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2014年 04月 30日

八幡宮 福岡県古賀市谷山

白鬚神社から南。
古賀市谷山。
昨年古墳時代後期の馬具一式が発掘された谷山北区遺跡のすぐ南。
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大正15年の狛犬。
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御祭神,息長足姫命,品陀別天皇,玉依姫命。
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古賀市「未来に残したい巨木」第2号
楠 樹齢:約800年
幹回り:7.8m 高さ:30m
樹元掲示板

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村社 八幡宮 粕屋郡小野村大字谷山字古野屋敷
祭 神
息長足姫命,品陀別天皇,玉依姫命
由 緒
不詳,明治五年十一月三日村社に定めらる。
筑前續風土記拾遺に,所祭應神天皇神功皇后玉依媛命なり,祭禮九月二十八日木梨氏奉仕と有り,社説天文年中の創立と云ふ,千年近き巨木の老樟樹てり,文化十三年郡中より本朝三部本書,異國退治の大繪馬の奉納有りて遠方より建物の寄進多し。此所の産神なり。
例祭日
十月十五日
神饌幣帛料供進指定
昭和十六年一月十八日
主なる建造物
本殿,渡殿,拝殿,社務所,注連懸石,華表等
主なる寳物
異國退治繪馬
氏子区域及び戸数
小野村大字谷山 氏子六十戸
境内神社
須賀神社(素盞嗚神,稲田姫神
天神社(神祇八神,菅原神)社伝曰わく神功皇后斉宮神供土器を製し玉ひし旧跡なり云々享保年間菅原神を合祀す大正十五年字裏の山より移転合併。

○ 村社八幡宮 大字谷山字屋敷
・祭 神
息長足姫命 邑陀別天皇 玉依姫命
・由 緒
 筑前国続風土記拾遺に曰わく,村の乾の方にあり,産土なり,祈祭応神天皇,神功皇后,玉依姫命也。祭礼九月二十八日木梨氏奉仕すと有。社説,当社往昔は字若宮に鎮座あり。天文年中今之古野屋敷に御遷座せりと云。当郡中崇敬の御社なりしと云ふ。文化十三年郡中より本朝三部本書竝異国退治の大絵馬等寄付奉納ありて今に掲けたり。社地広平にして,五,六百年の巨木の樟樹,けや木鬱蒼として一見幽厳なる風教を感せり。
小野村史 p.136
  福岡県地理会誌に記載されている内容をあげる
・八幡宮
 本殿一間五尺四方 拝殿三間入二間 通夜堂四間半四方 石鳥居一 社地三百坪 本村(清正庵)にあり。従前,村内二十七戸の産神なり。祭神応神天皇 功皇后(「神」が抜けている。誤植だと思う),玉依姫命,祭日九月二十六日より二十八日に至る,村内に日田 御幣田 忠宮田などの田あり。昔の祭料なるべし。社一菅原神社(的場)末社三須賀神社(社地)穂日神社(西)山祇神社(谷割当)
小野村史p.139

古賀市「未来に残したい巨木」第2号
楠 樹齢:約800年
幹回り:7.8m 高さ:30m
樹元掲示板

天文:1532-1555年 狛犬:大正4年

Panoramio 石津安信:Explorer



福岡県古賀市谷山
March 30,2014

NIKON D3S



by sora07jp2000 | 2014-04-30 03:37 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 04月 30日

★白鬚神社の桜 福岡県古賀市

天気悪い。
でも,桜が心配で出る。
古賀市,薬王寺。
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白鬚神社。
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向こうの鳥居は愛宕神社の鳥居。
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空 sora そら:白髭神社 2010.8.28
ここは何度も訪れていて,撮っていたと思っていた。
が,今見たら,ろくに撮れていない。
撮り直しに行かないかん。
なのでカテゴリは「★その他」に入れときます。
資料は下記に。

村社 白髭神社 粕屋郡小野町大字薬王寺字屋敷
祭神
猿田彦命,大雀天皇
由緒
不詳,明治五年十一月三日村社に定めらる。
社説に曰く筑前続風土記,拾遺に,白鬚神社,村の東に在産神なり。
祭礼九月二十五日と有,今は十月十七日と成れり,其前後十六日は毎年御神幸式あり,特に獻饌として大膳十二膳小膳十膳を供ふる如き賑々しき古式の式奠なりと。
例祭日
十月十七日
神饌幣帛料供進指定
昭和十六年一月十八日
主なる建造物
本殿,弊殿,拝殿,鳥居,寳藏庫,参籠殿等
主なる寳物
布目瓦
境内坪数
七百八十八坪
氏子区域及戸数
小野村大字薬王寺 六十五戸
境内神社
徳満神社(少彦名神)
貴船神社(闇龗神)
山王神社(大己貴神)
須賀神社(素盞嗚神)
山神社(大山祇神)
疫神社(八十禍津日神)
福岡県神社誌 上巻

