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2014年 12月 31日

部木八幡宮 2 福岡県福岡市東区蒲田

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貴船神社
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本殿後ろのイチイガシ
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本殿左,車寄せだろうか?珍しい。
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豊受神社
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曽我神社
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古ノ宮方面,旧跡地は右の木の陰。


部木八幡神社
年間祭事
一 月  一日 元旦祭 (歳旦祭)
二 月 十七日 新年祭 (祈念祭)
四 月  一日 合併神社春季祭
六 月 三十日 大祓 (夏越え)
九 月  四日 合併神社秋季祭
十 月 十七日 例祭 (神嘗祭)
十一月二十三日 新穀勤労感謝祭 (新嘗祭)
十二月二十九日 大祓 (歳越え)

境内掲示板

村社 八幡神社 粕屋郡多々良村大字蒲田字坂本
祭 神
應神天皇,伊弉諾神,神功皇后,玉依姫神
由 緒
不詳,寛文十二年舊領主黒田光之再建。明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭には馬場に於て流鏑馬をなし或は境内に於て相撲遊藝等を催す,正月元旦には参詣者の修祓をなし神酒其の他を供す。
例祭日
九月十九日
神饌幣帛料供進指定
大正十五年五月十四日
主なる建造物
本殿,弊殿,拝殿,御神輿庫,社務所,神饌所
主なる寶物
御神鏡四面,鐘一個,御縁起一軸,太刀三振
境内坪数
七百五十坪
氏子区域及戸数
多々良村大字蒲田,大字名子,大川村大字江辻大字戸原 氏子戸數三百二十八戸
境内神社
貴船神社(高 神)
豊受神社(豊受姫命)
曾我神社(曾我祐成,時宗)


一の鳥居:「奉寄進 元治元年十一月吉日」「八幡(番の上の「ノ」はない)宮」「奉(異体字)再建 昭和五年十月吉日」
      元治元年=1864年
二の鳥居:「奉(異体字)再建 弘化三年五月吉日」「八幡宮」「奉寄進 元禄十一年二月吉日」
      弘化3年=1846年 元禄11年=1698年
石  塔:「享保十乙巳年 十一月吉旦」「願主江辻村 松永佐作 因佐平治」
    「■皇第二士 神■現慮々 千古之風光 高輝一天涯」
     享保10=1725年
注連掛け柱:「大正五年初春」「部木■■同行中」
狛犬基台 :「明治廿■(六?)年 巳九月𠮷日」「■■(博多?)■ 石工 國■(松?)■■」
北の鳥居 :「大正元年十二月吉辰建立」「八幡宮」「献主 安部■(健?)太」
曾我神社鳥居:「明治四十一年五月𠮷祥日」「曽我神社」「信徒中  建立」

たくさん撮りましたののでぜひこちらも御覧下さい。
Panoramio 石津安信:Explorer




福岡県福岡市東区蒲田
December 23,2014

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by sora07jp2000 | 2014-12-31 04:11 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 30日

部木八幡宮 1 福岡県福岡市東区蒲田

福岡IC下りてすぐ。
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部木(へき)八幡宮。
境内半分は古墳群。
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部木古墳群(へきこふんぐん)
 部木八幡宮は三郡(さんぐん)・若杉(わかすぎ)山地から伸びる台地の西端部分に位置しており,部木古墳群は神社境内の西側で見つかっている9基の古墳からなっています。中でも1号墳と2号墳は前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)という珍しい墳丘の形をしており,この地域の有力者の墓であると思われます。形状が比較的明らかな1号墳は,墳丘の長さが23mで,周囲に周壕(しゅうごう),周堤(しゅうてい)を以ています。その他の古墳は円形の墳丘を持つ円墳です。
 発掘調査を行っていないため築造時期を明らかにする遺物は見つかっていませんが,この古墳群は古墳時代前半期に形成されたものと思われます。
 多々良川の下流域にはこの他に,名島1号墳,天神森古墳などの中国鏡が出土した前方後円墳があります。
 また部木古墳群の周辺には蒲田(かまた)部木原(へきばる)遺跡群・蒲田水ヶ元(みずがもと)遺跡群などの遺跡群があり,これらの遺跡群では発掘調査によって弥生時代中期以降の竪穴住居跡・溝などの生活の跡や甕棺墓などの墓地が確認されており,大規模な集落を形成していたことが明らかになっています。

