2016年 09月 04日

福地神社 福岡県直方市上境

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福地神社の御案内
福地神社御祭神(9柱)
保食神(女神様)五穀の神様
速玉男命
事解男命 事態を収拾させる神
仁徳天皇 第一六代天皇
神宮皇后 息長帯比売命
武内宿禰 五代天皇 中臣の象徴
蛇毒気神 やまたのおろちの変化
櫛稲田姫命 スサノオノミコトの妻
須佐之男命 天の岩戸伝説神話

神社祭典
春祭り 4月第2日曜
秋祭り 10月第2日曜
丑相撲 9月1日
柱松  8月7日(諏訪山にて)
お獅子さま 年2回(戸別祓い)
年越し 年賀
神社祈願祭
企業安全・家内安全祈願祭
初宮参り・諸祈願
地鎮祓い・上棟祭
事務所開き

当神社は九柱をお祭りして祭典を執り行っております。

拝殿掲示由緒


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村社 福地神社 直方市大字上境字後口
祭 神
仁徳天皇、保食神、素盞嗚神、神功皇后、武内宿禰、速玉男神、事玉男神、稲田姫神、高龗神、闇龗神、伊弉册尊
由 緒
福智権現又は福地権現と奉称し人皇第三十七代斉明天皇の御宇。天皇筑紫朝倉に都し給ふ時此の神を以て皇都民戸の鎮守とし、爾来郷中庶民産霊とす。時に皇帝の勅あり神廟を中境に新造す後年月を経て改造を醍醐天皇に請ふ、天皇許し給ひ茲に於て祠を建て、其後東山天皇宝永三年現在の社地上境有松山に遷御し奉りしものなり。
明治五年十一月三日村社に定めらる。
祭神高龗神、闇龗神は字前屋敷、古賀峯、桐の木、泉無格社貴船神社として祭祀ありしを祭神伊弉册尊は字後口無格社愛宕神社として祭祀ありしを明治四十三年六月七日合併許可。
尚社説に曰く、当社は鎮西随一の守護神として、上は空口皇室より下は武門武将を始め庶民に至る迄尊崇極めて篤く、殊に当社の創始に方りては長くも斉明天皇勅旨を賜ひて神廟奉建の事あり、後又延喜元年春に至りては醍醐天皇徳に再建の勅許を賜ひ更に延喜二年には境一郷を以て神領と定め給ふ。後伏見天皇の正安二年九月十九日九州探題北条實時金幣を奉献し延元四年には一色左京大夫直氏境内に禁制札を建て神域の尊厳を期し、後奈良天皇の天文三年宇佐大宮司職宇佐安輔洪鐘を奉献し、後ち相次で小早川隆景鷹取の城主手塚水雪藩公黒田市正隆政等社殿の造営修築神殿神宝祭器の奉献在り。
特殊祭事 御宝鐘祭 祭日九月一日
五穀豊稔万歳祈願祭を宝鐘前に執行ふ。青年角力奉納等ありて盛大なり。往昔より大旱魃には御宝鐘(天文念三天甲寅二月宇佐宮大宮司佐安輔奉納)を、岡森堰下鐘漬淵に沈めて雨乞祈願修行すれば霊験顕著にして必ず慈雨を降潤し給ふ。左に昭和九年七月八日雨乞祈願の次第を掲ぐ、午前五時全産子総動員にて鐘戴臺鐘曳綱を新調、鐘沈淵の祭場構作等諸般の準備を整へ神官の修祓が行はれ古式による神職奉仕の介添に身を清めた白衣の数人の選出若者を供ひ、御神庫より白布巻包七五三張りの霊鐘を奉楽裡に船臺に移し奉り、献饌の御神酒に意気勇ましく数百の善男曳縄し鐘沈淵に向ふ。沿道は遠地近方より集ふ善男善女小桶に水を湛えて待ち通過する洪鐘に打ち被け雨乞す、宝鐘は神秘なる古式にて数丈の深淵に厳然として沈祭し、昼夜浜の白砂に額き雨乞大祈願祭を攸行す。霊鐘を鐘漬淵に沈祭して翌九日小雨降り、引続き七月十二日本格的の大降雨となり稲苗付完了せり。此の霊雨に恵まれ万民蘇甦其の御神徳に感激鳴謝し、報賽日毎に絶へず遠近の民衆随喜参拝せり。

例祭日
九月十九日
神饌幣帛料供進指定
明治四十年一月十九日
主なる建造物
神殿、幣殿、拝殿、神饌所、祭器所、社務所、絵馬殿
主なる宝物
縁起書二巻、社記二巻、古文書四葉、棟札九枚、神鏡三、洪鐘一個、太刀四口、額三面
境内坪数
二千三百二坪
氏子区域及戸数
上境区永満寺区中泉区 一千六十四戸
境内神社
天満社(菅原神)
稲荷神社(倉稲魂神)
大日社(大日霊神)
恵比須神社(事代主神)





福岡県直方市上境
July 23,2016

NIKON D3S




by sora07jp2000 | 2016-09-04 02:40 | 神社 | Comments(0)


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