薬王寺白髭神社 古賀市薬王寺1120番地
 薬王寺区の産土神である本社は,薬王寺集落の東端,椎,樫,椿などの照葉樹と椋の木の林の中に所在し,北側の渓流を遡れば薬王寺温泉へ,中途から右へゆけば薬王寺廃寺があります。
祭神
 猿田彦の命(さるたひこのみこと),大雀天皇(おおささぎのすめらみこと)(仁徳天皇のこと)と『福岡県神社誌』にあります。
  『筑前国続風土記附録』には,「白髭宮は,産土神なり,猿田彦命をまつる。鎮座の初め詳ならず。」とあり,神社の宝永7年(1710年)の棟札には,若八幡宮と白賀大明神の名がみえます。また,全国の村の鎮守級の神社神職の任命権を持つ吉田家から,社家の大司家への正徳4年(1714)の許状にも白賀大明神と記されていますので,この白賀大明神が白鬚神社の原号であったと考えられ,薬王寺には小字の中にシラガ田も残っていることがそれを証しているといえるでしょう。(『古賀町史』)
 本社はもと,現在地の南の社家尾の山上にありましたが,長元9年(1036)7月,山上に異変があったことなどが伝えられていています,現在の神殿は棟札の時のものと考えられます。神殿とその彫刻は市内で最も古く,龍の彫刻・蟇股(かえるまた)の鹿や五位鷺(ごいさぎ)の彫刻・象の木鼻(きばな)・海老虹梁(えびこうりょう)・懸魚(けぎょ)など優れた建築の技が随所に見られます。特に阿吽(あうん)の龍は背中に鰭(ひれ)があり,薦野の天降神社(あまふりじんじゃ)のよりわずかに10年前のものですが異色です。
 境内にはもと薬師堂がありましたが,明治維新の廃仏毀釈の際,近隣の東前寺へ移されました。現在も10月の御祭の御神幸の前にお参りする習わしです。
 その他境内には古い井戸(神泉)の跡や宝永4年(1707)の銘のある手水鉢も残っています。また絵馬には,郷土の絵師薄景月画になる,乃木大将とステッセルの「水師営会見図」(明治44年(1911))等があります。
れきしのアルバム
H24・3・30〈改訂版〉発行 古賀市教育委員会 歴史資料館

村社白髭須神社 薬王寺字屋敷
・祭 神
猿田彦命 大雀天皇(オオザサギスメラミコト)(竹内宿禰郡)
・由 緒
 筑前国続風土記拾遺に曰わく,白鬚神社,村の東に在産神也。猿田彦命を祭る,祭礼九月二十五日云云と,社説往古は社家宅に鎮座有,後今に移せりと云ふ,古刹薬王寺社僧なりし時代は,神田も数多く有しが,今日白髪田のみ残りて,毎年新嘗祭神幸式の時,大小二十膳の種々なる献供物を調進するを例とす。奈良朝時代の布,白丸赤青の丸平数板を蔵す古社なり。外略之。
小野村史 p.138
(福岡県地理会誌に記載されている内容をあげる)
・白鬚神社
 本殿一間三尺四方,弊殿横一間半,入一間,拝殿二間三尺,入三間半,社地千坪,本村にあり。祭神猿田彦命,祭日九月二十四日
 或記に此社号を白賀に化すと云ふ。村内の田字に,白髪田あれば古名しらがにて今白髭と云ふは白髭の字に似たるよりまちがへなるへし。
 末社三 疫神社(社地)貴船神社(宮尾日吉神社(社地小社四須賀神社(鬼王)愛岩神宮(松峰)菅原神社(魂鬼王)山神社(すしの尾口)
小野村史p.140

小野村史では大雀天皇を竹内宿禰としているが,仁徳天皇が妥当かと。
ただ,大雀天皇と別に竹内宿禰も祀ってあるのかも知れない。

相当な古社であることは間違いない。

Panoramio 石津安信:Explorer



福岡県古賀市薬王寺
March 30,2014

NIKON D3S



by sora07jp2000 | 2014-04-30 02:49 | ★その他 | Trackback | Comments(0)
2014年 04月 28日

熊野神社 福岡県糸島市東

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熊野神社。
八幡神社境内に鎮座。
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養老元年717年,吉備真備が入唐の際に鷹峯(現宮地岳)に熊野三神を勧請。
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帰朝の後,再び鷹峯を訪れ,天平勝宝元年,748年社殿を建立。

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応和3年,963年,八幡宮勧請の際にこの地に遷座。
元の社地には慶応3年,1867年,宮地嶽神社が勧請されている。

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神殿は覆屋の中。
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往古からの風が呼ぶ。