みんなの文化財を大切にしましょう
平成19年3月 福岡市教育委員会
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クスやイチイガシの大木に囲まれた境内。

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「明治廿■(六?)巳九月𠮷日」の銘。
石工さんの名もあったがよく読み取れなかった。

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御祭神
應神天皇,伊弉諾神,神功皇后,玉依姫神

福岡県神社誌 上巻

拝殿前に実に興味深い文書が掲示されていた。

古ノ宮の旧跡地
龍王の里(亦の名を別火(へひ)の里)の古ノ宮は,太古の昔,神聖な別火を絶やす事無く焚いていたと云われ,神功皇后は,西暦369年頃,この地において別火をもって八百万神を祭り,神託を得て三韓征伐やお産平穏,皇子安泰を御祈願されたといい伝えられている。
内海知彦前宮司の友人である,福岡市東区名子の池見信義氏は,古ノ宮の旧跡地について,次のように証言されている。
『古ノ宮の旧跡地には,途轍もない大きな楠の大木が有った。その横に大きな窪みが有り,その周辺に巨大な石や焼き焦げた大小の石が多数有った。内海宮司は,この地で涌かしたお湯を神功皇后が産湯に使ったと言っていた』と話されている。
古ノ宮の旧跡地は,福岡市蒲田の630番地とその周辺である。現在の福岡インターチェンジ内に有った。

御潮斎所
大昔は,この所まで海であったと伝えられている。此処は,古ノ宮のお清めの御潮の採取場の跡と言い伝えられている。
恐らく古ノ宮の神聖な別火で清めの塩を造っていたと考えられる。
この図面は,神田家屋調査士の協力により昭和22年ごろ米軍が撮影した航空写真と現在の字図を合成し作成したものである。

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神功皇后の伝承,「龍王の里」,「別火(へひ)」,「部木(へき)」
古墳群,想像が膨らむ。



福岡県福岡市東区蒲田
December 23,2014

NIKON D3S







by sora07jp2000 | 2014-12-30 07:10 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 29日

二日市八幡宮 福岡県筑紫野市二日市中央

二日市中央。
県道112号,「市役所入口」交差点。
街中で一方通行もあり,入口分からず辺りを一周。
西側の鳥居から入ることができた。
本殿裏なので一度東に出る。
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二日市八幡宮
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筑紫野市指定文化財(天然記念物)
 二日市八幡宮神木の公孫樹
所在 筑紫野市二日市中央三丁目八八五
指定 昭和五十九年十一月一日

 天正十四年(一五八六年)島津義久率いる薩摩勢は高橋紹運が守る岩屋城を攻め落とし,その帰りにこの公孫樹(いちょう)を伐り倒そうとしました。このとき長百姓(おとなひゃくしょう)惣左衛門の妻とやまだ家の老婆が駆けつけ,老婆が「これは当所の氏神八幡宮の神木なり,たちまち御罰を蒙るべし」といい,そのまま木に抱きつき「この木を伐り申さば先ずこの姥を伐り,それよりこの木を伐り候え」と言い放ったところ,伐り倒そうとした者たちはその勢いに怖れたのか,斧を棄てて立ち去ったといわれています。
筑紫野市教育委員会
樹前掲示板

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由緒記
御祭神
玉依姫命
応神天皇
神功皇后
当神社は御鎮座以来凡そ千四百余年社殿は藩主黒田忠之公の建立で宇佐八幡宮の分霊を祀る文明五年の古文書に二日市の宇佐八幡と称し神木の銀杏樹は御神霊のご加護によって天上の兵禍を免れたので厄除けの銀杏といい伝えられている
古来より縁結び・安産・家内安全・開運の神として尊崇され,ご神供の銀杏は災難消除の霊験がある

祭事
一月一日 歳旦祭
一月七日 どんど焼祭
二月十一日 建国祭
四月第二土曜日
 春季大祭 おんな神輿
七月十四日 夏祭 子供神輿
七月三十一日 夏越え祭茅輪くぐり 大祓式
十月十四日 秋祭前夜祭
十月十五日 秋季例大祭 神幸式
十一月十五日 七五三祭
十一月二十三日 新嘗祭
十二月三十一日 古神札焼納祭 大祓式 除夜祭
毎月一日・十五日 月次祭

