2014年 04月 19日

飛来神社 福岡県福岡市西区飯氏

老松神社から202号へ出て東。
周船寺西の交差点を南へ。
筑肥線越えて100m程で西へ。
飯氏の住宅街。
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飛来神社。
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御祭神,少彦名命。
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飛来神社由来記
一,鎮座地 福岡市博多区住吉3丁目(旧東堅粕)
一,御祭神 少彦名命
当飛来神社は,太古神皇産霊神の御子,少彦名命を御祭神とす。この御神は非常に短躯小身なるも,特に子供好きにて,手足の神様で国土経営に全力を尽くし畜産を起こし,医療且又農業を起し人民皆其の御神徳を仰ぐことふかし,往年この堅粕の地に温泉湧出せる側に御鎮座ありしを紀元1466年大51代平城天皇の大同元年令より凡そ1200年伝教大使博多津に御帰朝の際,薬師像を刻み東光院に安置するに及び当神社を村の入口現在の地に遷座せしと言い伝う。赫灼たる御神徳著しく衆庶の知る所なり。旧藩主黒岳も崇敬特に篤く,現在当吉塚の産土氏神として子供の神様,子授けの神様として益々子供擁護と強化の崇高なる御神徳を垂れ給う。


飛来神社
飛来神社由来記
一・鎮座地 福岡市博多区住吉三丁目(旧東堅粕)
一・御祭神 少彦名命(すくなびこなのみこと)
当飛来神社は,少彦名命を御祭神(ごさいじん・神社に祭られている神)とする。この御神は非常に短躯小身なるも,頭脳明晰で,特に子供好きにて,手足の神様として国づくりに全力を尽くし畜産を興し,医療,農業を興し,人々はその御神徳(ごじんとく・神の功徳)を深く尊敬しました。往年この堅粕の地に温泉湧出する側に御鎮座がありました。紀元一四六六年(西暦八〇六年)第五一代平城天皇(へいじょうてんのう)の大同元年令(だいどうがんねんれい)よりおよそ一二〇〇年伝教大師(でんぎょうだいし・最澄の諡号)が博多津に御帰朝の際,薬師像を刻み東光院(仏教寺院)に安置するに及び当神社を村の入口,現在地に遷座(せんざ)したと言い伝えられています。それからは赫灼(かくしゃく)たる御神徳を著しく人びとの知る所なりました。旧藩主黒田家も崇拝に篤く,現在当吉塚の産土氏神として子どむの神様として益々子供擁護の教化(きょうか・人を導き,また道徳的,思想的な影響を与えて望ましい方向に進ませる)の崇高なる御神徳を祈願する人びとが絶えません。お飛来さまは子どもが大好きで,子どもたちが御神体(ごしんたい・祭祀の対称・中心となる存在)の神像(しんぞう・彫像)で遊ぶと喜ばれるといわれています。また,少彦名命は手足が不自由だといわれ,人びとは手足の痛みが治るよう祈願し,お札には手形足形を奉納しました。

祭日
正月大祭(一月一日より五日まで)
月並祭(毎月五日)
初老還暦厄払(四月二十八日)
春季大祭(五月三日より五日まで)
子供山笠(七月末)
七五三(十一月十五日)

境内掲示由緒
※以上は福岡市博多区吉塚(東堅粕)の飛来神社のものと思われます。
 由来にある住所「住吉3丁目」には飛来神社は見あたりません。住吉神社境内社として「少彦名命神社」があります。

飛来神社 少彦名命 大字堅粕字辻

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福岡県福岡市西区飯氏
March 23,2014

NIKON D3S




by sora07jp2000 | 2014-04-19 03:08 | 神社 | Comments(0)


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