熊野神社
前記八幡宮の境内南東にあり。祭神伊弉册尊,事解之男命,早玉之男命なり。
此社吉備眞備入唐の時加布里津鷹峯の一所に就いて熊野の三柱を勧請して海陸守護となす。天平七年四月丹□廣成に從って歸朝の後,即ち天平勝寳元年再び鷹峯に來たり,神詞の舊制を増し佛宇新篠を添へ院を寳積院と號し,珠福,普門,龍樹,若王,地藏,千手,文殊,普賢,大悲,釋迦文,如意輪,瑠璃光の十二院を置き壽永法師を開山となしたり。
其後原田泰種照松に八幡宮を勧請の時,神託により照松の境内に遷し,寳積院を改めて神宮寺と號し,而して十二坊は各地に分配せり瑠璃光院は川園に移す。今の薬師是なり。如意輪院は加布里に移す,今の吉祥天寺是なり。釋迦門院は影取に移す,今の本嚴寺是なり。文殊普賢の二院は鷹峯の東西に置く。龍樹若王の二院は照松の南北に造營す。此四院合わせて鳥有となる。地藏院は楠田に在り,今の地蔵堂是なり。大悲院は池園に移す,今の大悲閣是なり。千手院は田中に移す。清水寺の旧跡是なり。珠福院は本社の左に築く,今の宮司坊是なり。應和三年泰種寳積院澄觀を請じて神宮寺の幹事を領せしむ。同九月十三日落成す。然るに時世の變遷に隨ひ寺院は各所に散在すと雖も舊式を怠らず,毎年九月十八日宮座の式を行ふ。神寳に鎧あり,吉備大臣の具物なりといふ。熊野神社の南側に石龕あり。是鷹峯より移せしもののることを知るに足る。今は古大□(麻?)の存藏物に使用せり。


Panoramio 石津安信:航空写真 Explorer
吉備真備:Wikipedia.ja
空 sora そら:八幡宮 伊都国宮地嶽神社



福岡県糸島市東
March 28,2014

NIKON D3S



by sora07jp2000 | 2014-04-28 05:32 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 04月 28日

八幡宮 福岡県糸島市東

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長野川辺にある八幡宮。
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以前にも伺ったが,桜が咲いていたので寄ってみた。
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応和3年(963年)岩清水八幡宮を勧請,建立。
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初期の狛犬。
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御祭神,
誉田別天皇(応神天皇)息長足姫命(神功皇后)比賣大神
現在は祇園宮と天満宮を相殿に合祀する。
境内掲示由緒書

譽田別天皇,息長足姫命,比賣大神。
相殿に八坂大神,菅原大神を祀る。
糸島郡誌

譽田別天皇,氣長足姫命,比賣大神,
八坂大神,菅原神,素盞嗚尊,稻田姫命,大己貴命
福岡県神社誌

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八幡宮由緒
御祭神
誉田別天皇(応神天皇)息長足姫命(神功皇后)比賣大神 現在は祇園宮と天満宮を相殿に合祀する。
建立
応和三年(九六三年)九月十三日
正五位上太宰少貳対馬守播磨守 征西大将軍原田春實公 天慶三年(九三五年)逆臣伊予掾藤原純友を討伐(天慶の乱)し得たるは,一に神霊の加護によるとして, その子泰種(従五位下太宰貫主長門守)と共に山城国(京都)南男山の神霊を勧請し奉ったのが当八幡宮の由緒である。 其の後も原田高祖城主(怡土城・原田城)の崇敬厚く,原田八幡宮と称せられた。
種直公
原田春實公の子孫 従五位太宰少貳筑前守原田種直公は,源平の戦いで安徳天皇を守護し奉り,壇ノ浦に源義経と戦って敗れ鎌倉扇谷に幽囚されること十三年。
この間牢中に在りて旦暮八幡宮に祈願すること久し。感応験あり,建久八年(一一九七年)免されて岩門城(筑紫郡安徳村)に帰る。 種直公はその神澤に感謝せんと欲するも距離遠隔意の如くならざるを以て国政をその子に禅り,当八幡宮の東約百米付近に假宅を設けて此処に住し,八幡宮を修補し崇敬した。この假宅は原田の館屋敷と称され,面積約三千坪で周囲には池を廻らせていたが,今は畑となっている。
種直公(内大臣平重盛の養女を娶る)は,また平重盛家盛朝臣菩提の為建仁元年(一二〇一年)二丈町波呂に龍國寺を創建した。 種直公の墓は当八幡宮の南隣にある。
平成五年三月 宮崎市 原田 稔 寄進

