八幡神は、欽明天皇三十二年(西暦五七一年)宇佐の御許山(オモトヤマ)に出現し、そのあと菱形山の現在地に祀った宇佐神宮が根本である。
八幡信仰は、天平時代(八世紀半ば)から王城鎮護の神の信仰としてはじまり。鎌倉幕府の開府以後(十二世紀末)からは武神として崇められ、武士団の全国浸透につれて八幡神が各地に勧請(カンジョウ)され、土地の産神(ウブスナガミ)として祀られるようになった。
神社の西麓には元宮と称するところがあるが、那珂八幡宮の祭祀のはじめはわからない。
いま、この祭地は、昭和六十年三月から七月にかけての調査で、全長七十五米、後円部直径約四十七米の、四世紀前半に築かれた九州では最古式の前方後円墳の墳頂にあることが確認された。
福岡平野では最大級といわれる古墳の主体部は、社殿の下にあるため構造は不明であるが、主体部の北側より出土した木棺墓からは青銅製の三角縁神獣鏡一面、硬玉製勾玉(マガタマ)一個、碧玉製管玉二個、ガラス製小玉一個が出土した。
その他の出土物には銅戈(ドウカ)鋳型片(弥生中期)、弥生時代尾土器や鎌倉時代の土師(ハヂ)皿、石鍋などがある。