神木銀杏樹について
 二日市庄屋覚書に岩屋城の戦の時,秋月種実公から薩州へ助勢をたのんだので島津勢が攻めてきて岩屋城主高橋紹運公を討ち亡ぼし帰りに当所氏神八幡宮の銀杏樹を伐ろうとしました。
其節長百姓惣左衛門の後家で八十歳の恒例になった老母がこの乱暴沙汰を耳にし早速かけつけ「これは当所の氏神八幡宮の神木です,そんなことをしたらたちまち御罰をこうむりますぞ」と言いそのまま木に抱きつき「この木を伐りなさるならば,まずこの婆々を斬ってからにしなさい」と身をもってはばみました。島津の者ども恐れをなしたか,ついに斧をすててそのまま立ち去ったということです。
 この時銀杏樹は半分ほど伐りこまれていました。今でもその伐り跡があります。所の人民若い人など男女いずれもこの伝を聞き覚え何かの時には話の種にすることです(原文は候文)
 岩屋城の合戦は,天正十四年(一五八六年)のことであるから約四百十余年も昔のことで,そのころすでに神木として信仰されていたのがこの銀杏樹であります。
二日市八幡宮
境内掲示由緒記

一の鳥居:「文政三年庚辰二月吉建」「八幡宮」「二日市■両村氏子中」
狛犬:「筑紫郡二日市町 武石政右ヱ門」「昭和十二年一月建之」
大神宮鳥居:「明治四十秊」「大神宮」

郷社 八幡宮 福岡県筑紫郡二日市町大字二日市字龍頭
祭 神
神功皇后,應神天皇,玉依姫神
由 緒
當社は宇佐八幡宮分靈を請せし由當地は豊前國莵狭神社の神靈なりし由を傳ふ今の二日市は紫村と同一にして紫名尤古し(菅公の歌にもちくしにも紫生る野邊はあれと云云)而して舊暦九月十五日,十一月一日祭典す文明五年の古文書に二日町の宇佐八幡と記載せるあり爾後紫二日市と區別し兩村の産土神とす文政四辛巳年觸宗社の稱となる縣郷村社の格式を立てさせられ該社も亦村社に列す明治九年十一月三日村社に定めらる。
明治四十三年十月十四日神幸(大字二日市字船入 大字紫字五穀神 に隔年)
再興許可昭和二年一月七日郷社に定めらる。
例祭日
十月十五日
神饌幣帛料供進指定
昭和二年一月十八日
主なる建造物
本殿,弊殿,拝殿,社務所,神饌所,神庫,手水舎
境内坪数
六百四十六坪一合八勺
境内神社
大神宮(天照皇大神)
秋葉社(味鉏高彦根神,火産靈神,下照姫神)
宇賀神社(宇賀之御魂神)


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大神宮
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西入口の狛犬。
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Panoramio 石津安信:Explorer



福岡県筑紫野市二日市中央
December 21,2014

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by sora07jp2000 | 2014-12-29 06:53 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 27日

扇祗神社 福岡県筑紫野市荻原

大歳神社から山口川沿いに東へ下る。
荻原の集落の奥。
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扇祗神社。
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古賀の扇祗神社は山口川の北,こちらは南。
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御祭神
綾惶根命,埴安命(大神社),火之迦具土神(日尾神社)

福岡県神社誌 中巻

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村社 扇(旧字体)祇神社 筑紫郡山口村大字萩原字垣の内
祭 神
綾惶根命,埴安命,火之迦具土神
由 緒
祭神埴安命は同大字々京手に無格社大神社として,火之迦具土神は同大字々吉浦に無格社日尾神社として祭祀ありしを明治四十四年十月十九日合併許可
例祭日
九月十九日
神饌幣帛料供進指定
昭和三年十一月八日
主なる建造物
本殿,渡殿,拝殿,繪馬殿,社務所,神饌所
境内坪数
百六十八坪
氏子区域及戸数
五十四戸

