2015年 02月 22日

宝満宮 福岡県糟屋郡須惠町須恵

35号線「古宮」交差点から北西に入ってすぐ。
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宝満宮

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御縁起
祭神 玉依姫命 太祖権現 志賀大明神 菅原神 須賀大神
 寳滿宮は宝満神(玉依姫命)を祭る神社です。宝満山の竈門神社を本社とし明治時代の一時期には竈門神社と称したこともあります。
 その由来は古く平安時代中期応徳二年(一〇八四)竈門神社の荘園八十庄の北境今の古宮地蔵堂の位置に勧請されたのが始まりと伝えられ,江戸時代には既に現在地に移転し,旧社には,古宮の地名も生まれました。なお汐井掛は太祖権現遙拝の地であったと言います。
 江戸時代を通じ宝満宮は須恵村・上須恵村・佐谷村・新原村四カ村の産土(うぶすな)神として近隣の信仰を集めていました。
 宝満山から若すぎ山にかけては古来天台宗修験の霊場とされ佛教遺跡が多く残っていますが,宝満宮も峰入りに加わるなど,宝満山修験活動に加わったとされます。
 戦国時代大内氏の臣杉連並(高鳥居城主)は当社を崇敬しましたが左谷(佐谷)と右谷(若杉)の坊家争闘し多くの堂坊が焼失した際当社も炎上し,古文書宝器等一切を焼失しました。
 天正十五年(一五八七)小早川隆景は名島城を築き当社の頽廃を歎いて一宇の社殿を造営黒田長政公は紫縮緬の幔幕三張を下賜され忠之公は本社を修補し若杉山山林を寄進,元禄十二年(一六九九)宝満山の座主楞伽院兼雅が国家の安泰と黒田綱政公四十二歳の厄祓のたて峰入を行った際当社の坊衆もこれに参加したと伝えられ綱政公は自筆の絵馬を寄進された。さらに宣政公の参詣,継高公は明和四年(一七六七)当社を再建,斉清公が文化二年(一八〇四)修復するなど歴代藩主の崇敬が篤かったと言われています。
例祭日 一月一日,五月五日,十月十七日,
神饌幣帛料供進指定 大正十三年九月二十五日
主なる建造物 本殿,神饌所,拝殿,社務所
境内坪数 千二百五十坪

 殿 様 槇
 黒田藩二代藩主忠之(一六二三〜一六五四)は当社を修復し若杉山の山林の一部を寄附され記念に一本を境内に植樹されました。本殿横のこの槇が殿様槇と呼ばれています。
境内掲示御縁起

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殿様槇

殿様槇
 この木は地区の人から「殿様槇」と呼ばれて親しまれています
「福岡県神社誌」(昭和十九年刊)などによれば名島に築城した安土桃山時代の武将小早川隆景が天正十五(一五八七)年すたてていた社殿を造営その後慶安三(一六五〇)年福岡藩二代藩主忠之公が修復した際若杉山の山林の一部を寄進記念にこれを植えたといわれます
 以来約三百六十年地元の人が大切に守り育ててきました。平成七年四月須惠町自然教育林推進協議会によっって町の保存樹にしていされています
 平成二十年十月
 須恵 寳満宮
樹元掲示説明板

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村社 寳滿宮 粕屋郡須恵村大字須恵字古宮
祭 神
玉依姫命,菅原神,須賀神
由 緒
 本社は慶徳二年竈門神社神領八十庄の北境糟屋郡須恵村大字須恵字古宮に勧請されしものにしてこの地須恵川の清流に臨み古代住民の聚落地として古くより拓かれ南方歴然と寳滿山の靈姿を仰望さるゝ靈域なり。
 平安朝初期より寳滿山頂の竈門神社が朝廷の尊崇篤きに従ひ本社は同宮の攝社の如く認められ上下の敬仰をうけ,天臺宗聖護院派の山伏來つて本社を奉じ須恵より佐谷にかけて數多の坊舎を營み若杉三山の諸峰を修法の道場とせり,而して古の盛時の有様は佐谷より天治二年の銘ある經筒五個が發掘されたるに及び正中年間佐谷賢聖院にて法華經一萬部の讀誦ありし由の石碑の殘存するを以て證すべし。
 鎌倉期文永十一年元軍來寇するや筥崎宮又兵禍に罹り神輿を宇美方面に奉遷するの已む無きに至りし時本社の坊衆死守し戰い幸ひ神威を汚さず,南北朝時代征西將軍に属して勤王の爲働きしと傳へらるゝは本社の特記すべき光榮なり。
 戦國時代毛利氏の臣杉連並本社を崇敬したりしが佐谷と右谷の坊家爭闘して本社を始め多くの堂坊燒失古文書寳器等一切燒失したり。
 天正十五年小早川隆景名島に城を築くや本社の頽廃を歎き一宇の社殿を造營黒田長政公は紫縮緬の幔幕三張を下賜され忠之公は本社を修補され若杉山の山林一部を寄附記念に一本を植樹さる社側の殿様槇と稱するもの是也。
 元禄十二年寳滿座主楞伽院兼雅團家の安泰を祈らんが為に國中の峯入をなせし時本社の坊衆もこの擧に加はりしかば綱政公は自筆の繪馬を下され拝殿を飾る宣政公も参詣あり次で繼高公明和四年本社再建,齋淸公文化二年再補せらる。
明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日
十月十八日
神饌幣帛料供進指定
大正十三年九月二十五日
主なる建造物
本殿,神饌所,拝殿,社務所
境内坪数
一百八十九坪
氏子区域及戸数
二百五十七戸

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福岡県糟屋郡須惠町須恵
February 14,2015

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by sora07jp2000 | 2015-02-22 04:44 | 神社 | Trackback | Comments(0)
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