境内掲示由緒

(加布里村)
第八章 社寺
加布里村の社寺を記すに当たり,先つ大字東の八幡宮及び同処の熊野神社創祀の由緒を知るを要す。しかる時は此二社と大字加布里の天満宮との関係も自ら明瞭なるに至るべし。是に関しては享保元年十一月沙門徳水の撰に係る勝軍山神宮寺記に據りて之を知るを得るなり。原漢文にして之を訓読すれば左の如し。
筑前國伊都郡照松村神宮寺は人皇四十五代聖武皇帝の内臣僕射吉備公の創建する所なり。養老元年丁巳吉備眞備唐に赴くの時筑紫を発す(編者哲英案ずるに遣唐留学生を命せられしは前年即ち霊亀二年なるも養老元年三月己酉遣唐押使從四位下多治比眞人懸守に節刀を賜ふ旨続日本紀に見えたれは,眞備の出発も同年なるへし)。其出発の津は或いは博多と云い,或いは深江と云い,或いは加布里と云う。加布里の津に山あり鷹峰と名つく。吉備鷹峯の一處に就いて熊野三社を建て勧請して水道の守護とす。上船ののち唐に在る間十有九年諸難無かりき。天平七年乙亥四月丹□(たじ)廣成に隨ひて歸る。歸朝の後深く神恩を領し篤く修造に志して時節を覲察したりき。天平勝寳己丑の歳再ひ鷹峯に来たり,權現を重禮し神詞の舊制を増し,佛宇の新條を添へ賓積と號し,宗は法相を唱ふ。所屬の坊十二あり。珠福院なり,普門院なり,龍樹院なり,若王院なり,地藏院なり,千住院なり,文殊院なり,普賢院なり,大悲院なり,釋迦門院なり,如意輪院なり,瑠璃光院なり,壽永法師を請して開山鼻組となす。壽永より六傳して澄遍に至る其間二百十有四年,物換り星移りて事蹟詳ならず莽鹵の失復た考ふへからず。澄遍の代に大蔵春實今の照松に遷す。
夫れ春實は人皇五十六代朱雀天皇の大臣なり。斯の時に當りて平將門帝に叛きけれは貞盛に詔して之を誅せしむ。又釋明達に勅して降伏の法を修めしむ。同十一月二十一日純友誅に伏す。帝大に之を賞して春實を征西將軍に拜し,三前二島を賜ふ。三前とは曰く筑肥豊なり。二島とは曰く壹岐對馬なり。乃ち筑前州那珂郡に築城して之に居る。一日會議して曰わく,臣勝を千里に決して威を九州に振ふはこれ臣か功勳に非す,抑又神佛の加被力なり。願くは八幡三所の神詞を建て三前二島のの宗廟に備へ,兼ねて僧房を構へ常に佛事を作さむ。國家を利し社稷を興すの大寳此に踰るものある無しと。衆議之を然りとし地を照松に卜す。時に鷹峯に在る所の熊野權現同社に遷らむことを託し給ふ。是故に鷹峰を改めて勝軍山と號し,寳積を改めて神宮寺と號し,其の十二坊を十二所に配す。瑠璃光院は之を河園に創す。今の藥師同是なり。如意輪院は之を冠に移す,今の天祥寺是なり。釈迦文院は之を影取に移す,今の本嚴寺是なり。文殊普賢の二院は鷹峰の東西に檢構す。龍樹若王の二院は照松の南北に造營す。四院は今鳥有となる。地藏院は楠田にあり,今の地藏堂是なり。大悲院は池園に建つ,大悲閣是なり。千手院は田中に營む,清水寺の舊趾是なり。普門院は本社の右に置く,今の觀音殿是なり。珠福院は本社の左に築く,今の宮司坊是なり。
應和三年春實寳積院澄遍を請して神宮寺幹事を領せしむ。同九月十三日落成す。斯の時村上天皇の御宇なり。 春實澄遍か神宮□に幹たるを壯とし,付するに寺務□(およ)ひ宮司を以てす。是の故に今澄遍僧都を以て神宮にの開山珠福院の鼻祖となし,世々相繼いて僧宮司たり。宮司の職は基冥より始まる。弓削道鏡法皇位に轉し,神護景雲元年十二月皇宮司を置き基冥之に任す。是歳始めて八幡比賣神宮寺を造る,これ宮司の名を號する由て来る所なり。村六十戸田六千畝を納め祭祀□(およ)び修造の費に充つ。毎歳九月大祭會を設け三前二島の衆これに預かる,高顯の榮想觀すべし。
澄遍は之を澄幸に傳へ,之を澄慶に傳へ,慶は之を壽化に傳へ,化は之を壽幸に傳へ,幸は之を一専に傳へ,専は之を俊幸に傳ふ。幸の子孫血脉貫通して横枝を括せず。夫れ僧の妻を有する國俗是を妻帶と言謂ふ。俊幸皆妻帶なり。今其系を考ふるに,人皇五十二代嵯峨帝の苗裔なり。(中略)俊幸脱塵して密家に投し,天承元年四月七日一専法師の遣嘱を受け神宮寺に住す,神宮寺妻帶の始祖なり。(中略)俊甫の代太閤秀吉朝鮮國を攻む。斯の時寺産を剥き社領を侵し,田園の石に配して戰場の歩を出さしむ。寺社別人を傭ひ田主と名け代りて役に赴かしむ。寺社に所謂名田の稱由りて設くる所なり。又田主の長を名頭と謂ふ。名頭の諸處に散在せるもの今の所謂行事是なり。隔歳九月祭の事を行ふ故に行事と名く,行事名の由りて生する所なり。行事の式は猶ほ王者の幸の如く,旗□(旄?)樹て弓矢を羅らね,従者塗を塞く。供給の人各其物を執り神輿を舁いて加布里の浦に出つ。往來の美闔國の壮觀なり云云。