鳥居:「明治二十六年二月建立」「扇祗神社」「産子中」
狛犬:「昭和五年二■■■ 伊勢参宮記念」
拝殿内額:「■■■」「扇祗神社」「日尾神社」



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福岡県筑紫野市萩原
December 21,2014

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by sora07jp2000 | 2014-12-27 06:21 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 26日

大歳神社 福岡県筑紫野市山口

筑紫野へ。
天拝山南,基山の北側。
山神から流れ出る山口川の辺。
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大歳神社

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山口川
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昭和11年の狛犬。
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こちらは明治31年。
何れも秀逸な意匠と力感。
そして全く痛んでいない。
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御祭神
大歳神,大鷦鷯天皇,素盞嗚尊,
大山祇神,奥津彦尊,火結尊,奥津姫尊,埴安命,事代主命,倉稲魂神

大山祇神からは合祀

福岡県神社誌 中巻

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大杉
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本殿西の八幡宮
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東の社は分からなかったが,神社誌の記載から貴船神社と思う。
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境内南西に「荒神社」の鳥居

祭神
大歳神,大鷦鷯天皇,素盞嗚尊,大山祇神,奥津彦尊,火結尊,奥津姫尊,埴安命,事代主命,倉稲魂神
由緒
不詳,天文二年社殿再建とあり,明治五年十一月三日村社に定めらる。
祭神大山祇神は同大字々小林に無格社山神社として奥津彦尊,火結尊,奥津姫尊の三祭神は同大字々免ケ原に無格社荒神社として埴安命は同大字々木屋町無格社田神社として事代主命は同大字々平山に無格社七郎神社として祭神倉稲魂神は同大字々小石に無格社宇賀神社として祭祀ありしを大正元年十一月五日合併許可同大字々山神に無格社山神社として祭祀ありしを大正二年一月十日合併許可祭神大山祇神にして同一祭神に付合靈せり。
例祭日
七月十二日,十一月一日
主なる建造物
本殿,渡殿,拝殿,社務所,神饌所,繪馬堂,手洗屋
境内坪数
四百九十ニ坪
氏子区域及戸数
百二十五戸
境内神社 
貴船神社(高龗神)
八幡神社(應神天皇)

天分2年=1533年
大鷦鷯天皇=仁徳天皇
奥津彦尊,奥津姫尊=大歳神の御子

御祭神大歳神
大歳神は素戔嗚尊(すさのをのみこと)の御子で御母は大山津見神(おおやまつみのかみ)の御女大市比賣(おおいちひめ)であります 宇賀之御魂神(うがのみたまのかみ)(豊受皇大神宮及稲荷神社の御祭神)とは御兄弟で共に穀物の守護神であります
境内石碑文

狛犬A:「昭和十一年 三月建之」
狛犬B:「安政五戌午歳出生之人貟本年以及初老之厄年各相謀而建之」「明治三十一年 九月𠮷■」

Panoramio 石津安信:Explorer



福岡県筑紫野市山口
December 21,2014

NIKON D3S




by sora07jp2000 | 2014-12-26 04:22 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 26日

□干潟の朝 2014.12.21

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福津市渡
December 21,2014

NIKON D3S




by sora07jp2000 | 2014-12-26 03:27 | □海 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 25日

