同地中村家に蔵す。元亀天正の頃までは猶十二町あり。弘安四年辛巳の蒙古合戦の功により同九年丙戊鎌倉より肥前國託摩別當次郎時秀と云人を此の社の地頭職とせしことあり。(前記の古文書参照)古代神領の多かりしを推すべきなり。花山天皇の御代に岩隈式部大藏種美といふ人あり。當社の神託によりて始めて大宮司と稱す。其の子を越中といふ大宮司の家を嗣ぎて,次男■(さんずいに蒼)永といふ僧始めて宮司坊となる。此の外神官巫女數多ありしが豊臣秀吉九國征伐の時神領悉く没収せられしかば神官社僧も皆農夫となれり。此の時の神職岩隈與左右衞門其の所有田畑の内一町を兄の宮司坊祐尊に與へて宮司職を繼がしめ,其の身は遂に農夫となれり。神田は原田隆種天正九年辛巳十一月に再建せしを元禄三年庚子國主黒田光之神殿を初め末社に至るまで改築し,太郎丸の内にて神田壹町六段寄附あり。明治五年十一月郷社となり,大正四年十一月十日縣社に列せらる。大正五年十二月十二日幣帛供進社に指令せらる。もと九月七日を例祭とせしが大正六年四月例祭を十月七日に變更せり。昔此社地は浮島なりしといふ。
豊玉姫は海神の女にして現官幣小社竈門神社祭神玉依姫命にあらせられ地神四代彦火々出見命の后妃にて五代鸕鷀草葺不合命の御母君なり。初め彦火々出見命兄火照命の釣針を借りて釣魚をなさんとして海中に之を失ひ釣針を索むるため塩土老翁の先導に依りて龍宮に至り,豊玉姫姙娠の身を以て彦火々出見命の跡を慕い此の地に来たり給ひし靈地なれば豊玉姫命を奉祀せしものなりと云ふ。尚ほ尊の立たせ給ひて髪を梳りしと云ふ大岩を岩鏡と云ふ。其他鐘掛の松物語橋等社地の附近にあり。又彦火々出見命は同郡高祖神社の祭神にして,東導の神なる塩土翁は同郡芥屋村に鹽土神社として奉祀せりと。
境内神社三殿島神社(祭神市杵島姫神),三社神社(祭神皇大神,八坂神,天滿神),志々岐神社(祭神十域別神,倉稲魂神)。

縣社 志登神社 糸島郡前原町大字志登字宮廻
祭 神
豊玉姫神,和田津見神,彦火々出見神,息長帯姫神,武内宿神
由 緒
延喜式神名帳に怡土郡志登神社一座と在れとも今は志摩郡に属す,昔は大社也元龜天正年九州兵亂の時迄は猶十二町の神田有りしが天正十二年太閤九州征伐の時神領悉く波(没?)収せられたり。元禄の頃の國主光之より神田一町六反寄附又新に神殿造立す。先きの神殿は天正九年十一月に原田隆種再建也。
華表一基其銘に曰く。
寶永四歳次丁亥夏五月二日建立従四位下侍従本州牧松平肥前守綱政。明治五年十一月三日郷社に被定大正五年十月十二日縣社に被定。
主なる建造物
 本殿,弊殿,拝殿,社務所,参籠殿
境内坪数
 七百坪
氏子区域及戸数
 四十二戸
境内神社
 大神宮
 嚴島社(市杵嶋姫命)
 天満宮(菅原道真公)
 志々岐神社(十城別命,倉稲魂命)



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志登神社 2012.04.01

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福岡県糸島市志登
January 03,2016

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by sora07jp2000 | 2016-02-06 05:30 | 神社 | Trackback | Comments(0)