村社八幡宮
神饌幣帛料供進指定社。
大字東字寺島(古は照松と云ふ)に在り。
祭神譽田別天皇,息長足姫命,比賣大神
。 相殿に八坂大神,菅原大神を祀る。昔は境内に大松,境外に大楠,放生池ありしといふ。近年河川改修のため放生池は川となり神橋を架せり。規模大なる社なり。社地の東南隅に神功皇后御髪を解き給ひし時櫛を戴せ給ひしと云ふ御櫛石あり(高二尺,幅一尺五寸)又古作の狛犬一對あり。古は庄内三社の一にて,附近十三村(東,神在,岩本,田中,加布里,濱窪,松末,片山,武,松國,瀬戸の内高田,長石,本村の内初田)の惣社なりき。
朱雀天皇の御宇平將門叛するや,帝藤原忠文等に詔して之を討たむ。忠文發するに當り帝浄藏に詔し賊徒降伏の法を祷らしむ。官軍未だ至らさるい平貞盛藤原秀郷相與に將門を討つ是より先き藤原純友海島に據りて叛し遥に將門に應す。之に依りて帝藤原慶幸小野好古及ひ藏春實に命して之を討伐せしむ。發するに方りて帝又釋明達をして岩清水八幡宮に祈らしむ。春實命を承るや仝しく岩清水に祈誓す。幾もなく純友誅に伏す。帝大に之を嘉し軍功を論賞す即ち天慶三年十一月春實を征西將軍に拜し三前(筑前豊前肥前)二島(壱岐對馬)を賜ふ。乃ち城を筑前國御笠郡椽城に築きて九州の兵馬の權を握り仝七年二月八日新城を原田に築き居住す。其後村上天皇應和元年天下に詔して諸國に宮を造り田租の半を賜ひて之を祭祀せしむ。是に於て春實衆を會して曰わく,余嚢に純友討伐の命を蒙り,勝を千里の外に決し威を九州に震ふことを得るもの,是れ余が功勳にあらす。されは神靈を此地に勸請し,三前二島の宗廟とし,僧坊を置き祭祀をなさしめん。國土を利し社稷を興すの大寳豈之に踰るものあらんとや。衆議之を然りとす。依りて位置を照松(てらしまつ)に卜す(照松は怡土郡川上の内即ち東村の古名なり)。既にして春實薨す。嫡泰種遺言を承け,應和三年九月十三日山城国南男山の神靈を勸請し奉る。即ち當八幡宮鎮座の由緒なり。祭日は勸請の年月に因み毎歳九月十三日大祭を執行し且つ神幸式を營み來たりしを,陽暦を用ふるに至り十月十三日に改む。後其子孫従五位下太宰少貳兼筑前守原田種直安徳帝を激輿し平家荷擔云々により元暦元年鎌倉の扇ヶ谷の土窟に幽せらる。種直乃ち牢中に在りて旦暮八幡宮に祈誓すること久し。感應驗あり十三年の星霜を經て,健久八年の秋免されて那珂郡岩門城に歸ることを得たり。種直其神澤を感謝せんと欲するも距離遠隔意の如くならさるを以て,國政を嫡益種に禪り東村に假宅を營みて此に住し八幡宮を崇敬す。其後に至り八坂神社及ひ天満宮の分靈を相殿に奉祀せり。而して石武郷十三村の租税賦役を以て之か祭祀修繕の費に充てしむ之を八幡宮の敷地と云ふ。毎歳九月大祭會を興し三前二島の衆咸な是に預かる。高顕の榮え想ふに足る。然るに物換り星移り遂に二島の巫等議して之を止む。其後豊前の巫等亦隨つて之を止む。但肥前の巫のみ其後尚ほ來たりしといふ。該祭例供奉の行列は家臣に命して十三列を供奉せしむ。神在村長松,田中村末安,本村蓮華,仝村橋爪,武村長野五郎,本村阿字,田中村大塚,本村毘沙王,田中村平五,東村重弘,松國村別當次郎,東村盛弘,仝村末等これなり。これ種直の創立する舊規の存する所なり。種直の墳墓は八幡宮の社側にあり。其後沿革を經て豊臣秀吉朝鮮を攻むるの時産を剥き社領を侵し,田圃の石に賦課して戰場の歩を出さしむ。寺社人を假りて田主と名け役に赴かしむ。是社寺名田の稱由て設くる所なり。又田主の長これを名頭と云ふ。名頭の家處々に散す,今の所謂行事なり。毎年九月祭事を行ふ故に行事と名く。行事名の由て生する所にして今日まで祭例に供奉する所以なり。三輿の行幸舊規を怠らず。然れども高祖城陥りし後は僅に石武郷十三村の總社と尊崇し,供奉の人馬及び祭具を課し舊規の式を行ひしも,明治維新の際分離して現今大字東一區の村社となる。然れども舊規を存し隔年に加布里村海邊字姫越と東區川端とに行幸の式を行ふ。大正十一年一月十三日幣帛料供進社に指定せらる。