宝満宮 2 福岡県筑紫野市山家

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厳島神社
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天嫗社
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山王神社
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郷社 寳滿宮 筑紫郡山家村大字山家字松原
祭 神
神功皇后,玉依姫命,應神天皇
由 緒
創立不詳,寳滿宮由来書に曰く,當社山家寳滿大神は勧請由来の義に在らす。化現より以来降臨の本津宮にて萬代不易の廟窟也と神俗共に申傳侍る。その後人皇三十七代孝徳天皇(附記孝徳天皇は代二十六代なり)大化二年丙牛歳神功皇后應神天皇を奉祭せりと云ふ。寳滿宮由来書に曰く,當社山家寳滿大神の由来を尋ね奉るに海神豊玉彦の御子玉依姫命と申奉る地神五代鸕鷀草葺不合尊の神功皇后也治世八十三萬六千四十二歳神武天皇を日向の國高千穂と云ふ所にて産み給ひ然後玉依姫命山家奇魂之地に入給ふと也。人皇十五代姫帝神功皇后(附記,神功皇后は天皇としては數え奉らず)三韓退治の時當社の御神出現あり吾は是神女なり名は豊姫命と申と宣玉ふ干珠滿珠を父豊玉彦に偕受け官軍を助け給う云々とあり。
寳滿宮縁起に曰く,
人皇九十代後宇多院(附記後宇多天皇は第九十一代なり)弘安四年に蒙古國入寇す時に山の形海水にうつる賊恐れて以て石ありすとす或は社中より光物飛散して賊船を漂泊はす或は賊皆神罰を蒙りて船中に悪疾を憂ひて迷動し終に陸に上る事を得ず滅ひうせにけりとなん一重に當社大神の神變なりと申傳へ侍る。同後宇多院の御宇に筑前守藤原經衝と云ふ人大なる旱にあへり雨を此の神に祈る時鏡を鑄て以て神前に掛け和歌を詠して曰く「雨降れと祈る印の有るならは水鏡とも思ふへきかは」と(此歌新續古今集に見えたり)茲に於て雨降ること大なりと云ふ。
又源紹運願書を捧けて曰く大神出現於世慈念衆生猶如赤子威加四海徳播九州昔海外異類毒亂國經以大神之威神力數拒布之朝家信敬老中使降綸■(糸に字,字は上に横棒)尊國総社と云へり斯る尊き御神なるか故に國々所々に勧請して崇祭らずと云ふことなし云々。
寳滿宮縁起一節に曰く,
當社山家寳滿大神は蓋し竈門大神御一體なり即ち筑前國三笠郡山家庄の懸社として民生安堵の靈壇なり。
承徳三年坤の歳夏四月中旬に新に御神託ましましけるにそ皆人心耳をすましたる其の年造營成就して神體遷宮祝儀を陳る中に御巫女にて託て宜く我異國より歸朝して此所に鎮座すること星霜既に一千四百餘年を經て今に至りて社頭七度の造營に及ふと雖も就中今度の造營を以て神慮納受ましますことまえまたゞひに過たり猶も神忠を盡さは宣敷長久を守らんとて神は昇らせ給ひしなりと。
寳滿宮由来書に曰く。
人皇五十四代仁明天皇の御宇承和七年四月中使を下し從五位上を授け給ふと續日本後紀に見えたり。
人皇五十五代文徳天皇宇之御宇嘉祥三年十月勅使を下し筑前國縣夕社の神に正五位の下を授け給ふと文徳實録に見えたり。
人皇五十六代清和天皇の御宇貞觀元年正月二十七日正四位の下を授け給ふと三代実録に見えたり。
寳滿宮由来書の一節に曰く,
人皇五十七代陽成天皇の御宇元慶三年六月八日勅使を下し正四位の上を授け給ふ。
人皇七十三代堀河院嘉承元年十月三日當御神に正一位を授け給ふ勅使は太宰權帥大江朝臣匤房也和歌を詠して奉る。「白幣神乃威を增本津宮竈門の山もおなし和魂」幣帛を捧け此歌を奉納し給ふ于今御寳殿に有之とあり。
天正十五年小早川隆景公當國筑前を領し給ふ時當社の寳滿宮は竈門山寳宮の本宮たるに依て神領一町五反の田地を寄附し給ふ)今に田の字に殘れり)然るに隆景公の用紙秀秋卿の時該社領は總て沒収せらるとあり。
永正十八年辛巳大檀那筑紫小野守藤原朝臣滿門社殿造營すと棟札あり。
承應二癸巳暦夏吉辰大檀那松原筑前守豐朝臣忠之社殿造營すとの棟札あり
天明乙巳年孟春三月吉日氏子中にて社殿を再興せりと云ふ棟札あり是れ則ち今の社殿なり十月十九日は恒例の大祭として神輿を笠懸の遙宮に渡御ありて神楽を奏し笠掛ひ式を執行し其日遷御なる此時伶人楽を奏して神輿に陪從す其お道路を音楽道と稱す此の外年中の祭數多し祠官神人二十五人ありて是れを執行せしも弘治三年七月九州の探題大友二十八代の後胤左衞門督義鎭の嫡子義統と申す者邪法に溺れ神社仏閣を沒倒せり。
當社領も檢地檢斷せられし故祭禮も絕え果て又社家神人等は皆農人に下れりと云ふ。
欽明天皇の御宇四月吉日選中申酉祭始と云々。
西宮記に曰く延喜十五年四月中九日配祭始常云々。
賀儀に葵祭有り此の祭に勅使下り奉幣を捧げ葵を以て祭らるゝ由所見有之云々。祭過きて其葵を大内に捧け奉る此の祭は大事なりとあり。
明治五年十一月三日村社に列せらる。
明治六年九月十日号所に列せらる。
例祭日
六月十八日
神饌幣帛料供進指定
昭和六年十月三日
主なる建造物
神殿,拝殿,渡殿,参籠殿
境内坪数
一千八百四十五坪