村社 八幡宮 糸島郡前原町大字東字寺島
祭神
譽田別天皇,氣長足姫命,比賣大神,八坂大神,菅原神,素盞嗚尊,稻田姫命,大己貴命
由緒
朱雀天皇御宇平將門叛を爲す藤原純友亦叛て將門い應す,帝干時岩清水八幡宮へ賊徒降伏を祈誓せしむ,其後村上天皇應和元年天下に詔して宮を造り田祖の半を賜い祭祀せしむ,於是岩清水の神靈を此地に勸請し筑肥豊の三前壹岐對馬の宗廟とし僧坊を置き祭祀を作さしめ,地を照松に卜す(照松は即ち東村の古名なり)應和三年九月十三日高祖城主大藏春實の子泰種城州雄徳山の神靈を請ひ即ち八幡宮を鎭座す,其子孫筑前守原田種直故あり後に八坂社及ひ天満宮の分靈を相殿にまつれり,種直の墳基は八幡宮の社側に在り其後豊臣秀吉寺産を剥き社領を犯し田圃お石に賦課して戦場の歩を出さしむ,明治五年十一月三日村社に定めらる。
祭神素盞嗚尊,稲田姫命,大己貴命は字マガタ無格社八坂神社として祭祀ありしを明治四十三年八月二十二日合併許可。
社家の説に武藏國氷川神社の分靈を勸請せりと云ふ,應和三年長門守大藏種雄徳山八幡宮を當東村に勸請あり,其後當社及び加布里村天満宮之分靈を八幡宮相殿に祭る,明治維新之際東村一村の鎭守となり無格社となれり。
尚社説に曰く往古は附近十三ヶ村の租税賦役を以て祭祀修繕の費に充てしと言う。加布里の浦へ三輿の神幸あり,三前二島の衆皆是に輿る,而して該祭禮供奉の行列は,家臣に命じて十三列を供奉せしめたりと言ふ後高祖城陥りては附近十三村の衆のみ是に輿れり。明治維新の際分離し現今は大字東一區の村社となる,現今は東區の川端へ毎年神幸す。
境内に神功皇后御髪を解きし給ひし時,櫛を戴せ給ひしと言ふ御櫛石あり。又小作の狛犬一對あり。
例祭日
九月十五日

主なる建造物
神殿,弊殿,拝殿,神饌所,社務所,神輿庫
主なる寶物
神刀五口 鎧四
境内坪数
三百六十坪
氏子区域及戸数
前原町大字東区 百二十五戸
境内神社
熊野神社 疫神祠
福岡県神社誌

ものすごい量で,書き写すのに3日かかった。
そして,
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境内社,熊野神社。
こちらは初め,現伊都国宮地嶽神社のある宮地岳に祀られていたものを遷座。
なので,別途,単独記事でUPします。
何てったって,吉備真備が勧請したのだ。

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ナギ

御神木
梛(なぎ)
当八幡宮の御神木梛は,和歌山県新宮市の熊野速玉大社の御神木と同じ種類の木である。何時の時代に,如何なる理由で,誰が御神木として植えたか定かではないが,梛は成長が遅い木であるから,樹齢は相当古いものと思われる。熊野大社の御神木は,平重盛公手植えと伝えられていて,国の天然記念物に指定され,また新日本名木百選にも選ばれている老樹である。
古来梛は「凪」に通じ平和の木として,現世安穏を説く熊野権現の象徴木として知られており,山伏や,比丘尼,が梛の小枝を授けながら熊野信仰を全国に広めたことは有名である。
近くは,沖縄本土復帰に際しては,永遠の平和を願い同県下の各学校が梛を記念植樹したと云はれている。
現代でも熊野詣で賑わう社頭では良縁を願う若い女性や嫁ぐ際に鏡台や箪笥の底に納め無事に添い遂げられる事を願う女性達が梛の葉を拾ひ大切に持ち帰って行く姿が多く見られると云う。
鎌倉時代の歌人藤原定家も「拾遺愚草」の中で国の繁栄と平和を願って熊野参詣の折
「千早ぶる熊野の宮の梛の葉を
   変わらぬ御代のためしぞ折る」と詠んでいる。
  平成六年甲戌葉月吉日
    八幡宮三十六代 宮司誌す
境内掲示板

3保存樹
八幡宮のナギ

樹種名:ナギ
所在地:前原市大字東1105
樹 高:16.09m
幹回り:2.39m
推定樹齢:250~300年
・本神殿に向かって右にこのナギがたつが,左にも同形同大のナギがあり,左右対称に植えられている。
指定年月日:平成14年4月15日 前原市
境内掲示板

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同じくナギ

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境内社,疫神社。
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八幡宮:Evernote