筑紫野市指定無形民俗文化財
山家岩戸神楽
筑紫野市大字山家二六八三番地
毎年十月十七日山家宝満宮で奉納されます。昭和二十九年復興当時の演目は,神供(じんぐ)・手草(たぐさ)・敷蒔(しきまき)・天神(てんじん)・両刀(りょうとう)・榊舞(さかきまい)・四神(ししん)・荒振神(あらぶるかみ)・事代(ことしろ)の九番でしたが,現在では問答鬼(もんどうき)が追加されています。特色は,筑紫の国号起源を伝える麁猛神(あらぶるかみ)をモデルにした演目があることです。
神楽の起源については,元禄六年(一六九三)にすでに神楽殿が建立されていることから,さらに古くさかのぼるものと思われます。
筑紫野市教育委員会95/3

大化2年=646年 弘安4年=1281年 承徳3年=1099年 
承和7年=840年 嘉祥3年=850年 貞観元年=859年
元慶3年=879年 嘉承元年=1106年 天正15年=1587年
永正18年=1521年 承応2年=1653年 天明乙巳年=天明5年=1785年
弘治3年=1557年 延喜15年=915年

幡柱:「嘉永二年巳酉季夏」1849年
狛犬A:「石工 相園甚太郎」
狛犬B:「上■郡木庭村 石工 堅村平■」
拝殿内額:「八幡宮」「宝満宮」「神功皇后」
境内社:「厳島神社」「天嫗社」「山王神社」「大日孁貴命」他

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福岡県筑紫野市山家
November 30,2014

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by sora07jp2000 | 2014-12-25 04:54 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 25日

宝満宮 1 福岡県筑紫野市山家

国道200号を冷水峠方面へ。
山家小学校の角を西へ左折。
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宝満宮
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筑豊本線を跨ぐ階段。
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「石工 相園甚太郎」の銘
筑紫野市俗明院の櫛田神社・菅原神社の狛犬にも同じ名があった。

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「上■郡木庭村 石工 堅村平■」
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御祭神