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空 sora そら:八幡宮 April 01,2012



福岡県糸島市東
March 28,2014

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by sora07jp2000 | 2014-04-28 04:41 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 04月 28日

★八幡宮の桜 福岡県糸島市東

伊都国宮地嶽神社から北の参道へ下りる。
少し西へ行って長野川沿いに南下。
川沿いに社叢,桜が咲いている。
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寄ってんど。
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右手が宮地岳。
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八幡宮:Evernote

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福岡県糸島市東
March 28,2014

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by sora07jp2000 | 2014-04-28 03:52 | ★その他 | Trackback | Comments(0)
2014年 04月 24日

伊都国宮地嶽神社 福岡県糸島市東

大石神社から南西,加布里へ。
202号から神在団地へ。
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釜塚古墳

古墳時代中期の古墳 円墳 直径56m 高さ10m
糸島市観光協会

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そのすぐ東に伊都国宮地嶽神社の鳥居。
ここから細い道を宮地岳へ登って行く。
宮地岳は以前は勝軍山,さらに古くは鷹ヶ峰と呼ばれていたという。
山頂の神社入り口をすぎた奥に駐車場。
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降りて神社へ歩く。
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光を求め高く伸びた桜。
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本殿が見える。
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左手の階段から上がる。
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盛り土の様に見える,古墳のようだが,調べても分からなかった。
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その反対側が社頭。
鳥の声だけが響く。
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吉備真備が唐に渡る際に航海の無事を祈って熊野三神を勧請したのが始まりという。
養老元年,717年の創祀となる。
熊野神社は,今は宮地岳南,長野川のほとりの八幡宮に遷座。
跡地となったここに慶応3年(1867年)に宮地岳神社を勧請した。
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奉納した人の名前しか分からなかった。

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三階松紋。
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御祭神は,糸島郡誌によると,
宗像三神,
阿部高盛命,阿部助盛命を配祀。

福岡県神社誌では
勝門姫,阿部助盛命,阿部高盛命。

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(加布里町)
宮地嶽神社 大字東字勝軍山の山上にあり。
祭神
宗像三神,配祀阿部高盛命,阿部助盛命。
祭日
大祭一月五日,四月十一日,十一月二十二日。
毎月五日,十一日,二十二日。
右所在地は往古鷹ヶ峰と称す。吉備真備入唐の時登山し熊野三神を勧請して渡海守護の祈願をなし,帰朝の後天平勝宝元年再び登山し,奉賽のため殿宇を建設せし旧跡なり。然るに應和三年九月十三日大蔵春實の嫡男泰種遺言を承け照松に八幡宮勧請の時,之を同社内に遷座しけり。されば旧跡の湮滅せんことを恐れ,慶応三年十五日宗像なる宮地嶽神社の分霊を奉祀せるものなり。

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 宮地岳神社 勝門姫命,阿部助盛命,阿部高盛命 前原町大字東字向野

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福岡県糸島市東
March 28,2014

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〜花〜

by sora07jp2000 | 2014-04-24 05:09 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 04月 23日

大石神社 福岡県糸島市志摩師吉

天降神社から507号を北西へ。
夫婦橋から506号を南へ。
加布羅の三叉路を西へ。
後で地図見たら農道通ればもっと近かった。
旧志摩町,師吉(もろよし)
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道路脇に鳥居。
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大石神社。
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社殿は無く,その名の通り大石,岩がご神体。
盤座祭祀。
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その上に乗る石祠。
御祭神は,石凝姥命。
作鏡連の祖神。
この辺りで鏡を作っていたのだろうか。
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もとは海辺だったそう。
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猿田彦大神。
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梯子,何に使うんだろう。
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神社横の舗道,コブシ。
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春の陽射し。

(加也村)
大石神社 大字師吉大石
人家の東口にあり巨石簇(むらが)れり。
一は高八尺長一丈七尺,横一丈。一は高四尺,長一丈四尺,横六尺。尚ほ外数石あり。
石上に小祠を置き石凝姥命を祀る。地名是より起こる。往昔は此處海辺なりしと云ふ。
十一月十六日を祭日とす。
境内神社一,猿田彦大神(石體)

福岡県神社誌 記述無し
石凝姥命:作鏡連(かがみづくりのむらじ)らの祖神

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福岡県糸島市志摩師吉
March 28,2014

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by sora07jp2000 | 2014-04-23 04:55 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 04月 22日

天降神社 福岡県糸島市新田

荻浦神社から北へ下り,前原の市街地を抜ける。
更に北,川沿いの田園地帯。
「新田」とは黒田長政が干拓した初めての水田とのこと。
道路沿いに本殿が見える。
西へ曲がり,集落内。
道路より低くなっている。
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天降神社。
「あまふり」「あもり」いずれの説も見かけた。
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額は「天降天神」
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大正15年の狛犬。
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御祭神,瓊々杵命。
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干拓後の勧請。
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新しく,簡素だが美しい社殿。
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(前原町)
村社天降神社 大字新田字大堺にあり。
祭神瓊々杵尊。
祭日九月十五日
明治五年十一月三日村社に定めらる。