神功皇后,玉依姫命,應神天皇

福岡県神社誌 中巻

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郷社 寳滿宮 筑紫郡山家村大字山家字松原
祭 神
神功皇后,玉依姫命,應神天皇
由 緒
創立不詳,寳滿宮由来書に曰く,當社山家寳滿大神は勧請由来の義に在らす。化現より以来降臨の本津宮にて萬代不易の廟窟也と神俗共に申傳侍る。その後人皇三十七代孝徳天皇(附記孝徳天皇は代二十六代なり)大化二年丙牛歳神功皇后應神天皇を奉祭せりと云ふ。寳滿宮由来書に曰く,當社山家寳滿大神の由来を尋ね奉るに海神豊玉彦の御子玉依姫命と申奉る地神五代鸕鷀草葺不合尊の神功皇后也治世八十三萬六千四十二歳神武天皇を日向の國高千穂と云ふ所にて産み給ひ然後玉依姫命山家奇魂之地に入給ふと也。人皇十五代姫帝神功皇后(附記,神功皇后は天皇としては數え奉らず)三韓退治の時當社の御神出現あり吾は是神女なり名は豊姫命と申と宣玉ふ干珠滿珠を父豊玉彦に偕受け官軍を助け給う云々とあり。
寳滿宮縁起に曰く,
人皇九十代後宇多院(附記後宇多天皇は第九十一代なり)弘安四年に蒙古國入寇す時に山の形海水にうつる賊恐れて以て石ありすとす或は社中より光物飛散して賊船を漂泊はす或は賊皆神罰を蒙りて船中に悪疾を憂ひて迷動し終に陸に上る事を得ず滅ひうせにけりとなん一重に當社大神の神變なりと申傳へ侍る。同後宇多院の御宇に筑前守藤原經衝と云ふ人大なる旱にあへり雨を此の神に祈る時鏡を鑄て以て神前に掛け和歌を詠して曰く「雨降れと祈る印の有るならは水鏡とも思ふへきかは」と(此歌新續古今集に見えたり)茲に於て雨降ること大なりと云ふ。
又源紹運願書を捧けて曰く大神出現於世慈念衆生猶如赤子威加四海徳播九州昔海外異類毒亂國經以大神之威神力數拒布之朝家信敬老中使降綸■(糸に字,字は上に横棒)尊國総社と云へり斯る尊き御神なるか故に國々所々に勧請して崇祭らずと云ふことなし云々。
寳滿宮縁起一節に曰く,
當社山家寳滿大神は蓋し竈門大神御一體なり即ち筑前國三笠郡山家庄の懸社として民生安堵の靈壇なり。
承徳三年坤の歳夏四月中旬に新に御神託ましましけるにそ皆人心耳をすましたる其の年造營成就して神體遷宮祝儀を陳る中に御巫女にて託て宜く我異國より歸朝して此所に鎮座すること星霜既に一千四百餘年を經て今に至りて社頭七度の造營に及ふと雖も就中今度の造營を以て神慮納受ましますことまえまたゞひに過たり猶も神忠を盡さは宣敷長久を守らんとて神は昇らせ給ひしなりと。
寳滿宮由来書に曰く。
人皇五十四代仁明天皇の御宇承和七年四月中使を下し從五位上を授け給ふと續日本後紀に見えたり。
人皇五十五代文徳天皇宇之御宇嘉祥三年十月勅使を下し筑前國縣夕社の神に正五位の下を授け給ふと文徳實録に見えたり。
人皇五十六代清和天皇の御宇貞觀元年正月二十七日正四位の下を授け給ふと三代実録に見えたり。
寳滿宮由来書の一節に曰く,
人皇五十七代陽成天皇の御宇元慶三年六月八日勅使を下し正四位の上を授け給ふ。
人皇七十三代堀河院嘉承元年十月三日當御神に正一位を授け給ふ勅使は太宰權帥大江朝臣匤房也和歌を詠して奉る。「白幣神乃威を增本津宮竈門の山もおなし和魂」幣帛を捧け此歌を奉納し給ふ于今御寳殿に有之とあり。
天正十五年小早川隆景公當國筑前を領し給ふ時當社の寳滿宮は竈門山寳宮の本宮たるに依て神領一町五反の田地を寄附し給ふ)今に田の字に殘れり)然るに隆景公の用紙秀秋卿の時該社領は總て沒収せらるとあり。
永正十八年辛巳大檀那筑紫小野守藤原朝臣滿門社殿造營すと棟札あり。
承應二癸巳暦夏吉辰大檀那松原筑前守豐朝臣忠之社殿造營すとの棟札あり
天明乙巳年孟春三月吉日氏子中にて社殿を再興せりと云ふ棟札あり是れ則ち今の社殿なり十月十九日は恒例の大祭として神輿を笠懸の遙宮に渡御ありて神楽を奏し笠掛ひ式を執行し其日遷御なる此時伶人楽を奏して神輿に陪從す其お道路を音楽道と稱す此の外年中の祭數多し祠官神人二十五人ありて是れを執行せしも弘治三年七月九州の探題大友二十八代の後胤左衞門督義鎭の嫡子義統と申す者邪法に溺れ神社仏閣を沒倒せり。
當社領も檢地檢斷せられし故祭禮も絕え果て又社家神人等は皆農人に下れりと云ふ。
欽明天皇の御宇四月吉日選中申酉祭始と云々。
西宮記に曰く延喜十五年四月中九日配祭始常云々。
賀儀に葵祭有り此の祭に勅使下り奉幣を捧げ葵を以て祭らるゝ由所見有之云々。祭過きて其葵を大内に捧け奉る此の祭は大事なりとあり。
明治五年十一月三日村社に列せらる。
明治六年九月十日号所に列せらる。
例祭日
六月十八日
神饌幣帛料供進指定
昭和六年十月三日
主なる建造物
神殿,拝殿,渡殿,参籠殿
境内坪数
一千八百四十五坪