村社 天降神社 糸島郡前原町大字新田字大堺
祭 神
瓊々杵命
由 緒
不詳,明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日
十月十日
主なる建造物
本殿,弊殿,拝殿,鳥居
境内坪数
百五十九坪
氏子区域及戸数
新田区 七十八戸

「新田」の名称は黒田長政が干拓した初めての水田に因む。干拓後,瓊々杵命を勧請。
糸島魅力みつけ隊ネットワーク協議会HP

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福岡県糸島市新田
March 28,2014

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by sora07jp2000 | 2014-04-22 04:41 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 04月 20日

荻浦神社 2 福岡県糸島市荻浦

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境内北西の眺め。
加也山,そこに生えた木の梢がここまで届いていたという伝説。

※クリックででっかくなります。(どれもそうですが)
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境内社,保食社と厳島社
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本殿。
御祭神,
天照皇大神(あまてらす すめ おおかみ)(国民の総氏神)
国常立尊(くにの とこ たちの みこと)(国土形成の神)
豊受姫神(とようけ びめがみ)(五穀豊穣,衣食住の守り神)
菅原大神(すがわらの おおかみ)(学問の神)

「由緒 昔は老松天神と言った。
一説には十六天神,
また宝満神,山王神の相殿であるとも言う。」
拝殿掲示由緒

ここにも十六天神の名,
宝満神なら玉依姫…,謎と魅力たっぷり。

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(村社)荻浦神社
鎮座地 前原市大字荻浦144番地
祭 神
天照皇大神(あまてらす すめ おおかみ)(国民の総氏神)
国常立尊(くにの とこ たちの みこと)(国土形成の神)
豊受姫神(とようけ びめがみ)(五穀豊穣,衣食住の守り神)
菅原大神(すがわらの おおかみ)(学問の神)
例祭日 7月11日 9月1日 10月17日 11月23日
由 緒
昔は老松天神と言った。一説には十六天神,また宝満神,山王神の相殿(あいどの)(同じ社殿に二柱以上の神を合祀すること)であるとも言う。
沿 革
明治五年(1872)年11月3日村社に定めらる。境内神社一,保食神社,祭神豊受姫神(さいしん とようけ びめがみ)明治45年(1912)5月12日区内鎮座の無格社を当社に合併すると共に社殿の改修整理完成。
拝殿掲示由緒書

村社 荻浦神社 大字荻浦字前田にあり。
祭神 天照皇大神,国常立尊,菅原大神。
祭日 十一月二十五日。
明治五年十一月三日村社に定めらる。
境内神社一,保食神社,祭神豊受姫神。

村社 荻浦神社 糸島郡前原町大字荻浦字前田
祭 神
天照皇大神,国常立尊,天満天神,厳島姫命
由 緒
不詳,明治五年十一月三日村社に定めらる。
祭神厳島姫は字沖無格社厳島神社として祭祀ありしを明治四十四年十二月二十合併許可。
社説に曰く古伝に北方加也山に茂りし大木の梢,当地まで届きしに由り大木の浦と云へりとあり。永禄年間重富中務少輔正盛此地に在りて,芥屋早良彌永等を領し,爾来子孫相継き此所に住せりとあり。由比重富半田の遠祖なり。
例祭日
十一月二十五日
主なる建造物
本殿,拝殿,社務所,石鳥居,注連掛石
境内坪数
九百三坪
氏子区域及戸数
区全部 五十二戸
末社
保倉神社(豊受大神)
厳島神社(市杵嶋姫命)


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福岡県糸島市荻浦
March 28,2014

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by sora07jp2000 | 2014-04-20 05:08 | 神社 | Trackback | Comments(0)
2014年 04月 20日

荻浦神社 1 福岡県糸島市荻浦

大浦神社から北へ丘を越えすぐ。
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荻浦神社。
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鳥居,享保二年(1717年),灯籠,天明七年(1787年)。
鳥居はもうすぐ300歳。
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額は「天神社」
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イチイガシ,拝殿。
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加也山。
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こちらは「老松天神社」
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桜映す拝殿。
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いらんこと逆光補正して白飛びしてしまった。
(__;)
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小さいが表情に味わいたっぷり。
明治45年生まれ。
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御神木,イチイガシ。

荻浦神社 御神木
樹種名 イチイガシ(ブナ科の常緑喬木)
樹 高 13m50cm
幹回り  4m10cm
由 来
往古成木の途上不慮の落雷により原型を復する事なく現在に至れり
近年衰え激しき為囲い等を設け養生の結果神威により樹勢旺盛となりし其の威容侵すべからず。
惟(これ)正に神木の所以(ゆえん)也
平成21年6月吉日
樹下説明板

Panoramio 石津安信:航空写真



福岡県糸島市荻浦
March 28,2014

NIKON D3S



by sora07jp2000 | 2014-04-20 04:34 | 神社 | Trackback | Comments(0)