筑紫野市指定無形民俗文化財
山家岩戸神楽
筑紫野市大字山家二六八三番地
毎年十月十七日山家宝満宮で奉納されます。昭和二十九年復興当時の演目は,神供(じんぐ)・手草(たぐさ)・敷蒔(しきまき)・天神(てんじん)・両刀(りょうとう)・榊舞(さかきまい)・四神(ししん)・荒振神(あらぶるかみ)・事代(ことしろ)の九番でしたが,現在では問答鬼(もんどうき)が追加されています。特色は,筑紫の国号起源を伝える麁猛神(あらぶるかみ)をモデルにした演目があることです。
神楽の起源については,元禄六年(一六九三)にすでに神楽殿が建立されていることから,さらに古くさかのぼるものと思われます。
筑紫野市教育委員会95/3

大化2年=646年 弘安4年=1281年 承徳3年=1099年 
承和7年=840年 嘉祥3年=850年 貞観元年=859年
元慶3年=879年 嘉承元年=1106年 天正15年=1587年
永正18年=1521年 承応2年=1653年 天明乙巳年=天明5年=1785年
弘治3年=1557年 延喜15年=915年

幡柱:「嘉永二年巳酉季夏」1849年
狛犬A:「石工 相園甚太郎」
狛犬B:「上■郡木庭村 石工 堅村平■」
拝殿内額:「八幡宮」「宝満宮」「神功皇后」
境内社:「厳島神社」「天嫗社」「山王神社」「大日孁貴命」他

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福岡県筑紫野市山家
November 30,2014

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by sora07jp2000 | 2014-12-25 04:46 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 23日

宝満宮 福岡県朝倉郡筑前町二

筑紫野市と筑前町の境
筑前町二(ちくぜんまちふた)
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宝満宮
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御祭神,玉依姫命


宝満宮由緒略記
主祭神 玉依姫
祭礼日 九月十九日
境内地 夜須町大字二字古野八番地 二,一五三平方米
 本神社は,寛文五年(西暦一,六六五年)九月十九日に建立されました。この地には,むかし十三塚が東西に並んでいましたが,それを崩して寛文元年に町を作り村名も十三塚と称していました。はじめ,町の南側は夜須郡に属し,北側は三笠郡に属していましたので,これを一村とし,二村(フタムラ)と称するようになりました。今は全て夜須郡に属しています。その後,寛文五年,山家宝満宮を勧請し,産土神として祭り,今日に至っています。
「大日■(「需」の下に「女」)貴」享保十一午丙年十二月吉日大日■(「需」の下に「女」)貴命(一七二六)
「手水鉢」享保七年四月氏子中(一七二二)原平右衛門世話
「猿田彦」享保十一午丙年十一月吉日猿田彦大神(一七二六)
「鳥居」文政八年四月氏子中(一八二五)
「石灯籠」文久二年一個〔一八六二)
建記 大正十二年 昭和四十三年 平成四年
境内掲示板

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「正一位志賀姫大明神」とある。
お稲荷さんだろうが,「志賀姫」とは。

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村社 寳満宮 朝倉郡夜須村大字二字堤の上
祭 神
玉依姫命
由 緒
不詳,明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日
舊九月九日
主なる建造物
神殿,渡殿,拝殿
境内坪数
三百六十坪
氏子区域及戸数
二 戸数三十戸

福岡県神社誌 中巻




福岡県朝倉郡筑前町二
November 30,2014

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by sora07jp2000 | 2014-12-23 05:06 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 22日

地禄神社 福岡県筑紫野市天山

針摺の地禄神社から東へ。
宝満川渡って宮地岳の南西の裾野。
天山の集落の奥。

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地禄神社

鳥居:「明治二十一年三月 宮座連中」「地禄神社」「井上善三郎」

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昭和15年の狛犬。
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御祭神,菅原道真公。
福岡県神社誌下巻

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福岡県筑紫野市天山
November 30,2014

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by sora07jp2000 | 2014-12-22 04:26 | 神社 | Trackback | Comments(0)